第98話 黒白の終焉
触れただけで皮膚が溶けだしそうなほどの高温の【炎】を纏ったキザムは、クノの障壁の隙間を縫う様にして、ツキノワの前へと繰り出した。
「炎……。俺の炎……。ようやくこの手に……。」
狂喜に歪むツキノワの瞳に、キザムの姿が映る。
しかし、その表情に迷いはなかった。
「ツキノワ、お前はたくさんの人々を傷つけた。許す訳にはいかない。」
キザムは落ち着いた口調で続けた。
「俺の最期の【炎】で天に召されるといい。」
己の野望が目の前で叶うという焦燥と、その直前に放たれたキザムの冷徹なまでの慈悲に、ツキノワは激しい苛立ちを覚える。
「ぐわぁっ!」
突如、ツキノワの胸を食い破る様に、鋭い槍状の無数の触手が禍々しい音を立ててキザムへと襲いかかる。
キザムは両足に宿した【炎】を推進力にし、紙一重で無数の触手を避けていく。
(これも【能】による術か……。どうしても俺の息の根を止めたいらしいな……。)
その激しい攻防を、離れた場所から見守っていた者たちがいた。
トウコに支えられていたサンズイが、空間の微かな歪みに気付く。
その瞳に宿るのは、戦慄の色だった。
「キザム、避けろっ!」
キザムはサンズイの声に気付くも、それより早く、背筋を凍らせる衝撃が走った。
――気がついた時には、見えない何かに腹を貫かれた後だった。
「がはっ……!」
キザムは悲痛な叫びと共に、どす黒い血を吐き出した。
「キザムっ!」
(触手は全部避けたはずだが……。一体、どこから……っ)
「サンズイはん!キザムはんになにが起きたんや……!?」
サンズイは血の気が引いた顔で、目の前の光景を睨みつける。
「……クソっ、遅かったか。キザムの目の前にいるツキノワは……幻術によるものだ。おそらく自分の姿を背後の景色に同化させ、完全に気配を消した本物の本体が、その見えない触手でキザムを貫いたんだ……!」
「そないなこと……。ほんなら、キザムはんはどないしたら……!」
「終わりだ……。キザムがあの状態では……おそらく……。」
サンズイはそれ以上言葉を紡ぐことができなかった。
トウコはその残酷な宣告に息を飲み、絶望感に体が震える。
「【炎】が……。ようやく……この手に……ハハ、ハハハハッ!」
腹部から流れ出る血と激痛により、キザムの意識が遠のいていく。
それでも、彼は残されたわずかな意志の力で、その足を踏みしめた。
キザムの腹には、いまだに見えない触手が深く突き刺さったままだった。
「はぁ……はぁ……ざけんな……。これなら……もう逃がさねぇぞ……!」
そういうとキザムは、身体に残る全ての【古代文字】を限界を超えて絞り出し、渾身の2色の【炎】へと込める。
迸る【炎】の色は、すべてを飲み込むような底知れぬ漆黒と、闇を切り裂くような澄んだ純白が、複雑に、そして美しく入り混じっていた。
「ツキノワ、お前の野望もここまでだ。――終わりだぁっ!」
キザムは腹に触手が刺さったまま、両足の【炎】の爆発的な推進力で、見えない本体のツキノワへと一気に肉薄し、渾身の一撃を叩き込んだ。
「――っっっ……!!」
ツキノワは今まで聞いたこともないような断末魔の叫びと共に、キザムの放った二色の【炎】によってその身を飲み込まれていく。
「こんな……事が……あり得るものかぁぁっ……!」
その絶叫の最中、ツキノワの口から何かが吐き出された。
それは、かつて実験体として薬を投与される前の、本来の姿のヨルだった。
ツキノワの肉体はキザムの最期の【炎】によって跡形もなく焼き尽くされ、その醜い野望の魂は、灰となって天へと還っていった。
「はぁ……はぁ……はぁ……っ」
すべてを出し切ったキザムは、糸が切れた操り人形のように、そのまま硬い地面へと崩れ落ちた。
「キザムっ!」
