第一章 プリンセスじゃなくて、アイドルです。
「蒼井真姫さん。合格です」
その言葉を聞いた瞬間、真姫は安堵した。
「ありがとうございます」
椅子から立ち上がり、背筋を伸ばして深く頭を下げる。その所作を見て、審査員の一人が微笑んだ。
「蒼井さんって、本当に所作が綺麗だよね」
「……ありがとうございます」
「ほら、それ。なんていうか――お姫様みたい」
部屋に小さな笑いが起こる。
真姫もつられて笑った。
昔から、よく言われてきた。
姿勢がいい。
品がある。
育ちが良さそう。
そして、お姫様みたい。
けれど、本人にその自覚はない。
ただ、人前ではきちんとしていたい。
誰かに見られているなら、綺麗でいたい。
それだけだった。
「これからよろしくお願いします」
改めて頭を下げ、部屋を出る。
扉が閉まった途端、真姫は胸の前で両手を握った。
「……受かった」
ようやく実感が追いついてくる。
アイドルになる。
ずっと画面の向こうにいた人たちと、同じ場所に立つのだ。
嬉しい。
それでも、不安がないわけではなかった。
そのとき、廊下の窓に映った自分が目に入った。
「……え?」
一瞬だけ、見慣れた服ではなく、淡い水色のドレスをまとった少女が映った。
頭には細い金色の冠。
真姫と同じ顔をした少女が、どこか寂しそうにこちらを見ている。
瞬きをすると、いつもの自分に戻っていた。
「……疲れてるのかな」
そう呟き、真姫は歩き出した。
なぜか胸の奥に残った、懐かしさには気づかないふりをして。
◇
数日後、初めての顔合わせが行われた。
レッスンルームの扉を開けると、すでに何人もの少女たちが集まっている。
「おはようございます」
一斉に視線が集まった。
「あ……おはよう!」
一人が返事をすると、それをきっかけに挨拶が飛び交った。
歌が好きな子。
ダンス経験が豊富な子。
緊張してほとんど話せない子。
初対面なのに喋り続ける子。
持ってきたお菓子を、さっそく配り始める子。
「え、もう食べていいの?」
「顔合わせって、お菓子禁止なの?」
「知らないけど!」
笑い声が広がった。
真姫はその光景を眺める。
年齢も性格も、得意なことも違う少女たち。
昨日まで互いの名前すら知らなかった16人が、今日から同じ夢を追う。
そのはずなのに――。
不思議と、懐かしかった。
笑い声も、仕草も、声の響きも。
ずっと昔から、この人たちが隣にいることを知っていたような気がする。
「蒼井さん……だよね?」
声をかけられ、真姫は振り返った。
「はい」
「写真でも思ったけど、すごく綺麗」
「えっ」
「分かる! お姫様みたいじゃない?」
また、その言葉だった。
「いやいや、そんな……」
「絶対お姫様だって!」
「じゃあ、姫って呼ぼう」
「やめて!」
真姫も思わず笑う。
そのとき。
――姫様。
遠くから、誰かに呼ばれた気がした。
真姫は反射的に振り返る。
誰もいない。
ただ、窓から差し込んだ光が床に伸びている。
その中に、一瞬だけ紋章のようなものが浮かんだ。
花を囲む王冠。
そして、その周囲に並ぶ十五の小さな光。
「……何、これ」
目を凝らすと、紋章は消えた。
「どうしたの?」
「……ううん。なんでもない」
気のせい。
そう思うことにした。
◇
アイドルになれば、毎日が華やかになる。
そんな想像は、レッスンが始まって一週間で消えた。
鏡。音楽。汗。失敗。
そして、また最初から。
「はい、もう一回!」
同じ振付を何度も繰り返す。
真姫は鏡の中の自分を見つめた。
隣ではダンス経験者が軽やかに踊る。
反対側からは、思わず振り返るほどの歌声が聞こえる。
休憩時間には皆を笑わせる子がいる。
SNSですでに注目を集めている子もいる。
みんな、何かを持っている。
――じゃあ、私は?
