第63話 伝説の残響
「――裏がある、だと?」
黒い外套を纏った男は冷たく鼻を鳴らし、圧倒的な殺気を放つ。その重圧だけで、周囲の空気が凍りつくようだった。
「本当にそう思うか? ……貴様らをここで皆殺しにしてから追いかければ、それで済む話だ」
その凄まじい殺気と威圧感の前に、キザムは冷や汗を流し、息を呑む。
「くっ……!」
「キザム、落ち着け」
ジャミは冷汗を流しながらも微動だにせず、鋭い眼光で男を見据えて問いかける。
「……キミたちの目的はわかった。だが、その先はどうするつもりだ? 全てを壊したとして、その後の世界でどう生きるつもりだ?」
男は薄気味悪い笑みを浮かべて、静かに答えた。
「……ヨルだ」
「……?」
「俺の名前だ。……俺たちは、俺たちの全てを奪った奴らを皆殺しにできればそれでいい。それ以上も、それ以下もない」
「その後の生活は?」ジャミが畳み掛ける。「すべてを終わらせた後、生きていくための生活はどうするんだ。そんなことまで考えていないのか?」
「さぁな」
ヨルと名乗った男は、虚ろで、それでいて底知れない狂気を湛えた瞳を向けた。
「そんな事はどうでもいい。……俺たちの、すべてを奪い返す。それだけだ」
「……どうやら、これ以上言葉を交わしても平行線になりそうだな」
ジャミが構えを低くする。次の瞬間、無言のまま鋭い踏み込みを決め、一閃の軌跡を描いてヨルへと肉薄した。
ジャミの放った一撃がヨルの首筋を捉えたかに見えたが、外套の下で生身の腕でそれを防がれたのか、刃と皮膚が衝突した衝撃でまるでおぞましい金属音が響き渡る。
「(素手で受けたよな……? なにか仕掛けがあるのか……っ!?)」
後方に控えていたキザムが冷や汗を拭う。
「キザム、キミもフォローに回ってくれ!」
「おうっ!!」
ジャミの指示に合わせ、キザムは両拳に激しい『火』を纏い、凄まじい勢いでヨルへと突進した。
狙うはヨルの胴体。灼熱の炎を宿した渾身の拳が、完璧な軌道でヨルの胸元を抉り抜いた――はずだった。
「なにっ……!?」
キザムの拳は手応えを残すことなく、まるで煙に化かされたかのように、スーッとヨルの体を虚しくすり抜けていく。
「……ジャミ、お前はいいよな」
キザムの体をすり抜け、背後へと回り込んだヨルが、険しい表情で睨みつけるジャミに向かって冷たく呟く。
「お前は、失敗作として捨てられた後も、人として生きる場所があっただろ……?」
ヨルが低い声で語り出す。その声には、耐えがたい絶望と憎悪が滲んでいた。
「あの凄まじい苦痛を受け、こんな化け物になった俺たちには……もう、人として生きる道など、どこにも残されていないんだよ!!」
叫ぶとともに、ヨルはその身にまとっていた黒い外套を勢いよく脱ぎ捨てた。
「……っ!?」
外套の下から現れたそのおぞましい姿に、キザムは思わず息を呑み、全身の毛が逆立つほどの悪寒を覚える。
頭部は狂気を帯びた『サル』、胴体は不気味にうねる『タヌキ』、四肢は鋭い爪を剥き出しにした『トラ』、そして腰骨のあたりからは毒を滴らせる『ヘビ』の尾が不気味に伸びている――。
それはもはや、人のかたちを完全に捨て去った、忌まわしい異形の結合獣だった。
「あれは……鵺……っ!」
キザムが恐怖に引きつった顔で叫ぶ。
「ぬえ……っ!?」
ジャミは冷や汗を流しながら、かつて聞いた知識の記憶を必死に手繰り寄せる。
「大昔にこの世界にあった『日本』という国が、今の『日ノ本』へと形を変えるよりもさらに遥か昔……文献や伝承にのみ語り継がれた伝説の妖怪……架空の生物のはずだが……!」
異形の化け物と化したヨルが、血走り爛れた目を剥き、歪んだ笑みとともに怒号を浴びせる。
「ミナストリアのヤツらに無理やりこんな体にされた当時は、絶望したさ……! だがな、『古代文字』として『鵺』の文字が存在し、その理をこの身に降ろせたおかげで……俺たちはすべての奴らに復讐するだけの圧倒的なチカラを手に入れたんだよッ!! 伝説だろうが化け物だろうが関係ねぇ……! 俺たちのすべてを奪ったあの野郎どもを地獄に叩き落とすためなら、悪魔とでも契約してやるよ!」
轟音とともに、凄まじい狂気とチカラを纏ったヨルが爆発的なスピードで動き出す。
トラの手足が大地を砕き、周囲の木々を一瞬で両断しながらキザムたちへと襲いかかった。
「くそっ、速い……っ!」
キザムは必死に『火』の拳で応戦しようとするが、幻術じみた回避と圧倒的な硬度の胴体に阻まれて、まともにダメージを与えられない。
さらに、不意を突いて腰骨のあたりから伸びるヘビの尾が地面を這うように鋭く伸び、キザムの足元を狙って牙を剥く。
「キザム、危ないっ!」
ジャミが素早く短刀でヘビの尾を斬り払うが、硬質な鱗に弾かれて火花が散るだけで、びくともしない。
圧倒的な異形のパワーと、掴みどころのない幻のような身のこなし。伝説の化け物を相手取った二人の猛攻は、徐々に追い詰められていく――!




