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第87話 虚ろな凶刃

冷たく湿った空気を切り裂くように、サンズイ、トウコ、クノの3人は【古代文字研究所】へとひた走っていた。サンズイとトウコの足元には術式【wind】が眩く輝き、二人の身体を爆発的なスピードで加速させている。クノはサンズイの小脇に抱えられるようにして、必死にしがみついていた。

(間に合ってくれ……!)

サンズイの胸中には、焦燥と嫌な予感が渦巻いていた。

湿地帯の林を抜け、目の前が開けた瞬間、クノの目に飛び込んできたのは、息を飲むどころか、精神を破壊されるような悪夢の光景だった。

そこにヨルの姿はなかった。代わりに、ツキノワの冷酷な手刀が、キザムの胴体を深く、容赦なく貫いていた。

「なんだ、かんだと騒ぎ立てても所詮はこの程度……呪術、【炎】を持つに相応しくない」

ツキノワは冷徹に吐き捨てると、刀を払うかの如く、キザムの胴から右手を抜き去った。次の瞬間、キザムの身体は脱力した人形のように、泥の地面へと力なく叩きつけられた。

「……キザム。……キザムっ……嫌ぁぁっ!」

クノの悲痛な絶叫が、湿地帯の冷たい空気の中に木霊する。

「ツキノワ、貴様っ……!」

激昂したサンズイは愛刀【緑葉】を抜き放ち、猛然とツキノワへ斬り掛かった。

しかし、突然の奇襲にも関わらず、ツキノワは振り返りもせず、片手でその刀を雑に薙ぎ払う。

「貴様、生きていたのか……。だが、もう遅い。キザムは死んだ。その【炎】は俺が貰う」

「サンズイはんっ! 落ち着いて!」

トウコは悲鳴を飲み込み、クノと共にキザムの元へと駆け寄ると、これ以上攻撃に晒されないよう、林の入口へと必死の形相でキザムを引きずっていく。

「こんな状態で落ち着いていられるかっ!」

サンズイは体勢を立て直すと、再び緑葉を振るって斬りかかる。だが、ツキノワの身体はなぜかその軌跡をすり抜け、サンズイの刀は空を斬るばかりだった。

「本当に、無駄なことが好きだな、貴様らは。何度やっても同じことだ」

一方、林の入口では、クノが血にまみれた手で必死の蘇生を試みていた。腹部に空いた致命的な大穴に手を当てて『治癒(ヒール)』の光を注ぎ込み、止まった心臓を動かすために必死で胸骨圧迫を繰り返しながら、口から息を吹き込む。

「キザム……! お願い、死なないで……っ!」

トウコはクノの背中を支えつつ、ふと戦場中央で戦う夫の姿に目をやった。そして、異様な光景に息を呑む。

(なんや……アレ……? サンズイはん、一体なにをしてはるんや……?)

トウコの見ている視界では、サンズイは誰もいない空間に向かって、ただ一人で、必死に何もない空を斬り続けていた。ツキノワの姿は、サンズイの間合いには全く存在していない。

それでもサンズイは、目の前にツキノワが実在していると信じ込み、狂気的なまでの気迫で刀を奮い続けているのだ。

「サンズイはんっ! 1人でなにをやっとるんや! そないなとこに、ツキノワはおらん!」

トウコの声が、林のなかに鋭く響き渡る。

その言葉を聞いた瞬間、ツキノワの眉間がわずかにぴくりと動いた。

(チッ……あの女がいる位置は……範囲外か……)

「なんだと……?」

トウコの声とツキノワの微かな反応に、サンズイはハッと動きを止め、刀を下ろした。

荒い息を整えながら、サンズイの脳裏に冷徹な疑問が走る。

(幻術か……? いや、ただの幻術の類いなら、トウコにもツキノワの姿が見えてもおかしくはない……。なぜ、俺にだけヤツの姿が視えている……? この術のカラクリは、一体——)

仲間たちの死と生が交錯する極限の戦場。

目の前の「敵」の正体が剥がれ落ちたとき、サンズイたちの前に立ち塞がる真の恐怖が、音もなく牙を剥こうとしていた。

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