第94話 舞台のからくり
ガラスが砕けるように幻術の空間が消え去った後も、ツキノワの表情には焦りの色一つ浮かんでいなかった。彼はただ静かに微笑みながら、目の前に立つキザムたちを見据えている。
「理屈はどうあれ、まさか俺の『能』を自力で完全に破壊するとはな……。いやはや、面白い。ますますその『炎』に興味が湧いてきたぞ」
ツキノワの本体が、不敵な笑みを浮かべながら堂々とキザムたちの前へと姿を現す。
その気配を捉え、サンズイは瞬時に愛刀を構え直した。
「もう二度と、逃がすつもりはないぞ、ツキノワ」
「お前もしつこい男だな。俺が興味あるのはキザムだけだ。部外者はすっこんでろ」
冷たく言い放つと同時に、ツキノワが右手を軽く空へと切る。その暗い軌跡から、再びおぞましい気配を纏った「ヨル」の姿をした化け物が這い出してきた。
「その手はもう効かん! キザムッ!」
「おうっ!」
サンズイの叫びに合わせ、キザムは大きく息を吸い込み、先ほどと同じように2色の【炎】を左手に集中させて一気に解放した。
白と黒の混ざり合う烈火は、一直線に地面を焼き焦がしながら、突進してくるヨルへと直撃する。
「茶番は終わりだ、ツキノワ!」
キザムの怒号とともに炎が爆ぜる。しかし、ツキノワの口元は相変わらず静かに笑ったままだった。
炎がヨルの巨体を完全に呑み込み、猛火に包み込んでいるというのに、ヨルはその身を焦がしながらも一歩たりとも怯まず、凄まじい殺意を宿したままサンズイへと前進してくる。
「なっ……! ヤツの幻術じゃないのか……!? これが本物のヨルだとしたら……ジャミ達は……!」
サンズイの脳裏に、かつて共に戦った仲間たちの安否を案じる鋭い不安が走る。
「勘違いするなよ。俺の『空間』を破った気でいたようだが、所詮さっきまでのは仮初めの小手調べにすぎん。『能』の本当の恐ろしさを、お前らは甘く見過ぎたな」
ツキノワが冷ややかに嘲笑う。
キザムは額に汗を浮かべながら、次の【炎】を再び左手の掌に宿しつつ歯噛みした。
「クソっ……! ツキノワには、弱点はないのかよ!」
(落ち着け……。ヤツの行動パターンをよく思い出せ。攻撃はすべて透かされる……。現実離れした幻術……。そして、闇からの召喚……)
極限の戦場の中で、サンズイの頭脳が猛烈な高速回転を始める。
すべての違和感、すべての理不尽な現象がパズルのピースのようにカチリと音を立てて噛み合った。
「――『能』……。そうか、名は体を表すとはこの事だな。ついに、お前のそのチカラの正体が掴めたぞ、ツキノワ」
サンズイが確信に満ちた声を放つ。しかし、ツキノワは自身の術の正体が暴かれるなど微塵も思っていない様子で、鼻で笑うようにたかをくくっていた。
「ほう……? 分かったと言うなら、聞かせてもらおうか」
「お前の『能』とは、すなわち『舞台』だ! その空間内では、お前自身が思い描き、望む通りの物語へと、現実そのものを書き換えて変換できる!」
キザムは目を見開いた。
「サンズイ……? 一体、何を言ってるんだ?」
クノとトウコもまた、急に語り出したサンズイの理論についていけず、戸惑いの表情を浮かべる。
「サンズイはん、急に言われてもウチらにはさっぱりやわ……。もうちょっと分かりやすく教えておくれ」
トウコが心配そうに尋ねると、サンズイは鋭い視線をツキノワに向けたまま早口で説明する。
「つまりだな、ヤツの空間内では、こちらが攻撃を仕掛けても、ヤツが『当たらない』と強く望めば攻撃はすり抜け、透かされる。ヤツが『分身したい』と思えばその身から無限の分身体が生まれる!」
「でも、それだと……! あのヨルの存在は何なの……!?」とクノが叫ぶ。
「恐らくは、本物のヨルの本体をこの空間内へと呼び寄せると念じたのだろう。つまり、ヤツはこの空間の支配者である以上、そこにいる限りは理論上『無敵』なのだ……!」
「そんなの……じゃあ、どうやって勝てばいいのよ……!」
クノとトウコは、あまりにも絶望的な真実に顔を蒼ざめさせ、絶望に満ちた表情を浮かべる。
しかし、サンズイの瞳に宿る光は消えていなかった。
「……いや、攻略法はある。そこでキザムの出番だ。キザムの持つ新しい【炎】の破壊力なら、ツキノワが物語を描く暇すら与えず、空間ごとこの世界から消滅させることができるはずだ!」
「でもよ、また攻撃を透かされたら意味ねぇだろ……!」
「お前一人で仕掛けるならな……。だが、俺がヤツの『物語の構築』を断ち切り、絶対に外せない隙を作ってみせる。キザム、お前はありったけの全てを、あの野郎へぶち込め!」
「……わかった! サンズイ!」キザムは力強く頷いたが、すぐに表情を引き締める。
「でも、目の前のヨルはどうするんだ……!」
「クノ、トウコ! あの化け物の足止めを頼む! 倒さなくていい、あくまで時間を稼ぐための足止めだけだ。俺たちがツキノワを片付けたら、すぐに加勢に向かう!」
クノは一瞬息を呑んだが、すぐに覚悟を決めたように力強く唇を噛み締めた。
「……わかった、やってみる! でも、トウコさん、丸腰じゃ危険すぎるんじゃ……っ!」
「何を言うてんの、クノはん!」トウコは凛とした笑みを浮かべ、素早く臨戦態勢に入る。「ウチは刀がないと戦えない程、ヤワやない! 致命傷を与えられんでも、あの化け物の足を止めるくらい訳ないわ!」
「クノ、トウコさん、頼む! 気をつけてくれよ!」
「ああ、任しとき!」
サンズイは二刀をしっかりと握り締め、キザムと背中合わせに立つ。
「これが正真正銘、最後の戦いだ……! 全員、自分のやるべき事をやり遂げろ!」
理不尽な「舞台」を支配する絶対的な主役を討ち取るため、最後の反撃の狼煙が、今、熱く激しく燃え上がり始める——!




