第79話 悪意の影、結ぶ絆
キザムが全身に炎をまとい、怒涛の勢いで振り抜いた拳は――あまりにもあっさりと空を切った。
いや、躱されたというのとも違う。初めからそこには誰もいなかったかのような、まるで空間そのものが透過したかのような奇妙な感覚。
「あれ……? 確かに、ここに……っ! うぐっ!?」
拍子抜けするキザムの思考を、突如として後頭部を襲った凄まじい衝撃が吹き飛ばした。
目の前にいたはずのツキノワが、いつの間にかキザムの背後へと回り込み、容赦のない右足でその頭部を蹴り上げていたのだ。
その一連の不可解な動きを、変異したヨルと対峙しながら横目で捉えていたサンズイの目が険しく細められる。
(アイツ……一体、どうやって移動をした……?)
余裕の笑みを浮かべて身を翻したツキノワの裾が揺れた瞬間、その足首に刻まれた文字がサンズイの視界に飛び込んできた。
――【熊】。
(……熊、だと……!?)
かつて相対した【クチナシ】が宿していたのと同じ文字。なぜ、全く同じ古代文字を持つ者がここにいるのか。あの【クチナシ】との繋がりは――。一瞬にして脳裏を駆け巡った疑問と動揺、そのコンマ数秒の致命的な隙を、怪物が見逃すはずがなかった。
暴走するヨルは、片手で掴んでいた里長を近くの民家の外壁へと無惨に投げ捨てると、巨体からは信じられないほどの爆発的な踏み込みで、サンズイの目前へと迫っていた。
凄まじい殺気を伴ったヨルの拳が、サンズイの胴体を両断せんと振るわれる。
「――っ!」
反射的に身構えたサンズイは、押し寄せる疑問を無理やり頭から振り払い、ヨルの拳と自身の身体の絶妙な隙間に愛刀【緑葉】をねじ込んだ。
刃で衝撃を受け流し、致命傷は辛うじて免れたものの、あまりにも重すぎる膂力に身体ごと吹き飛ばされる。浅くないダメージがサンズイの全身を駆け巡った。
「サンズイっ……!!」
起き上がったばかりのキザムが叫ぶ。だが、その背後から冷酷な声が降ってきた。
「よそ見しちゃダメだろ?」
ドガッ! と重い音を立てて、ツキノワの鋭い回し蹴りがキザムのみぞおちに深く決まる。
息を完全に絶たれたキザムの身体は、ぐにゃりと折れ曲がり、文字通りサンズイの転がる方向へと激しく吹き飛ばされた。
ドサリと土埃を上げて地面に叩きつけられるキザム。彼は口元から大量の血を吐きながらも、荒い息を整えて必死にその両足で立ち上がる。
ツキノワは冷ややかな笑みを浮かべて、両手をパチパチと軽快に叩きながら、まるで獲物を品定めするような目でゆっくりと近づいてきた。
「いい……実にいいよ。その不屈の根性、僕の実験体にしたら、また一段と面白いものが作れそうだ」
傷だらけで立つキザムの隣に、サンズイもまた血走った目を据えて痛む身体を支えながら立ち上がる。
「キザム……この状況、もう1対1なんて言ってられねぇ……。ここで俺たちが負けたら、クノが……トウコが……日ノ本がすべて終わりだ。……どんな手を使ってでも、勝つぞ……!」
キザムはふっと口元の血を拭い、泥だらけの顔で不敵に笑ってみせた。
「あぁ……! 負けられねぇよ、こんな野郎どもに……絶対に、な!」
「ははっ、笑わせてくれる。そんなボロボロの身体で、一体何ができると言うんだ?」
ツキノワがせせら笑ったその時、近くの瓦礫がガタガタと音を立てて崩れ落ちた。
そこから姿を現したのは――先ほどの衝撃で壁にめり込んでいたジャミだった。彼は、応急手当てを終えたクノに肩を貸してもらい、フラフラとしながらも前を睨み据えている。
「1人では無理でも……仲間がいれば、必ず……っ!」
ジャミの強い意志を宿した声が、戦場に響いた。
「仲間だと……? つくづく笑わせてくれる……。そんなボロボロの雑巾みたいなヤツらがいくら束になったところで、無駄なんだよっ!」
ツキノワの顔から余裕が消え、冷酷な怒りの表情に歪む。
「チカラを司る者の前には、ただひれ伏すことしかできないんだ! ヨル、このゴミ共を綺麗に掃除しろ!」
ツキノワの命令に応じるように、人間離れした巨体を揺らしながら、ヨルが血走った目をギラつかせてキザムたちへと一歩、また一歩と近づいてくる。
絶望的なまでの戦力差。死の気配が周囲を覆う中――。
ただ1人、無傷で済んでいたクノが、一歩も引かない足取りでキザムたちの前へと進み出た。彼女は震える両手を力強く突き出し、仲間を守るために全霊の術式を展開する。
(お願い……みんなを、守って――っ!)
キィィン……と、凄まじい反響音と共に、蒼く眩い強固な障壁がキザムたちの前に大きく展開される。
だが、その圧倒的な重圧の前に、障壁の表面には早くも細かな亀裂が走り始めていた。




