第82話 届かぬ拳、虚ろな悪夢
ツキノワの口から明かされた恐るべき真相。ヨルの暴走も、里の崩壊も、すべては【炎】の理と極秘文書を奪うための「実験」に過ぎなかったのだ。
怒りに震えたキザムは、両手に激しい【煌炎】を纏わせながら、一歩前に踏み出す。
「最初から、直接俺を狙えばよかっただろ……! それをあんな回りくどいやり方で、たくさんの人間を巻き込んで……! 許せねぇ!」
その剥き出しの敵意に対し、ツキノワは不敵に薄笑いを浮かべる。
「それじゃ、面白くないだろ。せっかく作った自慢の実験体どもの性能を見てみたかったし、何より絶望していくお前らの顔を観賞する最高のスパイスだったのさ」
「腐ってやがる……!」
サンズイは愛刀に手をかけ、鋭い眼光を走らせる。
「キザム, こいつをさっさと片付けて、ジャミの所に戻るぞ!」
「おう! ……クノ, 俺たちの後を離れるな! ヤバくなったらすぐに逃げろよ!」
キザムの必死な気遣いに、クノは力強く首を横に振る。
「私だって、戦える! ミケちゃんの心を、そしてこの日ノ本を救うために、ここで決着を付けなきゃいけないんだから!」
その強い決意に満ちた瞳を見て、キザムはぐっと息を呑み、力強く頷いた。
「わかった……! でも、ホントにヤバい時は……」
言いかけたキザムの唇に、クノはふっと柔らかな笑みを浮かべ、自身の人差し指をそっと添えた。
「大丈夫。ちゃんとわかってるから。……負けないよ, 一緒に生き残るんだから」
その温かな笑顔に背中を押されたように、キザムの胸に再び闘志が灯る。
「随分と余裕じゃないか。――敵の能力もわからないのになっ!」
冷酷に言い放つと、ツキノワは身にまとっていた黒い外套と熊の毛皮をバサリと脱ぎ捨てた。
露わになったその体躯から、周囲の空気を凍りつかせるほどの圧倒的な殺気と威圧感が解き放たれる。
次の瞬間――。
視界が歪んだ。キザムが瞬き(まばたき)をしたわずかな隙に、目の前にいたはずのツキノワの姿が消え失せる。
(消えた……!? いったい, どこに……!)
「うしろだ」
背筋が凍るような冷たい声が耳元で響いたときには、すでに遅かった。
反射的に本能が警告を発し、キザムは【煌炎】を宿した拳で背後へと迎撃の軌道を描くが、その拳は虚しくも何も無い空気を切り裂くだけだった。
ツキノワはすでに, 数メートル先で冷ややかに見据えていた。
「何が起こったかわからない, そういう顔だな……。それでいいんだ。誰ひとりとして, 俺の理を理解などできやしない」
「ふざけやがって……!」
サンズイが【緑葉】を抜き放ち, 得意の超加速を乗せた鋭利な斬撃でツキノワの懐へと飛び込む。だが, その刃はツキノワの身体をまるで幻影のようにすり抜けていった。
(避けている……。いや, 違う……すり抜けられている……!?)
サンズイの額に冷や汗が伝う。
「どっちでもいい! そんな小細工, まとめてぶっ飛ばせば全てが終わるんだよ!」
キザムは怒りに任せて何度も何度も拳を突き出すが, 何度やっても結果は同じだった。物理的な衝撃も, 熱量も, すべてがツキノワの身体をただ素通りしていく。
「この程度のチカラで, よくもあんなに威勢よく吠えられたものだな。滑稽だよ」
キザムの攻撃がカスリもしない一方, ツキノワから放たれた容赦のない蹴りがキザムの腹部を正確に捉えた。
凄まじい衝撃に, キザムの身体は激しく吹き飛ばされ, 古びた研究所の外壁に激突してガレキの中に沈む。
「キザム……っ!」
すぐに這い上がり, 血を拭いながら再びツキノワへと突撃するキザム。しかし, その圧倒的な力量差の前には, 足掻けば足掻くほど絶望の色が濃くなっていくだけだった。
(なんだ……なんなんだ, ヤツのチカラは……。攻撃が当たらないどころか, すり抜けていく……。考えろ, あの【能】の文字に隠された理が, 必ず関係しているはずだ……!)
サンズイは鋭い洞察力をフル回転させ, 二人の攻防のわずかな違和感を拾い集めようと観察を続ける。しかし, ツキノワが放つ底知れぬ威圧感と殺気は, 周囲の空間のすべてを完全に支配し, 思考の自由すら奪い去ろうとしていた。
傷だらけになりながらも拳を振り絞るキザム。
そして, サムライとしての極限の境地から, 一瞬の隙を突くべく術式を発動させたサンズイの超加速の剣術――。
しかし, 結果は残酷なまでに変わらない。ツキノワは指一本触れさせることすら許さない。
「無駄だ。お前たちの足掻きは, すべて俺の掌の上で踊っているにすぎない」
圧倒的な無敵の理を誇示するかのように, ツキノワの冷酷な瞳が静かに光る。
絶望の淵に立たされた二人の戦士。だが, その瞳の奥で, キザムの胸に宿る【炎】の言霊が微かに, しかし確かな熱を帯び始めていた――。




