第61話 茨と拳、それぞれの覚悟
狂暴な牙たちがクノに届く寸前――。
「――そこまでだ、化け物ども!!」
闇を切り裂くような鋭い声とともに、閃光が迸った。
迫り来る『犬』たちの群れを、禍々しい茨と凄まじい衝撃が真っ二つに引き裂く。見上げた空から、そして木々の間から、決意に満ちた瞳をしたチユと、ノバラの姿を模したナナシが華麗に着地した。
「間に合った……! クノ、もう大丈夫だよ!!」
「お姉様……っ! ナナシさん……!」
ボロボロになり、その場に崩れ落ちかけていたクノの瞳から、安堵の涙が一気に溢れ出る。
目の前で繰り広げられたのは、師であるチユの圧倒的な光景だった。
「これ以上、アタシの可愛い弟子に手出しさせないっての……!!」
チユは拳に強大な『power』をぎりぎりと宿し、迫り来る黒い『犬』の群れを次々と殴り飛ばしていく。
だが、それに反応してウルティが瞬時に間合いを詰めた。
「邪魔をするなっ!」
「っ……!」
その頃――。
背後を断腸の思いで離れ、全速力で日ノ本へと駆けるキザム、サンズイ、ジャミの三人の足取りは、焦燥に満ちていた。
「クノ……っ!」
キザムは歯噛みし、自分の無力さと置き去りにした悔しさで拳を震わせる。頭の中はクノのことでいっぱいになり、前を向くことすらままならない。
そんなキザムの背中を見ながら、サンズイは静かに息を吐き、ぐっと前を見据えて言った。
「キザム、しっかりしろ。……あいつは、自分の意思で残る道を選んだ。自分の殻を破って、みんなの盾になると決めたんだ。あの時のクノの覚悟は、並大抵のものじゃなかった……俺たちが、いつまでも下を向いてちゃあいつの覚悟に顔向けできねぇよ」
サンズイの言葉に、キザムははっと息を呑み、血が滲むほど唇を噛みしめて前を向き直る。
――そうだ……あいつは、ちゃんと自分の意志で戦っているんだ……!
その時、前方から一人の人影が凄まじい速さでこちらに向かって飛んできた。
迷いのない足取りで着地したのは、トウコだった。
「サンズイはん!」
「トウコ……!? どうしてここにいる!」
サンズイが目を見開き、驚愕の声を上げる。トウコはふっと柔らかく微笑むと、どこか吹っ切れたような晴れやかな表情で首を振った。
「心配せんでも大丈夫や。ウチな、チユのおかげで、ずっと囚われとった過去の呪縛をようやく乗り越えたんよ。もう昔のウチやないで」
その言葉に、サンズイはハッと胸を打たれる。トウコの瞳に宿る強い光を見て、彼女が本当の意味で強くなったことを瞬時に察した。
「なら……!」
「わかっとる。サンズイはんらは日ノ本へ急ぎなはれ。クノのところへは、もうチユとナナシが向かったさかい」
その言葉を聞いた瞬間、キザムの胸につっかえていた黒い澱が一気に晴れ渡った。
「チユとナナシが……! じゃあ、クノは……!」
「チユ達は絶対にあの子を守り抜くよ。さあ、一緒に日ノ本を護りに行くで!」
トウコの力強い笑顔に背中を押され、キザムは大きく息を吸い込むと、迷いの消えた瞳で力強く頷いた。
「……おうっ!! 行くぞ、サンズイ、ジャミ!」
激しい攻防の嵐が吹き荒れる、クノたちの戦場へと視線は戻る。
ウルティの繰り出す鋭い手刀の連撃と、チユの『power』を乗せた重い拳が激しくぶつかり合う。ガキィンと硬質な衝突音が響き、双方の技の余波だけで周囲の木々が激しくなぎ倒されていく。
卓越した敏捷性で翻弄するウルティの猛攻に対し、チユは持ち前のパワーで真っ向から押し返すが、ウルティも一歩も引かず、互角の激しい近接戦闘の嵐が巻き起こる。隙を突こうとする黒い『犬』たちも、二人の放つ凄まじい気迫と衝撃波に巻き込まれ、容易に近づくことすらできない。
その激しい攻防の最中、クノは両手を地面につけたまま、荒い息を整えていた。
(私も……立って、戦わなきゃ……! みんなが来てくれたんだから……っ!)
ボロボロの体に鞭打ち、震える足を支えにして無理やり立ち上がろうとするクノ。しかし、それに気づいたチユが、ウルティと激しく打ち合いながらも鋭く声を飛ばした。
「クノ、アンタはそこで休んでな! 後はアタシらに任せときな!!」
「お姉様……っ!」
「それに、いつまでもこんなところで足止めを食らうわけにはいかないしね……!」
互角の打ち合いの中で、チユは鋭く好機を窺う。長期戦になれば不利になると判断したチユは、ウルティの重い一撃を紙一重で受け流し、その反動を利用して一気に距離を取ると、両手を力強く地面へと叩きつけた。
「逃がさないよ。おとなしくそこで反省してなっ!」
凄まじい術式と『wall』が奔流となって走り、一瞬にして展開されたのは、薄緑色に透き通った硬質な障壁のドーム。その巨大な檻が、激しく動揺するウルティと暴れる『犬』の群れを丸ごと包み込んでいく。
「なっ……なんだこれ……! 出せ、外に出しなっ……!!」
薄緑のドームの向こう側で、ウルティが鋭い爪で壁をガリガリと引っ掻き、怒りの声を荒げる。障壁の向こうから聞こえるその声は少しこもっているものの、外へは「出せ出せ!」と相変わらずうるさくハッキリと響いていた。
しかし、チユの展開した障壁はどれだけ攻撃されようともびくともしない。
「はい、おしまい! そこでおとなしくしてな!」
チユがふっと息を吐き、やれやれと肩をすくめる。
これでウルティたちの動きは完全に封じられた。
戦闘が終わった静寂の中、ナナシが慌ててクノの元へと駆け寄り、その小さな体を優しく抱き起こす。
血まみれになりながらも、仲間の温もりに触れたクノは、安心したように小さく首を横に振った。
「うん……みんなが来てくれたから……私、もう大丈夫……」
遠くで戦うキザムたちの背中を思い出しながら、クノの胸に温かい勇気の灯がともる。
足止めを突破した彼女たちは、ウルティの騒がしい声を背に受けながら、次なる目的地――日ノ本の本国へと急ぐ仲間を追うため、力強く足を踏み出したのだった。




