第99話 猫の手と夜明けの足音
目を覚ましたヨルは、身体を起き上がらせようと試みた。だが、ツキノワが投与した薬に身体中を蝕まれ、思いのほか力が入らない。
「…………。」
ミケが、心配そうにその顔をのぞき込んでいる。
「ヨル……様……。」
一方、サンズイは警戒を緩めず、愛刀【緑葉】を構えたままじりじりとヨルに近づいていく。
「ヨル……。いくつか質問に答えてもらうぞ……」
サンズイは冷徹な視線を向けたまま、ヨルの首元に【緑葉】の切っ先を突きつけた。
「あぁ……。すべて話そう……」
ヨルは抵抗することなく、静かに息を吐いた。
「一時的とはいえ、ツキノワに同化していたことで、俺はたくさんの過ちに気がついた……」
その表情は、憑き物が落ちたかのように穏やかだった。
「日ノ本に、いや、この忍の世に危害を加えるような気配があれば、俺がこの場で斬り捨てる」
「好きにしてくれ……。俺は、罪もない人々を殺した……」
ヨルが自嘲気味に呟いた瞬間、キザムがサンズイの刀を引かせるように、【緑葉】とヨルの間に割って入った。
「まぁまぁ、サンズイ。まずは話を聞かせてもらおうぜ」
サンズイは少しムッとした表情を浮かべたが、やがて渋々と刀を下げた。
「さぁ……、どこから話そうか……」
その場にいる全員が、息を呑んでヨルの次の言葉を待っていた。
「そうだな……。10年は昔のことだ。そこにいるジャミ、そしてその女3人も知っている、【ミナストリア】から始まっていた……」
その都市の名前が出た瞬間、トウコ、ナナシ、チユの身体がピクリと硬直した。
どれほど過去のトラウマを乗り越えたつもりでいても、不意にその名を耳にすれば、身体が反射的に恐怖を思い出す。
「あそこでの実験でさえも、すでにツキノワが関わっていた……。ヤツは自分だけの命令を聞く兵士を作るため、【ミナストリア】の研究員の1人に化け、幼い少年少女たちを使って実験を繰り返していた。だが、あるくノ一によってその研究施設は破壊された」
ヨルは遠い過去を見つめるように、淡々と語り続ける。
「施設は崩壊したが、ツキノワは生き延び、そこで生き残った1人の少年を連れ出し、次は【アメルイースト】の施設に潜り込んで実験を続けた。さすがは軍事大国【アメルイースト】、その実験の成果は【ミナストリア】にいた頃よりも格段に上がっていった。そこでの被検体第1号こそが、そこにいるジャミだ。だがやがて、ジャミは失敗作として捨てられた」
名指しされたジャミは、表情ひとつ変えず、その蛇のような細い目でヨルをまっすぐに凝視していた。
「やがて、【アメルイースト】の里長に非道な実験がバレ、逃げるように【ミナストリア】へ戻り、【アメルイースト】と【ミナストリア】の技術を掛け合わせ、俺たちが被検体とされた。それだけでは終わらず、あとはお前たちも知っているように、俺たちを実験に使ったのは【アメルイースト】と【ミナストリア】だと刷り込んで戦争を促し、自身が持つ【能】の文字に細工をして【熊】と読ませ、自分も被害者の1人であるかのように装い、俺たちと共に復讐者として共に行動していた……」
聞いていたクノが、耐え切れず率直な疑問をぶつけた。
「でも……誰もツキノワの顔とか声とかで、気づかなかったの……?」
「お前たちもヤツと戦ったなら分かると思うが、ヤツの持つ【能】は、その空間内では姿も声もすべて別人を演じることができるからな……。俺たちもまさか、こんなに近くに、本来復讐すべき対象が潜んでいるとは思いもしなかった……」
「そうだよなぁ……アイツの術って、ホントになんというか、ズルいよな!」
キザムがいつもの調子で相槌を打つ。しかし、サンズイはその無邪気なリアクションを切り裂くような、凍てつく声を発した。
「お前が持つ情報はそれだけか? 話せるうちは、話せるうちに話しておくといい……」
サンズイは再び尋問するように、ヨルの首元へ切っ先を寄せる。
「あぁ……。お前たち、いや……全世界の忍たちには、本当に申し訳ない事をした……。ただ……一つだけ、頼みを聞いてはくれないか……」
「この状況で、頼みだと……? 何を言い出すかと思えば」
サンズイの握る柄に、さらに力がこもる。
「サンズイ、まぁ聞いてみようぜ。言ってみろよ、ヨル。その頼みってやつをさ!」
キザムに促され、ヨルは静かに目を伏せた。
「俺の事はいい……。だが、そこにいるミケを含め、まだ生きている者たちを助けてやってくれないか……。すべては、俺が巻き込んだことなんだ……」
それを聞いたサンズイの目つきが、さらに険しく変わる。
「……助けろ、だと?」
笑わせるな、と言わんばかりの冷たい空気が張り詰める。
ミケはサンズイのただならぬ殺気に気圧され、自分もここで処分されるのだと思い込んで小さく肩をすくめた。だが、その震えを察したチユが、そっと彼女を優しく抱きしめる。
「そんなの……当たり前だろ!」
その場に響いたキザムの声に、全員がハッと息を呑んだ。
「そりゃあ、俺たちだって自分の身を守るため、時には任務で人の命を奪うこともあるさ。これ以上里や仲間に危害を加えるようなら容赦しねぇ。けどな、前を向いて生きていこうってヤツらの命まで奪う権利は、俺たちにはねぇよ!」
「おいっ、キザム!」
サンズイは怒りの矛先をキザムへと向けた。
「何を言っている! コイツらに、里を、仲間を、それに家族を……!」
「もちろん、分かってるよ。けどさ、もう戦争は……戦いは終わったんだ。これ以上、無意味な被害者を増やす必要なんてないだろ」
「だが……!」
そのピリついた空気を断ち切るように、トウコが穏やかに微笑んで口を開いた。
「サンズイはん、もうええよ。ウチらのためなんやろ? ウチらの中からトラウマを完全に消し去るために、そう言ってくれはってんねやろ? ウチらはもう大丈夫やから……なっ」
トウコに諭され、サンズイは少し不満そうに眉間を寄せたが、それ以上は何も言い返さなかった。
静まり返った空気を破るように、ジャミがスッと一歩前に出た。
「まぁ、この件の経緯も含めて里長に報告したいところだけど、その里長ももういないし、里もこんな状態だからね。まずは生き残っている者たちの生存確認と、里の復旧作業が第一優先だ……。ヨル、君も手を貸してくれないか?」
「いや、俺はこのまま……」
「なに、人手が足りないんだよ。猫の手も借りたい状態だからね」
その言葉に、ミケがパッと顔を輝かせた。
「猫の手……だったら、任せるニャ!」
チユは苦笑しながらも、愛おしそうにミケの頭に手を置いた。
「この場合は、そういう意味の比喩ではないんだが……。まあ、ミケの手も必要だよ」
チユの優しい声が、張り詰めていた現場の空をそっと和らげた。
終わらない過去の呪縛が解け、傷だらけの者たちがそれぞれの明日へと歩み出す。
戦いの果てに訪れた静かな夜明けの下、彼らの新たな未来が、今、静かに始まろうとしていた。




