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第56話 終焉の足音

雪穂が目を覚ますと、なんだか妙に頭が痛かった。

きっと寝不足か何かだろう。彼女は顔でも洗おうかと、洗面台に向かう。

「……何これ?」

すると、左眼のあたりが何かピクピクとひとりでに動いているのだ。

今までこんなことはなかった。

異常な悪夢といい、もしかしたら自分に残された時間はもう少ないのかもしれないと、急に背筋が寒くなる。

「どうすりゃいいってのよ……」

そう考えてしまえば、急に怒りのような感情が湧いてくる。

何とかしてそこから目を逸らさなければ、もう自分を保てる気がしない。

雪穂はそのまま朝食を摂り、制服に着替え、学校に向かうことにした。


本当はこんなことしている場合じゃないのかもしれない。

だが、そうしなければもう差し迫ってくるかもしれない『日常の終焉』に、心を保てる気がしないのだ。


いつもの通りに授業を受け、いつもの通りに風子と会話をして、そして帰路を目指す。

この先、自分はどうするべきなのだろうか。

ルクシアと名乗る少女との出会いから、どうもすべてが良くない方向に進んでいる気がする。

そんなことを考えながら、雪穂は帰路を歩く。

30分とかからないはずの道のりが、どうも今の雪穂には長いものに感じてしまった。

眼球がピクピクと動くような気がするのも、どうにもそれが激しくなってきてしまったように感じ、更に雪穂のストレスは増大していく。


もう少しで家に着こうという頃に、雪穂はこの近くでは見かけない、しかし見慣れた顔を発見する。

「…あれ、尊さんじゃん。何してるの?」

「仕事だ」

「いや、仕事だろうとは思ってたけどさ…もしかして、この近くに悪魔でも出たの?」

「出た」

「なんというかほんとに……尊さん淡々としてるよね……」

悪魔との戦いは常に命のやり取りだ。

こういった戦いが何度も自分の家の近くで行われているという事実に、雪穂はもうすっかり嫌気が差し始めていた。


「そう見えるか?」

「というより、全然表情変わんないから何考えてるか全然わかんない」

「……そうか」

雪穂から見た尊は、常に表情の変わらない男だった。

普段通りに会話をしている時も、悪魔と戦闘をしている時も、常に変わらなかった。

言葉もあまりにも短いから、本当に何を考えているのかわからない。

黒崎とは別の意味で、少々接しづらい相手だと感じ始めていた。


「とにかく、今日はもう帰るといい」

「あー…そういやあたし、別に今仕事っていうわけじゃないんだもんね……」

日常生活でもたびたび戦いに巻き込まれるせいで、雪穂は今、尊と一緒に戦うことを考えてしまっていることを、自覚させられていた。

それに尊は自分よりもずっと強い。わざわざついていったところで、足手まといにしかならない。

「そうか、もう非番だろうと関係がないのか」

「そういうわけじゃないんだけど……!」

出来れば戦いなんて巻き込まれたくはない。

しかし、もうどこが戦場になるかわからない以上、そんなことは言っていられない気がしていたのだ。


そう言って、雪穂は帰路への道を歩み始めた。

「ついてこなくていいと言ったんだが……」

「いや、あたしの家。このへんだから。たまたま道一緒だったんだね」

「そういうことか」

どうやら納得したらしい。とはいえ、今度悪魔が出てしまったとしたなら、尊に任せてそのまま逃げてしまうというのも……。

そんなことを考えていたところに、彼女の前に異変が起きた。


儀式具が強く反応しているのである。


「………っ!!!!」

これまでにないほどの強い反応だった。

ルクシアと遭遇した時……いや、これ以上の強い反応だ。

「マズいな、今日の悪魔は一段と強いらしい」

「待って、これ思ったよりヤバいかも……!!」

彼女の頭によぎったのは、ルクシアと名乗るあの少女だ。

声だけで人を洗脳し、操るという能力を持った悪魔の少女。

雪穂は、まだその少女と戦ったことはない。しかし、儀式具のあまりに強すぎる反応に、彼女の背筋はすっかり寒くなっていた。


しかも、その気配はだんだんと強くなっていく。

「八坂さん、僕の後ろに下がっていてくれ」

「……わかった!」

おそらくは、悪魔がこのあたりに近づいてきているのだろうということに、すぐ気づく。

問題の相手は、もしかしてこちらを認識しているのだろうか?

偶然ということはないだろう。


「やあ君たち、こんな時間に何をしているんだい?」

「!?」

一切気配が感じられなかった。

気配すら感じられないままに、背後を取られてしまった。

「どうしたんだい、そんなに怖い顔をして。別におじさん、取って食おうってわけじゃないんだけどなぁ」

振り返った先にいたのは、いやに整った顔立ちをした中年男だった。

一見すれば20代後半程度にも見えるような若い顔立ちであるが、首筋や手は、年相応に皺が寄っていた。

雪穂たちに向けて微笑みかけているようにも見えるが、その奥にある悪魔特有の嫌な気配が、隠しきれていない。

そして、その中年男の顔に、どこか見覚えのあるような気がした。


「これは、桐野さん。どうしました?」

「いやぁ。雨宮くんがそうやってかわいい女の子を連れて歩いているものだから、声をかけたんだけど。

どうもそこの子は妙にピリピリとしているというか…僕は怪しいものじゃないんだけどねぇ」

尊の知り合いなのだろうか。

それに…桐野……という苗字は…まさか。

その時雪穂は、その桐野と呼ばれた男が『持っていた』異様なものに、目が留まる。


何せそれは、切り離された人間の頭部なのだから。


「尊さん!!この人ヤバイ!!逃げないと!!」

「それはわかっている。……だが、これはどう報告しようか」

「報告……って」

無表情だったはずの尊の顔に、初めて焦りの顔が浮かんだ。

「この男は悪魔になど憑かれていなかったはずだ!!!」

どういうことだろう。

伊織から聞かされていた男の異様な過去。

彼の推測からして、この男は悪魔に取り憑かれ異様な行動に出たのではなかったのか。

だが……切り離された人間の頭部を持ち歩くなどという、異常すぎる行動は間違いなくまともな人間のそれではない。

いや、まともではない人間だとしても、そうそう発想として出るものではない。


だとしたら……。


「いやぁ。悪魔の気配なんて消そうと思えば消せるというのに、君たちすぐ騙されちゃうんだから」

男の顔が歪む。


「僕はもう、桐野哲司、なんていう人間ではない。おっと……それを知っちゃったら、消さないといけないねぇ」

男の悪魔としての気配が、一気に増していく。

圧倒的なプレッシャーを前に、二人の心臓の鼓動は、早鐘のように激しく鳴っていた。

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