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第60話 独りだけの覚悟

激しい戦闘の火蓋が切って落とされる。ウルティは長身の細身の体躯を風のようにしなやかに躍らせ、キザムとサンズイの連撃を紙一重でかわしていく。

「遅いねぇ!」

軽やかな挑発とともに繰り出される手刀が、鋭い真空の刃となって木々を両断する。その洗練された武術と、すらりとした体躯からは信じられないほどの敏捷性を兼ね備えた猛攻の前に、キザムたちはなかなか決定打を与えられない。

周囲では知性のない黒い『犬』たちが唸り声を上げ、血走った眼光で隙を窺っている。ウルティが軽く指を鳴らすだけで、それらの出来損ないの成れの果てたちは一糸乱れぬ狂気的な突撃を繰り返す。

「くそっ、キリがねぇ……! この取り巻き共、桁違いの連携だぜ!」

キザムが『火』の文字を纏った拳で『犬』の一体を殴り飛ばすが、再生するかのようにすぐに這い上がってくる。クノも拳に硬質な障壁を宿し、迫り来る『犬』の一体を迎撃しようと前に飛び出した。

だが、焦りからか突撃のタイミングが大きくズレてしまい、肝心の拳が空を切る。致命的な大きな隙を晒したクノめがけ、別の『犬』の鋭い爪が容赦なく振り下ろされた。

「危ない……っ!」

一瞬早くそれに気づいたジャミが素早く懐に滑り込み、短刀で『犬』の攻撃を弾き飛ばして間一髪で救い出す。

「くっ……! ごめんなさい……っ!」

クノが青ざめて息を呑む間もなく、今度は別の『犬』の群れが死角から襲いかかる。サンズイは迫る敵を斬り伏せながらも、クノのカバーに追われ、確実に動きを制限されていた。

仲間たちの背中を護るための刃が、自分を守るために削がれていく。キザムたちの戦いぶりを見れば、自分がその足を引っぱっている現実は痛いほど伝わってきた。クノの胸が悔しさと申し訳なさで押し潰されそうになる。

剣戟が交錯し、火花が散る。十合、二十合と息もつかせぬ攻防が続き、キザムたちの呼吸が乱れ始める。

だが、数合打ち合ったところで、サンズイはふと奇妙な違和感を抱いた。ウルティの攻撃は致命傷を狙うというよりも、自分たちの足や進路を執拗に縛り付けるような軌道を描いている。

(……おかしい。これだけの腕がありながら、一気に押し切る気がない……? いや、こいつの狙いは――!)

「キザム、ジャミ! 深追いしてこない……! 奴の狙いは足止めだ!!」

サンズイの叫びに、キザムが息を弾ませながら振り返る。

「…クソっ、俺たちをここで足止めして、本隊を日ノ本に行かせる気か!」

これ以上ここで時間を潰されれば、日ノ本が危険に晒される。しかし、ウルティの壁を突破して全員で抜けるのは容易ではない。おまけに、このままでは自分の未熟さが全員を危険な泥沼へと引きずり込んでしまう。

その絶望的な状況を打破するため、クノは震える拳を握り締め、意を決して一歩前に出た。圧倒的な力の差と、自らが戦いの足かせになっている重みを肌で感じているからこそ、クノの脳裏には一つの覚悟が固まっていた。

「……私が、ここに残る」

「なにを……!?」キザムが目を見開く。

「このままいたら、全員足止めを食らう! だから、私がここに一人で残る。だから、みんなは先に行って!」

「ふざけんな! お前一人を置いていけるかよ!!」

キザムが激昂して手を伸ばすが、クノは悲しげに、しかし揺るぎない決意を秘えた笑みを浮かべて首を振った。

「日ノ本を守るためなら、私だってみんなの役に立ちたいんだ」

ジャミは静かにクノを見つめ、その心の内を正確に察していた。

(……クノは、最初から自分を犠牲にするつもりだ。足手まといである自分を置いて、日ノ本の盾になるために、ここで命を投げ出す気でいる……)

「クノ……」

サンズイが歯噛みし、キザムは唇を噛みしめて血を滲ませた。だが、一刻の猶予もない。

キザムは震える手でクノの肩を掴み、強く言い聞かせるように叫んだ。

「……絶対に戻ってくるからな! 必ず無事で帰って、2人で暮らすんだ……約束しろ、クノ!!」

その真っ直ぐな瞳に、クノの胸が激しく締め付けられる。

(キザム……)

喉まで出かかった言葉を飲み込み、クノは小さく頷いた。

「うん……。約束、ね……」

キザムたちは苦渋の決断の末に背を向け、ウルティの脇をかすめて日ノ本へ向けて走り出した。

背後でクノが展開した硬質な障壁が、ウルティの追撃を阻む高い音を響かせる。

ウルティが放った鋭い真空の刃が、クノの張った障壁をものすごい勢いで打ち据え、耳をつんざくような激しい金属音と亀裂を走らせる。

「ぐっ……!」

衝撃波だけでクノの小さな体が吹き飛ばされそうになり、足元が深く抉れる。すかさず数体の黒い『犬』たちが牙を剥いて飛びかかり、クノめがけて襲いかかった。

クノは両手を掲げ、全身から術式(スペル)を振り絞って薄い障壁を何度も展開する。ガリガリと『犬』の鋭い爪が障壁を引っ掻き、耐えきれずに砕けた破片がクノの腕や頬を切り裂き、鮮血が飛び散った。

痛む体に鞭打ち、それでも仲間たちの背中を遠ざけるため、クノは血を流しながらも再び立ち上がり、立ち塞がる『犬』の群れへと拳を突き出す。

――キザム……今までありがと……

――ごめん、キザム……さよなら……

心の中で呟いた別れの言葉とともに、クノの頬をひとすじの涙が伝った。

だが、涙を拭う暇すらない。

圧倒的な数の暴力と痛みの前に、クノの小さな体が完全に飲み込まれようとしたその瞬間――。

「――そこまでだ、化け物ども!!」

闇を切り裂くような鋭い声とともに、閃光が迸った。

狂暴な牙たちがクノに届く寸前、禍々しい茨と凄まじい衝撃がその群れを真っ二かに引き裂く。

見上げた空から、そして木々の間から、決意に満ちた瞳をしたチユと、ノバラの姿を模したナナシが着地した。

「間に合った……! クノ、もう大丈夫だよ!!」

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