第65話 血染めの森と、歪んだ理
日ノ本へと続く鬱蒼とした森の中。
「うおおおおっ……!!」
キザムが両拳に激しい『火』を纏い、凄まじい勢いで突進しては、その炎を叩きつける。すかさずジャミも鋭い短刀を構えて連携し、死角から的確な斬撃を浴びせていく。
だが、頭部はサル、胴体はタヌキ、四肢はトラという異形の怪物の圧倒的な硬度と、野生の猛獣のような身のこなしの前に、二人ががりの猛攻であっても決定的なダメージを与えられずにいた。
(このままでは、二人とも押しつぶされてしまう……っ!)
ジャミは荒い息を整えながら、鋭い眼光でヨルの隙を窺う。
(化け物とはいえ、『蛇』の毒なら……! いや、効くかどうかの賭けだ……っ!)
「キザム、一度下がるよ!」
ジャミが叫びながら踏み込み、凄まじい瞬発力でヨルの死角へと肉薄する。一瞬でヨルの背後へと回り込んだジャミは、素早くその首筋へと指を触れさせた。
ジャミの左肩に刻まれた『蛇』の古代文字が怪しく光り、強力な神経毒がヨルの全身へと流し込まれる。
ピクリ、とヨルの動きが止まる。
(……いけるかっ……!?)
しかし、次の瞬間。ヨルの体内に流し込まれたはずの神経毒は、まるで霧散するかのようにその効果を掻き消されていった。
「……ハッ。馬鹿な奴だ」
ヨルが不気味に歪んだ笑みを浮かべる。
「忘れたのか出来損ない。この身には『蛇』の理が宿っているんだよ。そんな毒が、この俺に効くわけねぇだろ……ッ!」
「なにっ……!?」
ジャミの瞳孔が大きく見開かれる。毒が効かないと悟った瞬間、ヨルの四肢――鋭い爪を剥き出しにした『トラ』の足が、凄まじい爆発力を伴って地を蹴った。
「隙だらけだぜ……!」
「ッ……が……ああっ……!!」
回避する間すらない。飢えた獣の如く目の前に現れたヨルのトラの爪が、ジャミの胴体を真正面から深く抉り貫いた。
ジャミは致命傷を受けながらも、せめてキザムへの追撃を防おうと渾身の力でヨルの腕にしがみつき、軌道をわずかに逸らして盾となる。
「ジャミっ……!!」
キザムの悲痛な叫びが響き渡る中、ジャミは深手を負って意識を失い、その場に崩れ落ちて動かなくなった――。
頼みの綱の相棒を失い、たった一人でヨルを相手取るキザムの身体は、至るところが引き裂かれ、血に染まっていた。
「……ハァ、ハァ……っ!」
「次は貴様だ。お前の、か弱き火では、この体を傷つけることすらできん」
(ーー煌炎なら...いや、また躱されるか......。)
血走り爛れた目を剥くヨルが、冷酷な笑みを浮かべて再び強烈な一撃を放とうと迫る。死の気配がキザムの全身を包み込む。意識が遠のきかけたその瞬間、脳裏にクノの姿が鮮烈に蘇った。
――ここで退いたら、里のみんなも、クノも、すべてが終わっちまう……っ!!
「……っ……ふざけんな……!」
キザムの瞳に、不屈の怒りと覚悟の光が再び灯る。圧倒的な力の差を覆すため、キザムは決死の覚悟で動き出した。隙を突き、素早く左手のひらに『薔薇』の文字を走らせる。
(ーーゴメンなクノ...。約束守れなくなっちまった。)
「逃がさねぇ……っ!!」
次の瞬間、左手のひらの文字から無数の棘だらけの茨が激しく飛び出し、ヨルの巨体とキザム自身の身体を文字通りグルグル巻きにして拘束した。
「なっ……! 動けん……っ!?」
ヨルが焦りの色を浮かべて暴れるが、茨は食い込み、二人の動きを完全に封じる。
「お前は俺と...ここで終わりだ……っ! お前のその化け物染みたチカラも、理そのものを狂わせた大爆発で消し飛べば、ただでは済まねぇだろ……!」
身動きが取れなくなったそのゼロ距離で、キザムはさらなる狂気を孕んだ行動に出る。本来の正しい書き順をあえて外し、『炎』の書き順を完全に間違えて左手のひらに綴ったのだ。
文字の理が激しく歪み、制御を失った凄まじい熱量と爆発的なエネルギーが、キザム自身の肉体を文字通り内側から焼き焦がしながら膨れ上がる。
「な、なんだこのチカラは……っ!?」
ヨルが初めて恐怖に満ちた表情を歪めたそのコンマ数秒後、世界が白熱の光に飲み込まれた。
ドガアアアァァァンッ!!!
キザムの捨て身の自己犠牲による文字の暴発が、周囲の樹々を一瞬で消し飛ばすほどの超絶大爆発を引き起こす。凄まじい衝撃波と閃光の嵐の中、限界を超えてボロボロになったキザムと、異形の化け物と化したヨルは、それぞれ全く異なる方向の森の彼方へと激しく吹き飛ばされていった。
静まり返った森には、ただもうもうと立ち込める黒煙だけが残される。
――その少し離れた場所。
アメルイーストの檻を抜け出し、日ノ本へと続く獣道を一心不乱に走っていたミケは、突如として背後で巻き起こった凄まじい爆発と衝撃波に足を止めた。
「なっ……何の音ニャ……!?」
砂塵と黒煙が立ち込める方向へ恐る恐る近づいたミケの視線の先――。
樹々がなぎ倒されたクレーターの中心に、ボロボロに崩れ、異形の肉体をさらけ出したまま倒れ伏すヨルの姿があった。




