第62話 淘汰の理
日ノ本へと続く鬱蒼とした山道――。
黒い外套を纏った男たちが、無言のまま冷徹に歩を進めている。
その一人の足元、右足首に刻まれた『熊』の文字が鈍く光っていた。熊の毛皮を頭からすっぽりと被り、その上から黒い外套を羽織った男が、前方を行く人物に声をかける。
「……ボス。ウルティのヤツ、いつまでまだ足止めに時間がかかっているんでしょうね?戻ってこないってことは……まさか、あいつを手こずらせるような追っ手がまだ残っているんですかね」
黒い外套を纏った男は、振り返りもせず一言だけ呟いた。
「……。」
「もう一人、追っ手に人数を割いたところで、計画に狂いはありませんが……」
男の言葉に、黒い外套の男がピタリと足を止める。フードの奥から覗く冷ややかな瞳が、仲間たちをとらえた。
「ならば、俺が残ろう。お前達は先に行け」
「「「御意!!」」」
黒い外套の男がその場に残り、他の男たちの影は残忍な気配を纏ったまま、日ノ本へと向けて再び走り去っていく。
その最後尾を歩いていた『熊』の男は、仲間たちが完全に視界から消えた瞬間を見計らい、誰にも気づかれないよう静かに足並みを崩し、そっと森の影へと身を潜めて離脱したのだった。
その頃――。
背後で繰り広げられた戦いを後目に、日ノ本の本国へと全速力で駆けるキザムたちの肌を、尋常ではない殺気と異様なプレッシャーが容赦なく突き刺す。
「……っ! なんて重い気配だ……!」
先頭を走っていたジャミがふと足を止め、鋭く上空を睨みつける。それに続き、キザム、サンズイ、そしてトウコも一斉に足を止めて身構えた。
「おい……誰か待ち構えているぞ!」
サンズイが低く声を漏らす。その瞳が映し出したのは、行く手を塞ぐようにそびえ立つ、ひと際大きな木の幹だった。
「誰だろうと、ぶん殴って下らない計画を止めてやる……!!」
キザムが激情のままに地面を蹴り飛ばしたその時、木の幹の上から、重圧を纏った冷たい声が降ってきた。
「――ウルティはどうした?」
黒い外套の男が、樹上から見下ろすように呟く。そして、キザムたちの顔ぶれを確認すると、わずかに眉をひそめた。
「……女が一人いないな。置き去りにしたか、それとも犠牲にしてきたか?」
『犠牲』――その言葉を聞いた瞬間、キザムのなかの理性が音を立てて弾け飛んだ。
「ふざけんな……犠牲なんかじゃない! クノは絶対に……!」
怒りに任せ、キザムは拳に激しい『火』を宿して突進した。だが、心に深い動揺と焦りが渦巻いている今の状態では、本来の研ぎ澄まされたチカラなど発揮できるはずもない。
男は微動だにせず、ただ右手を伸ばした。
ガシッ、と重い音を立てて、男の掌がキザムの拳を真正面から掴み取る。
「犠牲じゃなければなんだ? ……この世は食うか食われるかだ。弱き者は、強き者に淘汰される。それが理だ」
男の冷酷な言葉が、キザムの心をさらに激しく揺さぶる。
「弱いとか、強いとか……そんなの関係ねぇよ……っ!! 人間ってのはな、助け合って、支え合って生きてんだよ!!」
「甘いな」
男がわずかに力を込めただけで、キザムはその圧倒的な圧力に押し戻されそうになる。
見かねたサンズイが鋭く踏み込んだ。
「これでも、甘いなど言っていられるか……!」
サンズイが愛刀『緑葉』を鮮やかに抜き放ち、一閃の軌跡を描いて男へと斬り掛かる。
だが――男は予備動作すら見せず、もう片方の手で虚空を掴んだ。
「雷閃」
バチィッ!! と凄まじい電光が奔り、ゼロ距離から放たれた強烈な『雷』がサンズイを直撃する。
「がっ……ああっ!!」
サンズイが激しい絶叫を上げ、文字通り電気の鞭に打たれたように身体を硬直させ、そのまま糸の切れた人形のように木の上から墜落していった。
「サンズイはんっ!!」
トウコが悲鳴を上げ、落下してきたサンズイの体を必死の形相で受け止める。腕の中でぐったりと意識を失っている夫の姿に、トウコの瞼が大きく見開かれ、血の気が引いた。
ジャミが冷静に状況を分析し、サンズイから離れないトウコへと鋭く声を飛ばす。
「……少しマズイな。トウコ、そのままサンズイを連れて先に行きな! ここは僕とキザムで何とかする!!」
トウコはジャミの方をしっかりと振り向き、覚悟を宿した強い瞳で頷くと、意識のないサンズイを力強く抱き直し、一気に先へと駆け出した。
しかし、黒い外套の男は逃げる二人を追う素振りすら見せず、ただ冷ややかにその場に留まり続けている。
ジャミは抜刀した短刀を構え、男の不気味な余裕に目を細めた。
「随分と簡単に通してくれるじゃないか……。ただの足止めじゃない、何か裏があると思った方が良さそうだね」
静寂に包まれた森の中に、不穏な風が吹き抜けていく――。




