第十章 プリンセスは、永遠を知らない
新曲初披露まで――あと七日。
その夜から。
16人は、同じ夢を見るようになった。
◇
雨。
燃える王宮。
崩れ落ちる塔。
黒い王冠。
十五人の手が伸びる。
――姫様。
――今度は。
――一緒に。
プリンセスも手を伸ばす。
十六の手が、
王冠へ重なる。
ピシッ。
亀裂。
光。
そして――。
そこで目が覚める。
毎晩。
全員が。
同じ場所で。
◇
「……気持ち悪いね」
レッスンルーム。
誰かが言った。
「言い方」
「だって16人で同じ夢だよ?」
「普通じゃないよね」
「前世がプリンセスだった時点で普通じゃないから」
「それは真姫だけ」
「私たちも大概でしょ」
少しだけ笑いが起きた。
真姫も笑った。
でも。
すぐに静かになった。
テーブルの上には、
新曲初披露ライブの資料。
日付。
会場名。
ステージ図。
客席。
搬入口。
楽屋。
何度見ても、
ただのライブ会場だった。
なのに。
誰一人、
そう見ることができなかった。
「……ここなんだよね」
一人が言った。
真姫は、
会場写真を見つめる。
「うん」
そして。
言った。
「私たちが、死んだ場所」
誰も、
その言葉を否定しなかった。
◇
調べられることは、
全部調べた。
昔の地図。
土地の記録。
地域の歴史。
古い伝承。
でも。
王国なんて、
どこにも存在しない。
プリンセスも。
十五人の従者も。
黒い王冠も。
歴史のどこにも、
残っていなかった。
普通の街。
普通の土地。
普通の建物。
普通のライブ会場。
それでも。
16人には分かる。
――ここだ。
頭ではなく。
もっと深い場所。
魂のどこかが、
覚えている。
「……ライブ、やる?」
誰かが言った。
真姫が顔を上げる。
「嫌なら、相談くらいできると思う」
「理由どうするの?」
「前世で死んだ場所なので変更してください」
「絶対無理」
「スタッフさん困るわ」
笑いが起きる。
でも。
誰も、
本気で笑ってはいなかった。
これは、
本当の質問だった。
怖い。
全員が。
「真姫は?」
15の視線が集まる。
以前なら。
「大丈夫」
そう言っただろう。
笑って。
何でもないふりをして。
でも。
「怖い」
真姫は答えた。
「めちゃくちゃ怖い」
声に出すと、本当に怖くなった。
それでも。
「でも――やりたい」
「なんで?」
真姫は、
会場の写真へ指を置いた。
「終わった場所だから」
「……え?」
「前世の私たちは」
写真を見る。
「ここから先へ行けなかった」
そして。
15人を見る。
「だから今度は」
少し笑った。
「ここから始めたい」
◇
あと6日。
レッスン。
あと5日。
衣装合わせ。
あと4日。
歌唱練習。
あと3日。
取材。
あと2日。
通しリハーサル。
一日ずつ。
あの日へ近づいていく。
そして――。
前日。
16人は、初めて会場へ入った。
◇
「……ここ」
入口で、
真姫の足が止まった。
知らない。
来たことなんてない。
なのに。
知っている。
廊下を進む。
一つ、
角を曲がる。
胸が痛む。
「この先……」
真姫が呟く。
「階段」
一人が続けた。
全員が止まる。
数歩進む。
本当に、
階段があった。
「上に……」
別の子が言う。
「広い場所がある」
階段を上る。
扉。
スタッフが開ける。
その向こう。
ステージ。
客席。
誰も、声を出せなかった。
建物は、何も似ていない。
石造りの壁もない。
巨大な柱もない。
王宮ではない。
それなのに。
ステージの向こうに、
燃える大広間が重なって見えた。
「……帰ってきたんだ」
誰かが呟いた。
真姫は、しばらく黙っていた。
そして。
首を横に振る。
「違うよ」
15人が見る。
「帰ってきたんじゃない」
真姫は、ステージを見た。
「初めて来たんだよ」
一歩、中へ入る。
「今の私たちとして」
◇
リハーサル。
「立ち位置確認します!」
真姫は、ゼロ番へ立った。
その瞬間。
世界が歪んだ。
「……っ」
客席が消える。
照明が消える。
音が消える。
代わりに。
炎。
黒煙。
崩れる天井。
「真姫!」
遠くから、
誰かが呼んでいる。
でも。
身体が動かない。
目の前に、
十五人がいた。
前世。
最後の日。
王冠。
黒い光。
炎。
――姫様!
