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第96話 揺らめく炎

研究所の瓦礫を突き破り、ヨルをその身に完全に同化させたツキノワの姿は、もはや原形をとどめていなかった。

背中からは羽音が不気味に響く巨大な隼の翼が広がり、下半身は毒を垂らす蛇の尻尾と俊敏な虎の脚、そして上半身はすべてを押し潰す熊の筋肉へと変貌している。複数の猛獣が継ぎ接ぎされたそのキメラの巨体は、ヨルの質量さえも取り込んだことで、圧倒的な破壊力を纏っていた。

「この世は全て……俺の思い通りに……ッ!」

理性はすでに濁り、知性は以前よりも鈍化している。しかし、その肉体が放つ暴力の余波だけで、周囲の空気が裂け、腕を一振りするだけで嵐のような突風が巻き起こる。それは、もはや自然災害そのものだった。

「サンズイっ……!」

キザムは何かを叫ぼうとしたが、喉まで出かかった言葉は激しい動揺にかき消され、綺麗に繋がらなかった。

「……これは予想外だ。一先(ひとま)ず、クノとトウコを安全な所へ!」

サンズイはキザムの肩を叩き、二人を連れて一刻も早く戦域から離れようと走り出す。しかし、限界を超えた術の連続使用と激しい消耗により、サンズイの膝から力が抜けた。

バキリ、と足がもつれ、彼はその場に崩れ落ちる。

「サンズイ!」

キザムが振り返り、すぐに駆け寄る。

「キザム, 行け……俺の事はいい。トウコを……頼む」

サンズイは愛刀【緑葉】を杖代わりに必死に立ち上がろうとするが、足はすでに自分の意思を失っていた。踏み出すことすらできない。

その背後から、ドシン、ドシンと、大地をえぐるような巨大な足音が迫る。キメラと化したツキノワが、狂気の目でこちらに近づいてきていた。

「サンズイ……」


キザムの顔に、苦渋の決断の色が浮かぶ。


キザムはサンズイから背を向け、クノたちがいる方向へと走り出した……かに見えた。しかし、その足は突如として逆方向、すなわちツキノワの正面へと向きを変える。

「キザム, よせっ……!」

サンズイの脳裏に、まさかという焦りが走る。逃げるための方向転換ではなく、自らを囮にして全員を生かすための特攻だと気づいた瞬間だった。

クノとトウコもまた、キザムが敵の真ん中へと駆けていく背中を目撃した。

「キザムはん! なにを……っ!」

「あのバカ……! トウコさん, サンズイを!」

クノはすぐにサンズイの元へ駆け寄り、トウコと共にその肩を貸してその場から引き離そうとする。

しかし、クノの足は止まらなかった。トウコにサンズイを預けると、彼女は涙を拭うのも忘れてキザムの後を追う。

(もう1人にしないでって……! 私を置いてかないでって、そう言ったじゃない……!)

溢れる涙で視界が歪む。キザムの爆発的なスピードについていくことはできず、二人の距離は絶望的に開いていくばかりだった。

「ツキノワ! 俺が相手だっ!!」

キザムは両手に宿した二色の【炎】を全身全霊で噴き上がらせ、その凄まじい推進力を武器にキメラのツキノワへと肉薄した。

「【炎】……ほしい……!」

ツキノワが濁った瞳を光らせ、無造作に右手を大きく振り下ろす。

発生した凄まじい風圧が地面を割り、キザムの身体を吹き飛ばそうとするが、キザムは足元の【炎】を爆発させて必死にその場を踏み留まった。

風圧を凌ぎきった瞬間、キザムは残されたすべての力を左手の拳に集中させる。

「オラァァァァッ!!」

二色の濃密な【炎】を纏った渾身の一撃が、ツキノワの胴体へと直撃した。

――ドゴォッ!!

激しい爆発音と同時に、周囲の空気が凍りつくような「鈍い音」が響き渡る。

キザムの悲痛な叫び声が林に木霊した。

それは、ツキノワの異常なまでに強化された硬質な体表に触れた瞬間、キザムの左手の骨が粉々に砕け散った音だった。

「ガッ……あ……っ!」

「【炎】……。ほしい……。よこせ……」

圧倒的な防御力を誇るキメラのツキノワは、わずかに体を揺らしただけでびくともしない。彼は獲物を捕らえるように両手を伸ばし、懐に飛び込んできたキザムを掴み取ろうとする。

キザムは死力を尽くした推進力で、かろうじてその巨大な手のひらをすり抜けたが、痛々しくひしゃげた左手からは、止めどなく鮮血が滴り落ちていた。

「俺の……全力が, 効かないってのかよ……ッ!」

絶望が全身を駆け巡る。キザムは震える右手で, もう一度2色の【炎】を宿そうと必死にチカラを引き絞る。

しかし, 彼の右手に現れたのは, かつての未完成な――白く輝く【煌炎】の光だけだった。

「どうしてっ……!? なんでだ……っ!」

焦りと恐怖に顔を歪めるキザムの目の前に, 巨大な影が覆い被さる。隙を突いたツキノワの反撃の爪が, すでに間近まで迫っていた。

「よこせ……。俺の【炎】を……」

反応が遅れた。もはや, 避ける余地などどこにもない。

(……やられる……)

キザムはすべてを悟り, 静かに瞼を閉じた。

仲間たちの顔が, 温かい思い出が走馬灯のように脳裏をよぎる。

冷たい風が吹き抜ける戦場で, キザムの小さな身体が, 圧倒的な闇の巨人に飲み込まれようとしていた――。

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