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第57話 蛇男

眼前の男が放つ、圧倒的なまでのプレッシャー。

雪穂も、そして尊も、そのプレッシャーを前に、少しでも気を張っていなければ、すぐにでも膝をついてしまうだろうと思えるほどだった。

「あれは僕が祓う予定だった相手だ」

「……尊さん、もしかしてあんなの相手にしようとしてたの!?」

「いや、違う」

顔に汗を浮かべながら、尊は首を横に振る。


「生首の方だ」


生首がゴトリと落ち、ベチャッという嫌な音を立てて道に転がる。

つい少し前まで生きていたであろう若い男性のそれは、恨みがましい目をこちらに向けていたように見えた。

「そいつを殺した目的はなんだ」

「目的~?んー?近づいたら暴れてきちゃってね、抵抗するから殺しちゃったよ。

あ、でも君たちその人に用があったんだっけ?あはは、そりゃ済まないことをしちゃったなぁ!」

それなりに年齢を重ねた男性には見合わぬ、まるで幼い少年のような口調で、男はケタケタと笑う。

間違いない、この男に会話は通じない。


「尊さん。とりあえず、今あったことだけ報告して逃げよう」

「そうだな、まずは黒崎さんに伝え……」

尊からの返事が、突如途切れる。

それもそのはず、その瞬間尊は、腹を押さえて蹲っていたのだから。

「んぐっ……!!」

「人の顔見て逃げようだなんて、失礼だと思わないのかい?」

男はいまだにケタケタと笑ったまま、そこに立っているばかりだ。

一体尊に向けて何をしたのか、雪穂には視認できなかった。


「………あの男、とんでもない速さで殴ってきた」

「えっと…それって……」

「僕が視認できないほどの速度だ」

尊ですら全くついていけないほどの、圧倒的な相手の力。

だが、それでもなお男は余裕の表情でその場にいた。

「尊さん、下がってて」

「…もしかして、やる気か……?」

ほとんど勝てる見込みはない。だが、悪魔の力を扱うことのできる自分ならば。

新たな力に目覚めた自分ならば。何とか男にあらがえるかもしれない。

雪穂はそう考えながら、男へと対峙した。


「なんかベラベラ語ってるみたいだけどねぇ、あたしの方は見えてないのか、って言いたいんだよね!!!」

啖呵を切りながら、雪穂は儀式具の刃を振り上げる。

相手は悪魔に憑かれている存在だ。

それならば、間違いなくこれは通じる……だが……考えが甘かった。

「ぐぅっ!!!!」

突如、右腕に走る鋭い痛み。男に振り払われたのだと気づいた瞬間には、男はまだ余裕の笑みを浮かべていた。

「へー、君も僕の敵になるんだ。ひどいなぁ。それに、僕の子供たちのことだって、君は知って……」

「うるさい!あんたみたいなやつが……父親面、するな!!!!」

そう応じた雪穂の眼は、既にまた黒く染まっていた。

「そうか……君も同じだ、君も同じように、悪魔に憑かれた人間だ!!悪魔に憑かれながら、理性を保っている人間だ!!」

男はそれを見て、何故か歓喜していた。敵であるはずの雪穂の姿を見て、狂ったように喜んでいた。


殴打なのか、あるいは別の攻撃なのか。男は雪穂に対して、何度か打撃を繰り出す。

だが、どういうわけなのか雪穂は意にも介さず、男に向けて一直線に向かっていった。

「あたしさぁ、あんたみたいな会話通じないやつが、一番大嫌いなんだよ!!!」

刃が男を一閃した。

間違いなく、刃が肉を裂くような手ごたえがあった。

「いいねぇ……実に君を味方に引き入れたくなったよ……」

だが、男はそれを受けてもなお、同じようにケタケタと笑っていた。

「効いてない…?それに、仲間って……!!」

「でも、言うこと聞かないなら、ちょっと無理やり行くしかないかなぁ…?」

男は懐から、何かを取り出す。


それが何かを確認する間もなく、雪穂はさっと身をよじった。

避け切れなかった彼女の長い髪が、切られて宙を舞う。

「ナイフとか持ち歩いてんなら…早めに行ってくんない?」

男の取り出したものの正体を、雪穂はようやく視認する。

「言わないよ。わざわざ言う義理があると思うかい?」

「言われてみればないけどさ、武器まで持ち込んでくるのは…厄介だね!!」

雪穂は自分の中で、悪魔の力が増幅してくるのを感じる。

だが、それほどまでに、目の前の男を倒したいと、その衝動が、己の中で叫び続けていた。


「そういう勇ましい子は好きだけどさぁ……、正直……ぐぅっ!?」

雪穂に向けて近づこうとした男は、突如背後から鳴った衝撃音に振り返る。

「彼女だけだと思ったか?」

「不意打ちは卑怯じゃないかい…?ねえ!?卑怯だよ!?ねえ!!!??」

男はずいぶんと動揺しているようだった。

だが、尊はそうやって取り乱す男にも目を向けず、拳で打撃を繰り出し続ける。

「悪いが」

肉を打ち据える音が、街道に響き続ける。

「僕のやっているのはスポーツじゃない」

尊の拳が、男の鳩尾に命中する。普通の人間ならば、おそらくこの段階で声も出せずに昏倒することだろう。


そう、普通の人間、ならば。


「そうか……そうか……」

ずいぶんと攻撃を受けただろうに、男は追い詰められながらも、まだ笑いを浮かべたままだった。

…いや、よく見れば、追い詰められながらも、何とか己を保とうとして笑っている…ようにも見えたが。

その姿が、どうしようもなく不気味だった。

「君たち…思ったより実力あるんだねぇ……?これは、これは本気を出さないといけないなぁ……」

男の身体から、何か禍々しい気配が発せられ始めた。


男の姿が変わる。

身体には鱗のようなものが生え始め、瞳孔はまるで爬虫類のように縦長のものへと変わる。

だらしなく伸ばした舌が、どんどんと人間ではありえないほどに細く、長く伸び始める。

中年男の身体のはずだったそれは、まるで人間と蛇をかけて混ぜ合わせたような姿と変わった。

「僕はねぇ……力を貰ったんだ。もう普通の人間としては生きられないから、より強い悪魔になるためにねぇ!!!」

まさしく『蛇男』でも形容すべき姿になった男は、すっかり爬虫類のそれになった目で雪穂と尊を見据える。


「蛇…となると、もしや『嫉妬』か?」

「詳しいんだねぇ、でも、そんなものはもう関係ないよ、何せ君はここで死ぬんだからさぁ!!!」

男がこれまで以上の速度で、尊の方へと向かってくる。

尊はそれに対応しようと、身体をよじって反応しようとする…だが。

「遅いよ、君……」

男がそう言い放ったと同時に、尊は血を流しながら、その場に倒れ伏した。

一体、何が起きたのかわからないといった表情で、雪穂の方を見ながら。


「尊、さん……っ!!!!!」

絞り出すような雪穂の必死の叫びも、最早彼には届かない。

「僕の方、ちゃんと見てもらわなきゃ、困るなぁ……?」

粘着質な声で語りかける男に反応して、雪穂は後ろを振り返る。


だが、もう遅かった。

眼前に噴き出た赤黒い血が、己の首筋から流れ出たものだったことに気づいた瞬間、雪穂の意識は暗転し始める。


その時、雨粒が、倒れ伏した2人の身体に、打ち付けるように容赦なく降り注いだ。

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