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「相変わらず気高いお方だ! だがね、強がりはよしたまえ。知っているのだよ、レナード公爵と君の婚姻が冷え切った政略結婚であることくらい! あのような無骨で冷酷な氷血の処刑人に、君のような繊細な貴婦人が愛されるはずもない。君は生贄としてあの男に捧げられた哀れな犠牲者だ!」
(……はい?)
私は思わず首を傾げそうになった。
冷え切った……? 生贄……?
世間の認知とは、これほどまでに現実と乖離しているものなのだろうか。今朝も噴水でデカデカと愛を囁かれ、昨夜は生あくびの顔を画家に写生されたばかりの私に向かって、よくもまあそんな真逆の評を突きつけられたものだ。
「……子爵、一体何が仰りたいのですか?」
「ふふ、ローゼンベルク公爵は北方の軍事権を握りすぎている。我々伝統貴族としては、彼の専横を抑える必要があるのだ。そこでだ……君が我が方に協力し、公爵の書斎にある北方防衛の機密書類を渡してくれれば、私は君をあんな恐ろしい男の手から救い出してあげよう。我が家の第二夫人として、優雅な暮らしを約束するよ」
子爵はニヤニヤしながら立ち上がり、私に向かって手を伸ばしてきた。その背後で、私兵たちが威嚇するように剣の柄に手をかける。
あからさまな脅迫。そして、あまりにも愚かな提案。
私は心の底から冷め切った視線を子爵に向けた。
「お断りいたします。第一に、夫を裏切るつもりはありません。第二に、子爵……あなたのような方に救い出されるくらいなら、私は一生あのアホみたいに重い愛に押し潰されていた方がマシです」
「な……ッ!? なんだと!? この生意気な女め! 立場というものが分かっていないようだな! レナードがいなければ、君などただの無力な女だ! 力ずくでも……」
子爵が怒りに顔を真っ赤にし、私兵に合図を送ろうとした――次の瞬間だった。
ガタンッ!
応接室の壁の一部が不自然な音を立ててスライドした。
「ヒッ!?」
子爵たちが悲鳴を上げる。
壁の隠し扉から飛び出してきたのは――刃のように鋭い眼光をし、漆黒の軍服を纏った、あの男だった。
「だ、誰だ!?」
「クラリッサに……クラリッサに危害を加えようとする害虫はどこだぁぁぁっ!!」
地獄の底から響くような咆哮と共に、その男は猛然と躍り出た。手には巨大な軍用太刀。鋭い眼光は血走り、圧倒的な殺気が部屋中の空気を一瞬で凍りつかせる。
「レ、レナード公爵!?? なぜここに!? 帝都へ向かったのでは!?」
子爵が腰を抜かして床に転がった。私兵たちも恐怖のあまりガタガタと震え、剣を抜くことすらできない。
……だが、私は見逃さなかった。
その男の関節の妙な動きと、皮膚の不自然なツヤを。
「……ちょっと待ちなさい」
私が冷たく声をかけると、猛威を振るっていた「レナード」がビクリと動きを止めた。
私は歩み寄り、レナード(らしきもの)の耳の後ろを検分する。そこには小さな魔導結晶と、精巧なからくり仕掛けが組み込まれていた。
「……これ、今朝私が地下倉庫に封印させたはずの……【全自動防衛モード搭載・威嚇用レナード型からくり人形】ね?」
パカッと首の裏の装甲が開き、中から録音されたレナードの情熱的な声が響き渡った。
『クラリッサ! 私の留守中、君に危険が及んだ場合、この分身が自動で起動し、敵を血の海に変えるよう設定してある! ああ、君を守るためなら、私は人形にすら命を吹き込もう! 愛しているよ、クラリッサ!』
「……」
部屋に沈黙が流れた。
子爵とその私兵たちは、あまりの恐怖と、同時に漂う圧倒的な狂気に完全に気圧され、泡を吹いて倒れそうになっている。
「ひ、ひぃぃぃっ! 化け物だ! ローゼンベルク公爵は、自分の人形にまで魂を宿らせているのか!?? 狂っている、この屋敷の人間は全員狂っている!!」
子爵と私兵たちは、からくり人形が次の動作に移る前に、脱兎のごとく応接室から逃げ出していった。悲鳴と足音が遠ざかっていく。
静まり返った部屋。
残されたのは、私と、精巧すぎる夫のからくり人形だけだった。
「……ジョセフ」
「は、はい! 奥様!」
扉の陰で見守っていた執事が、冷や汗を流しながら前に出た。
「この人形の起動スイッチを入れたのは、あなたね?」
「も、申し訳ございません! 旦那様から『奥様が危険に晒されたら、地下の非常レバーを引け。さもなくばお前を処刑する』と固く命じられておりまして……!」
害敵を撃退できたのは良かった。怪我もなく、ローゼンベルク家の威厳も保たれた。
しかし、なんという不名誉な勝ち方だろうか。社交界には明日あたり「ローゼンベルク公爵邸には、夫の魂が宿った怪人形が徘徊している」という新手の都市伝説が広まるに違いない。
「クラリッサ! 愛しているよ、クラリッサ!」
からくり人形が壊れた楽器のように同じ愛の言葉を繰り返している。私は無表情で人形の背中にある強制停止ボタンを押し込んだ。
がくん、と首を垂れて沈黙するレナード人形。
「……まったく。不在の時まで、私を頭痛から解放してくれないなんて」
私は頭を押さえながら、倒れた椅子を直した。
けれど……ほんの少しだけ。ほんのほんの少しだけ、誰もいない部屋で守られたことに、胸の奥がわずかに温かくなったような気がした。
……ううん、気のせいだ。絶対に気のせい。あんな狂気の愛を受け入れたら、私の理性が壊れてしまう。
「アンナ! 今度こそ、この人形を頑丈な鉄の箱に入れて、重りを付けて池の底に沈めてちょうだい!」
「畏まりました、奥様。ですが旦那様が戻られた際、池の底から自力で引き揚げられる恐れがございますが……」
「……もう好きにしなさい!」
私の悲鳴のような叫びが、今日も夫の過剰な愛に包まれた大邸宅に虚しく響き渡るのだった。