――王冠を!
頭が割れそうに痛む。
それでも。
真姫は、目を逸らさなかった。
「……見せて」
誰にともなく言う。
「最後まで」
そして。
記憶が、動き出した。
◇
ピシッ。
王冠に、
亀裂が入った。
十五人が、手を重ねている。
プリンセスも、
王冠へ手を伸ばす。
――一緒に。
十六の手。
黒かった光が、
少しずつ白く変わっていく。
そして。
パキン。
小さな音。
王冠が、
割れた。
プリンセスの顔が青ざめる。
――そんな……。
十五人を見る。
――消え――
言葉が止まる。
誰も、
消えていない。
十五人とも、
そこにいた。
「……どうして?」
騎士が、自分の身体を見る。
そして。
笑った。
――分かりません。
別の少女も、泣きながら笑う。
――でも。
自分の手を見る。
――います。
また一人。
――姫様。
笑う。
――私たち、消えてませんよ。
プリンセスの瞳から、涙が溢れた。
――よかった。
それは真姫が知る限り、
前世の自分が見せた、一番幼い笑顔だった。
――よかった……。
何度も言う。
――本当に。
――よかった。
その瞬間だった。
轟音。
王宮が、大きく揺れた。
◇
――姫様!
王冠によって保たれていた何かが、崩れ始める。
床に亀裂。
柱が倒れる。
天井が崩れる。
炎が広がる。
――逃げて!
十六人が走る。
出口へ。
もう少し。
あと少し。
そのとき。
巨大な柱が倒れてきた。
プリンセスが、一人を突き飛ばす。
――危ない!
――姫様!
別の少女が、プリンセスの腕を掴む。
天井が落ちる。
誰かが誰かを庇う。
誰かが手を引く。
誰かが転ぶ。
――先に行って!
――嫌!
――置いていけ!
――嫌だ!
――お願いだから!
――十六人で行く!
誰一人。
一人で逃げようとしなかった。
そのせいで。
遅れた。
また一人が転ぶ。
また誰かが戻る。
また遅れる。
そして。
大広間の中央。
轟音。
出口が、
完全に塞がれた。
十六人は、立ち尽くした。
もう。
逃げられない。
◇
不思議なくらい、静かだった。
炎が燃えている。
王宮は崩れている。
もう、時間がないことだけは分かった。
プリンセスが、震える声で言った。
――ごめんなさい。
十五人が見る。
――私が。
唇が震える。
――王冠を外したから。
すると。
一人が、ため息をついた。
――またそれですか。
プリンセスが顔を上げる。
――姫様。
少女は笑った。
――誰も後悔してません。
別の少女。
――私たちが選んだんです。
また一人。
――一緒にって。
プリンセスの目から、
涙が落ちる。
――でも。
騎士が、
腰の剣を抜いた。
そして。
床へ置く。
カラン。
その音が、炎の中に響いた。
騎士は、プリンセスの隣に座った。
前ではない。
後ろでもない。
隣。
――もう。
騎士が言った。
――姫様じゃなくていいですよ。
プリンセスが、驚いたように見る。
――え?
――最後くらい。
少し笑う。
――ただの女の子でいましょう。
一人が座る。
また一人。
十五人が、プリンセスの周りへ座った。
誰も、彼女を囲まない。
誰も、守る位置につかない。
ただ。
隣に座る。
プリンセスは、泣きながら笑った。
――私ね。
十五人を見る。
――みんなと、
――もっとお話ししたかった。
――知ってます。
――お菓子も食べたかった。
――食べましょう。
――一緒に歌ったり。
――それも。
――踊ったり。
――やりましょう。
――綺麗じゃない顔で。
涙を拭う。
――いっぱい笑ったり。
――それもやりましょう。
プリンセスは、困ったように笑った。
――もう。
崩れる天井を見る。
――時間がないのに?
誰も、答えなかった。
そして。
一人が言った。
――じゃあ。
プリンセスを見る。
――次に会えたら、
――やりましょう。
プリンセスの瞳が揺れる。
――次?
――はい。
――次の人生とか。
思わず、誰かが笑う。
――そんなものあるの?