ある日のレッスン後、スタッフに呼び止められた。
「真姫は華があるね」
「……華、ですか?」
「うん。大勢で並んでいても目が行く。立っているだけで目を引くんだよね」
「ありがとうございます」
笑顔で答えた。
けれど、その言葉が胸に残った。
――立っているだけ。
それは、本当に武器なのだろうか。
歌なら、もっと上手い子がいる。
ダンスなら、もっと上手い子がいる。
話すなら、もっと面白い子がいる。
自分にしかできないことは、何だろう。
誰もいなくなったレッスンルームで、真姫は鏡の前に立った。
「私って……何ができるんだろう」
そのとき。
鏡の中に、一瞬だけ別の光景が映った。
剣を持つ少女。
白い杖を握る少女。
弓を背負った少女。
誰かを守るように立つ少女。
そして、その中心にいるのは――王冠を戴いた自分。
――姫様。
――お下がりください。
――ここは私たちが。
「待って……!」
真姫が鏡へ手を伸ばした瞬間、すべてが消えた。
静かなレッスンルームだけが残っている。
「……今の、何?」
怖い。
なのに。
なぜか泣きそうなほど、懐かしかった。
◇
その日から、真姫は誰より早くレッスン場へ来るようになった。
上手くできないなら、できるまでやる。
自信がないなら、自信を持てるまで練習する。
それが真姫のやり方だった。
そんな姿を、15人はちゃんと見ていた。
「真姫、今日も早く来てたでしょ」
「え?」
「頑張りすぎ。はい」
スポーツドリンクを差し出される。
「……ありがとう」
別の日には、振付を間違えて落ち込むメンバーの隣に座った。
「大丈夫。私もそこ、昨日ずっと間違えてたから」
「真姫でも?」
「でもって何?」
二人で笑った。
誰かが泣けば、真姫は隣に座る。
誰かが成功すれば、自分のことのように喜ぶ。
真姫自身は気づいていなかった。
彼女がいるだけで、少し安心できる人がいることに。
そして15人の中にも、真姫と同じ既視感を覚えている者がいた。
真姫を見ると、理由もなく胸が痛む者。
初めて会ったはずの彼女を、守らなければと思う者。
なぜか彼女に反発する者。
真姫の笑顔を見ると、泣きそうになる者。
それぞれの心の奥に、遠い昔の記憶が眠っていることを――まだ誰も知らない。
◇
そして、デビューライブの日。
舞台袖に16人が並んだ。
幕の向こうから、観客の声が押し寄せてくる。
「緊張する……」
誰かが呟いた。
すると、一人が手を差し出した。
その上に、もう一つ。
さらに、もう一つ。
真姫も手を重ねる。
16人の手が、一つになった。
その瞬間。
真姫の指先に、淡い光が走った。
――必ず、おそばにおります。
――今度こそ、離れない。
――あなたを、ひとりにはしない。
遠い声。
そして、覚えのない感情。
悲しみ。
後悔。
愛しさ。
再会できた喜び。
真姫は重なった手を見つめた。
「行こう」
誰が言ったのかは分からない。
全員が頷いた。
照明が落ちる。
イントロが流れる。
幕が開いた。
眩しい光の向こうで、無数のペンライトが揺れている。
「――!」
真姫は息を呑んだ。
初めて見る景色。
なのに――知っている。
ペンライトが、一瞬だけ別のものに見えた。
旗。
花びら。
石造りの街。
人々で埋め尽くされた広場。
白い城。
そして、高い場所からそのすべてを見つめている少女。
頭には王冠。
その後ろには、十五人の少女たち。
――姫様。
今度は、はっきりと聞こえた。
――お帰りなさいませ。
「真姫!」
隣から名前を呼ばれ、我に返る。
ステージは、もう始まっている。
「……うん!」
真姫は笑い、一歩前へ踏み出した。
その瞬間。
16人の足元に、淡い紋章が浮かび上がった。
花を囲む王冠。
その周囲を取り囲む、十五の光。
瞬きをすると、もう消えていた。
真姫はまだ知らない。
なぜ、自分があの景色を知っているのか。
かつて、自分が誰だったのか。
なぜ、この15人と出会った瞬間から、懐かしさを覚えていたのか。
そして、この再会が自分の運命をもう一度変えることも。
前世では、たった一人のプリンセス。
今世では――16人のアイドル。
蒼井真姫の二度目の物語は、
このステージから始まった。