誰よりも早く駆け寄ったのはクノだった。震える手でキザムを抱き起こし、ありったけの魔力を込めて治癒を施す。
「最後の最後で油断なんかして、ホントっ……バカなんだからっ……!」
大粒の涙を零しながら放つクノの治癒によって、キザムの腹の致命的な穴は、奇跡のようにみるみる塞がっていく。
「わりぃ……。でも、結果的に……助かった訳だしさ……」
「本当に……大バカっ……!」
言葉を詰まらせながら、クノは倒れ込んだままのキザムの冷たくなった唇に、そっと自分のそれを重ね合わせた。死の恐怖を乗り越えた先にある、確かな体温だった。
少し離れた場所では、トウコに肩を借りながら、サンズイが息を切らしてキザムたちの元へと歩み寄っていた。
「まったく……もうダメかと思ったぞ……。」
サンズイの声を聞き、クノはハッと正気に返り、顔を真っ赤にして慌ててキザムの唇から離れた。
「へへっ、サンズイ、ありがとな……! お互いボロボロだけどさ、勝ったんだな……俺たち。」
「礼を言うのはこっちの方だ。よくやってくれた、キザム。」
「これで……ホンマに全部、終わったんやな……。」
ずっとサンズイを支え続けていたトウコは、緊張の糸がプツリと切れたように、その場にへたりと座り込んだ。
その時――。
静まり返った空間に、遠くから重く響く足音が聞こえてきた。
トウコは反射的に、サンズイが持つ【紅葉】の柄に手をかけ、臨戦態勢をとる。しかし、足音の主たちの姿が闇の中から浮かび上がってくると、トウコはその手をそっと刀から離した。
足音の主は、ジャミたちだった。
限界まで体力を使い切り、チユの肩を借り、体を引きずりながら歩いてくるジャミ。その隣では、ナナシとミケが周囲を鋭く警戒しながら進んでいる。
「急に目の前からヨルが消えたから、こっちが心配になってね。……無事だったかい?」
「ジャミ……! お前、生きてたのか!」
「おかげさまでね。彼女たちがいなかったら、今頃どうなっていたことか。」
「ホントだよ。アタシらが間に合わなかったら、全滅してたかもねぇ。」
「お前たち……。あの化け物ツキノワを本当に対退しちまうとはなさすが未来のアタシの弟子達だ。……よくやった。」
「あれ……? あそこで倒れているのって……ヨル様ニャ……!?」
戦いの激しさと熱狂のあまり、ヨルがツキノワの体から吐き出されていたことに気付いていた者は誰もいなかった。
キザムはふらふらと立ち上がり、その左手に【炎】の文字を書き上げようと試みたが、何も起こらない。
その様子を遠巻きに見ていたサンズイは、微かな違和感を覚えたが、激しい疲労によるものだろうと自己解釈し、【緑葉】を杖代わりに力なく立ち上がった。
「待てくれニャ……! ヨル様もあのツキノワに騙されて、いいように利用されていただけなんだニャ……!」
「だからと言って、このまま生かしておく訳にはいかない……。」
サンズイは血走った目を向けながら、よろめきつつもヨルへと近づいていく。
「待て、サンズイ。ミケの言い分も一理ある。すぐに処分するんじゃなく、少し待ってくれないか。」
キザムがサンズイを静止する。
「そうだお姉様……私、自分の限界まで治癒を使ってしまったから、今のサンズイの体を完全に治療できていないの……だから……!」
「アンタも本当に、よく頑張ったね、クノ。」
チユはクノの頭を優しく撫でると、その足でサンズイの元へ歩み寄り、手際よく高速治癒を施した。
「……ふぅ。これなら、仮に奴が暴れられてもなんとかなるか。チユ、悪いがヤツを、話が出来る程度に治癒してやってくれないか?」
「あいよ、任せときな。」
チユは倒れているヨルに微力の治癒の光を注ぎ込んだ。
ピクリ、とヨルの指先が微かに動く。
長きにわたる激闘の果てに訪れた静寂の中、物語は新たな未来に進み出そうとしていたーー。