――分かりません。
少女も笑った。
――でも。
手を差し出す。
――約束くらい、
――自由でしょう?
その手の上へ。
一つ。
また一つ。
手が重なる。
十五の手。
最後に。
プリンセスが、そっと手を重ねる。
十六人。
――次に会えたら。
一人。
――今度は最初から一緒に。
また一人。
――姫様と家来じゃなくて。
――同じ場所に立って。
――いっぱい笑って。
――いっぱい喧嘩して。
――歌って。
――踊って。
――誰か一人だけじゃなく。
最後に。
十六人の声が、重なった。
――みんなで、
――輝こう。
プリンセスは、泣きながら笑った。
そして。
初めて。
「姫様」ではなく。
一人の少女として言った。
――約束。
白い光が、十六人を包んだ。
そこで。
前世の記憶は、終わった。
◇
「真姫!」
目を開ける。
天井。
照明。
ステージ。
15人が、真姫を囲んでいた。
「大丈夫!?」
真姫は、しばらく何も言えなかった。
頬を、涙が流れていた。
「……思い出した」
一人が聞く。
「最後?」
真姫は、小さく頷いた。
そして。
15人を見る。
「みんなも?」
誰も、答えなかった。
でも。
全員、泣いていた。
それで、十分だった。
◇
ライブ当日。
満員の客席。
舞台袖。
16人が、並んでいた。
「緊張するね」
「私も」
「真姫も?」
「めちゃくちゃ」
「センターなのに?」
「センターでも緊張する!」
笑い声。
真姫は、その光景を見る。
知っている。
十六の重なる手を。
「ねえ」
真姫が、手を出した。
一人が重ねる。
また一人。
十六の手。
「何か言う?」
「姫様お願いします」
「絶対嫌」
「センター様」
「それも嫌」
「じゃあ真姫様」
「悪化してる!」
笑う。
真姫は、15人をぐるりと見渡す。
前世で、言えなかった言葉がたくさんある。
ありがとう。
怖い。
助けて。
一緒にいたい。
でも。
今は。
一番言いたいことだけでいい。
「楽しもう」
それだけ。
「うん」
15の声が、重なった。
照明が落ちる。
歓声。
イントロ。
16人が、ステージへ走り出した。
◇
ゼロ番。
真姫へ、光が当たる。
逃げない。
真っ直ぐ、客席を見る。
前世。
何千もの瞳が、プリンセスだけを見ていた。
今は違う。
真姫が歌う。
そして。
身体を開く。
その向こうに、一人。
客席の視線が動く。
次。
また一人。
目が合う。
真姫が笑う。
その子も笑う。
歌。
ダンス。
表情。
十五人の魅力が、次々とステージへ現れる。
真姫は、心の中で叫ぶ。
――見て。
この子を。
――見て。
この子も。
――見て。
こんな子もいるんだよ。
そして。
カメラが、自分へ戻ってくる。
真姫は、まっすぐレンズを見る。
――それから。
――私も見て。
笑う。
今なら言える。
私は、輝きたい。
一番になりたい。
見つけてほしい。
でも。
誰かを消してまで、輝きたいわけじゃない。
誰かを輝かせるために、自分を消す必要もない。
16人。
それぞれが、それぞれの光で輝けばいい。
◇
最後のサビ。
16人が、中央へ集まる。
真姫は真ん中。
でも。
一人ではない。
肩が触れるほど近くに、15人がいる。
客席いっぱいに、ペンライトが揺れる。
その光が。
一瞬だけ。
前世の白い花に見えた。
真姫は、
笑った。
完璧なプリンセスの笑顔ではない。
口を大きく開けて。
目を細めて。
汗で髪が少し崩れた。
ただの女の子の笑顔。
そして。
一人のアイドルの笑顔。
最後の音。
ポーズ。
暗転。
一瞬の静寂。
そして――。
大歓声。
真姫は、息を切らしながら笑った。
「……できた」
隣から声がする。
「終わったね」
真姫は、
首を横に振った。
「違う」
汗だくの15人を見て、笑う。
「始まったんだよ」
◇
ライブが終わった。
客席には、もう誰もいない。
ステージだけが、静かに照らされている。
16人は、誰もすぐには帰らなかった。
真姫は、ゼロ番に立つ。
「前世では」
静かな会場に、声が響く。
「ここで終わった」
一人が、真姫の隣へ立つ。
また一人。
