第72話 龍虎激突と老兵の覚悟
日ノ本の里には、既に二人の男が足を踏み入れていた。
一人は右肩に『龍』、もう一人は首の後ろに『虎』の古代文字を宿す猛者たちだった。
「まさかとは思ったが、貴様と二人だとはな……」
冷ややかな視線を向けるのは、ロンロンだった。
それに対し、タイガは不敵な笑みを浮かべて肩を揺らす。
「いいんだぞ……この場でオレ一人にしてやってもよ……」
一触即発の不穏な空気が漂う中、二人は逃げ惑う里の民たちを虫けらのように無視し、あろうことかその場で互いに矛先を向け合い、激しい争いを始めた。
ヨルが不在の今、犬猿の仲であるこの二人を抑え込める者は誰もいない。
ゴオオッ……!!
激突の余波だけで、周囲の建物は大きく揺れ、火花が激しく散り、生い茂る木々が引火して猛烈な炎を上げて燃え盛る。文字通り、里は一瞬にして地獄絵図のような戦場へと変貌していった。
その混乱のさなか、燃え盛る炎を背にして一人の老人が歩み出る。
「やれやれ、こんな老いぼれまで引っ張り出しおって……」
呟いたのは、老兵・ゴンベエだった。
彼は恐怖に震えながら逃げ遅れていた里の民を見つけると、素早く安全な方向へと誘導し、優しく声をかけて逃がしてやる。そして、視線を炎の渦巻く戦場へと向け、荒れ狂う二人の男の間にずしりと割って入った。
「なんだ? 爺、俺の邪魔しようってのか?」
タイガが凄まじい殺気を放ちながら睨みつける。
ロンロンも冷ややかな冷笑を浮かべ、吐き捨てるように言った。
「こんな老兵を差し向けるとは、日ノ本は余程人材不足と見える。悪いが、さっさと片付けさせてもらおう。」
タイガは愛用の重い斧を、ロンロンは禍々しい三又の槍を、それぞれゴンベエへと向けた。
ゴンベエは慌てる様子もなく、静かに息を吐く。
「ここへワシが来たのは、独断でのぉ……。本来は、里長のとこへ行く様言われたんだがのぉ……。ここに来る予定だった若い連中のチカラでは、お主らには到底かなわんからのぉ……」
ゴンベエの瞳の奥で、微かに未来の気配が揺らめく。
その目には既にこの先の行く末が見えていた。
ゴッ……! と、ゴンベエが足を踏み出し、静かに構えを取る。
「一丁前にやる気か、爺。いいだろう……その勇気に免じて、一太刀で仕留めてやろう」
タイガが怒号と共に跳躍し、全体重を乗せた巨大な斧を猛烈な勢いで振り下ろす。
しかし、ゴンベエはその一撃を恐れることなく一歩踏み込み、まるで当然のことのように両手でその斧の刃を白刃取りの要領でガッチリと受け止めた。
ゴズウッ!! と凄まじい衝撃波が周囲の空気を吹き飛ばす。
「この爺……っ!?」
タイガが目を見開き、信じられないといった表情を浮かべる。老体の力とは思えないほどの重圧に、斧がピタリと止められていた。
「ぐっ……この老体には、流石に堪えるわい……!」
ゴンベエが歯をくいしばり、全身の筋肉をきしませる。
「邪魔だ! どけっ!!」
隙を突いたロンロンの三又の槍が、タイガの斧の隙間をすり抜け、凄まじい突進力でゴンベエの胸元へと一直線に迫る。致命の一撃。
だが、ゴンベエは驚異的な動体視力でその軌道を紙一重で見切り、風になびく一本の木の葉のように身をゆらりと不規則に脱力させ、迫りくる三又の槍の穂先をスリ抜けていく。
槍の風圧がゴンベエの衣服を切り裂くが、本体には掠りもしない。
「なに……!?」
ロンロンの顔色が変わる。老兵の身に宿る底知れぬ実力を察知し、二人の男の表情にわずかな動揺が走った。
荒れ狂う龍と虎の猛攻を、ただ一人の老兵がその技量と見据えた未来でいなしていく。
戦局は、静かなる老兵の参戦によって、予測不能な激変の時を迎えようとしていた――。




