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ゴドウィン子爵撃退事件から二日。レナードが帝都へ旅立ってから、まだ三日しか経っていない。
だが、私の平和な時間は、すでに音を立てて崩れ去っていた。
「奥様、帝都からの速達便でございます。本日の十二便目が到着いたしました」
午後のティータイム。執事のジョセフが、両腕に抱えきれないほどの大量の手紙を抱えて自室に入ってきた。山のように積まれた手紙は、いずれもローゼンベルク公爵家の紋章が押された最高級の羊皮紙である。
「十二便目……。ジョセフ、帝都からこの屋敷まで、馬で丸一日かかる距離だったわよね? どうやってそんな頻度で届くの?」
「旦那様が帝国の『早馬ギルド』を一つ丸ごと買い取り、帝都から当家までの街道沿いに、十キロメートル間隔で最新の軍用馬と伝令係を配置されたそうでございます」
「国家の通信網を私物化しないでもらいたいわね……」
私は眩み覚える頭を押さえた。
手紙の束から一枚を適当に抜き取り、封を切る。
『我が愛しいクラリッサへ。
今、皇帝陛下との退軍事会議を終えたところだ。閣僚たちが北方防衛の予算について不毛な議論を戦わせている間、私の脳内は君の美しい微笑み(朝の冷たい視線)で満たされていた。
ああ、君に会いたい。君の踏みつけた床になりたい。君の吐き出した吐息を聞きたい。
追伸:今日の昼食のスープに君の姿が浮かんで見えたので、シェフに金貨十枚を下賜した』
「即座に破棄して頂戴」
「畏まりました」
ジョセフが手際よく手紙の山を回収していく。
まったく、彼がいない間も、彼の重すぎる愛の粒子が空気中を満たしていて息苦しい。だが、まあいい。あと二日だ。あと二日すれば彼が戻り、この無意味な早馬リレーも終わるのだから。
私が冷えた紅茶に手を伸ばそうとした、その時だった。
ズズズ……と、大地を揺らすような激しい地鳴りが響いた。
「な、何事ですか!?」
窓の外を見ると、敷地内の広大な乗馬コースを、猛烈な土煙を上げながら爆走してくる一騎の馬が見えた。馬の脚からは摩擦で煙が立っているのではないかと思えるほどの凄まじいスピードだ。
馬に乗っているのは、漆黒の軍服を身に纏い、銀髪を振り乱した男。
「まさか……」
ドゴォォォン!!
豪快な音を立てて、屋敷の正面玄関の扉が開け放たれる(あるいは壊される)音が響き渡った。続いて、階段を駆け上がる猛烈な足音。
「クラリッサぁぁぁぁぁっ!!!」
私の自室の扉が、左右に激しく叩き開かれた。
そこに立っていたのは、全身泥と汗にまみれ、胸のボタンを半分以上弾け飛ばし、野獣のように肩で息をするレナード・ローゼンベルク公爵その人であった。
「レ、レナード……!? あなた、五日間の予定じゃ……!?」
「クラリッサ……! ああ、クラリッサ……! 生きている……! 本物の君がそこにいる……!」
レナードは脱兎のごとき勢いで私に飛びかかってくると、そのまま私を力任せに抱きしめた。
「ぐあっ……! 息が……苦しい……っ!」
「すまない! だが、我慢できなかった! 五日間の公務など知るか! 昨夜、ゴドウィンが当家に乗り込んできたという報告を鳥便で受け取った瞬間、私の理性の糸はブツリと切れたのだ!」
「報告……? ああ、からくり人形の……」
「そうだ! 我が愛しい妻が、あの不潔な害虫に脅かされたと聞いて、どうして帝都で呑気に会議などしていられようか! 私は議場を飛び出し、愛馬に跨がり、不眠不休で馬を五匹乗り潰して駆け戻ってきた!」
「五匹も? というか、公務はどうしたのですか?」
「皇帝陛下には『妻が危機に瀕しているため帰還する。文句があるなら私を処刑しろ』と書き置きを残してきた!」
「最悪の国家反逆罪じゃないですか!!!」
私は思わず叫んだ。
この男はバカなのか。いや、バカなのは知っていたが、国家の最高司令官としての一線を軽々と越えていくバカだったとは。
「安心するといい、クラリッサ」
レナードの青い瞳が、すっと恐ろしいまでに冷たく澄み渡った。戦場で見せると噂される、氷血の処刑人の真の顔だ。
「ゴドウィン子爵家は、今夜中にこの世から消滅させる。私兵もろとも、領地ごと踏み潰してあげるよ。君に不快な思いをさせた罪は、死をもって贖ってもらう」
「待ちなさい!!!」
私は力任せにレナードの胸板を叩いた。硬い筋肉に手が痛んだが、構っていられない。
「私兵を派遣して他家を潰すなんて、絶対に許しません! そんなことをしたら、それこそローゼンベルク家が社交界で孤立してしまいます!」
「構わない! 君を害しようとした者を野放しにするくらいなら、世界を敵に回したほうがマシだ!」
「私が嫌だと言っているのです!」
私の怒声に、レナードはピタリと動きを止めた。