15人全員が並ぶ。
「でも今は」
真姫は、誰もいない客席を見る。
「ここから始まった」
「約束、叶ったね」
誰かが言った。
「どれ?」
「一緒に歌う」
「踊る」
「お菓子食べる」
「それライブ関係ない」
「あとで食べればいいじゃん」
笑い声。
「いっぱい笑う」
「喧嘩もする」
「それは別にしなくていい」
また笑う。
そして。
誰かが言った。
「みんなで輝く」
真姫は、少し黙った。
「……うん」
その言葉だけは、胸の奥へ深く落ちた。
前世では、愛されることしか知らなかった。
見られること。
期待されること。
美しくいること。
プリンセスでいること。
でも。
今は。
誰かを見ることを知った。
誰かの魅力を見つけることを知った。
誰かに頼ることを知った。
悔しいと言われることを知った。
自分も悔しいと言っていいことを知った。
泣いていいことを知った。
そして。
一緒に輝くことを知った。
真姫は、再び15人を見る。
「ねえ」
「何?」
「転生した理由って」
少しだけ、照れくさそうに笑う。
「この約束を叶えるためだったのかな」
誰も、答えられなかった。
でも。
それでいい気がした。
一人が言う。
「だったら、もう叶ったね」
「うん」
真姫は笑った。
「叶った」
その言葉を。
このときの16人は、疑わなかった。
◇
その夜。
真姫は、久しぶりに夢を見なかった。
王宮も。
炎も。
王冠も。
何も。
ただ、
静かな暗闇。
朝まで、深く眠った。
まるで。
長い物語が、ようやく終わったように。
◇
ただ――。
15人のうち、
一人だけ。
まだ、
夢を見ていた。
◇
白い世界。
王宮はない。
炎もない。
プリンセスもいない。
音すらない。
少女は、
一人で立っていた。
「……ここ、どこ?」
返事はない。
歩く。
その先に。
何かが落ちている。
黒い破片。
近づく。
少女の顔から、
血の気が引いた。
「……王冠」
割れた、
孤独な王冠。
少女は、
恐る恐る手を伸ばす。
指先が、
破片へ触れる。
その瞬間。
声がした。
――約束は、
――まだ果たされていない。
少女の身体が、
凍りつく。
「……え?」
――十六の魂が、
――再び巡り会った理由。
王冠の破片が、
淡く光る。
――それは。
――過去をやり直すためではない。
「じゃあ……」
少女の声が震える。
「何のため?」
沈黙。
そして。
――姫君が。
――今世で、
――まだ手にしていないものを。
光が強くなる。
――見つけるため。
「真姫が……?」
少女は、
一歩近づく。
「まだ持ってないものって、何?」
返事はなかった。
代わりに。
白い世界の向こうへ、
一つの光景が浮かび上がる。
ステージ。
スポットライト。
中央。
蒼井真姫。
センター。
笑っている。
でも。
少女は、
すぐに異変に気づいた。
「……みんなは?」
真姫の周りに。
誰もいない。
右にも。
左にも。
後ろにも。
十五人の姿が、
どこにもない。
広いステージに。
真姫だけが、
一人で立っている。
「……どういうこと?」
少女が、王冠を見る。
そして。
声が、最後に告げた。
――別れの時は。
間。
――必ず訪れる。
◇
「……っ!」
少女は、
目を覚ました。
暗い部屋。
荒い呼吸。
胸が、激しく鳴っている。
「夢……?」
違う。
分かってしまう。
ただの夢ではない。
スマートフォンが光る。
グループチャット。
真姫からだった。
写真。
今日のライブ。
16人。
汗だくで。
肩を寄せ合って。
全員、笑っている。
その写真の下に続く
真姫から、一言。
『ずっと16人でいようね』
少女は、その文字を見つめた。
さっきまでなら。
迷わず、「もちろん」と返していた。
でも。
今は。
指が動かない。
やがて。
画面の中で笑う真姫へ、小さく呟いた。
「……真姫しゃん」
涙が、一粒落ちる。
「それだけは」
『ずっと16人でいようね』
その言葉を、指でなぞる。
そして。
泣きそうな顔で、首を横に振った。
「約束しちゃダメだよ」
画面の中では。
何も知らない16人が、笑っていた。




