第56話 残らない骨と残響の雷鳴
明るい陽光の中、サンズイは静かに筆を走らせていた。目の前でじっと待つ伝書鳩の頭を優しくなでると、小さく折りたたんだ手紙をその足にくくりつける。
「頼んだぞ。」
放たれた一羽の鳩は、青空へと溶けるように、遠く日ノ本の方角へ向けてアメルイーストの空へ飛び立っていった。
アメルイーストの中枢――その高くそびえる城のテラスで、かつて国を統べていた里長が泥水にまみれたように地面へ這いつくばっていた。
その背に軍靴をグリと押し付けているのは、猛る『獅子』の文字を右胸に宿した男、リオンだ。
「見てるかお前ら……! てめえらの崇める指導者のこの姿を! その目にしかと焼き付けろ!!」
リオンの胸で『獅子』の文字が異様に膨れ上がり、雷鳴のような咆哮がアメルイーストの里全域を震わせる。それは理不尽に人間性を奪われ、使い捨てられてきた実験体として扱われた者たちの、底知れぬ怨嗟の叫びだった。
その恐怖に駆られ、秩序を失った民衆が一斉に国境や日ノ本への亡命路へと雪崩を打って逃げ惑う。里は瞬く間に阿鼻叫喚の地獄へと変わっていた。
その大混乱の狂騒を、はるか上空の青空から、冷徹に見下ろす影があった。
『隼』の古代文字を身に宿した鳥人間、ハヤトである。
地上の人間たちがパニックで足元しか見えていない中、『隼』の複眼のような鋭い視線は、群衆の流れとは明らかに違う「淀みなく城の死角へ向かって進む、4つの影」を正確に捉えていた。
――アイツら...ボスが言っていた。
風切る音すら立てず、鳥が獲物を狩るようにハヤトの身体が急角度で反転する。
翼を畳み、一直線にその影――キザムたちへと急降下していった。
一方その頃、城塞へ急ぐキザムたちの足取りがふと止まった。
周囲を警戒し、ジャミがスッと目を細める。その端整な顔立ちの奥で、瞳の色が血のように妖しく紅く染め上げられていく。
体内の血液を反応させ、熱源を捉える索敵の能力を解放した。
「……待て。上空からなにかが来る。」
紅い眼を天空に据えたまま告げるジャミに、キザムがすかさず身構える。
「さすがだなジャミ。」
キザムが構える脇で、サンズイがふとジャミに視線を向けた。
「お前のその索敵……いつも正確だが、文字に触れてもいないのにどうやって相手の位置を把握しているんだ?」
サンズイの問いに、ジャミは紅い瞳をさらに鋭く光らせながら静かに答える。
「……『生物』の『古代文字』は、生物と人との融合体だ。だから文字に触れてもいないくとも、体内の血液が常に反応し、生物の特徴を常に体に発現させている者もいる。だが――」
ジャミは自らの手のひらに視線を落とし、小さく息をつく。
「……意識を集中させることで、意図的にその特徴を発現させることもできる。僕の体温感知は後者だ。今も、上空の奴の熱がはっきりと見えている」
「なるほどな……。なら、丸見えってわけだ」
キザムがニヤリと笑った瞬間だった。
頭上から、凄まじい風圧を纏ったハヤトが鋭い鉤爪をむき出しにして真上から急降下してくる。
「っ……来るぞ!」
「迎撃する!」
キザムが両手に帯びた『火』の文字を燃え上がらせ、ジャミが短刀を抜き牽制の跳躍を見せる。だが――。
「甘い」
ハヤトは嘲笑うかのように上空で翼を大きくはためかせ、凄まじい暴風の壁を巻き起こした。
吹き荒れる突風にバランスを崩され、キザムたちの足場が大きく揺らぐ。
「っ……風圧だけで踏み込めねぇ!」
「それならコレはどう!」
隙を突いて、クノが懐から連ねた手裏剣と苦無をありったけ投擲した。
しかし、アメルイーストの科学力によって鋼鉄の様に強化された翼と鉄をも切り裂く硬質な羽毛が、飛来する刃をすべて弾き飛ばす。金属が衝突する甲高い異音が響くだけで、かすり傷一つ負わせられない。
「効かねぇのかよ!?」
「ただの飛び道具じゃ届かん! 奴の高度とスピードに目が追いつかない……っ!」
サンズイが歯噛みする。
上空からの絶対的な優位。こちらの一撃はすべて弾かれ、逆にハヤトは鋭利な翼を刃のように変え、容赦なく肉薄してきた。
シュウッ――!!
「くっ……!」
紙一重で身をかわしたキザムの頬を、真空の刃がかすめ、鮮血が舞う。ほんの少し遅れていれば、腕や首を両断されていた一撃だった。
「ハハハ! 地を這う虫けらが、空を自由に駆ける俺に届くものか!!」
上空へと再び舞い上がり、嘲笑うハヤト。
次の瞬間、頭上からさらなる加速をつけた死の急降下が始まる。追いつめられたキザムたちの足元が、冷や汗で濡れた。
正面からの武力では、完全に詰んでいる。
――その圧倒的な絶望の淵で、サンズイの目が鋭く光った。
「……翼...鳥...そうか!あの野郎の最大の弱点は、その『目』だ」
サンズイが短く、しかし強い口調で仲間に命じる。
「クノ、『鳥目』を突くぞ。辺りを闇に染めろ!!」
その指示に、クノは一言も発さず、サンズイの意図を察した。
クノの左手のひらに『darkness』のスペルが不気味に綴られる。
直後、燦々と降り注いでいた日光を遮るように、キザムたちの頭上を覆う一帯が一瞬にして漆黒の闇へと閉ざされる。
「なに……視界が――!?」
急降下していたハヤトの動きがわずかに鈍った。
明るい陽光から一転して漆黒の闇へと落としたことで、鳥類特有の「鳥目」の特性が発現し、網膜が焼き切られたように地上の様子が一切見えなくなったのだ。
「目が眩んだか!」
闇の中、ジャミの紅い眼が不敵に光る。
先ほど自ら語った通り、ジャミは意識を集中させ、闇の中でもハヤトの体温の揺らぎを完璧に捉えていた。
素早くハヤトの背中に飛び乗ると、手にした短刀をその背中へ深く突き刺す。
「ぐあっ……!?」
バランスを崩し、たまらず地面へと引きずり落とされるハヤト。
視界を奪われ、翼の自由をジャミに奪われたその懐へ、キザムが一気に踏み込む。
胸の奥で燻っていた『火』の文字が、怒涛の熱量を爆発させた。
「これで終わりだ……!!」
キザムの拳から放たれた灼熱の直撃が、『隼』の機動の要となる『古代文字』の刻まれた背中を真正面から焼き尽くす。
盛大な衝撃波が周囲の瓦礫を吹き飛ばし、ハヤトは文字通りの絶叫を上げることすらできず、地面に崩れ落ちた。
やがて、クノの『darkness』の効果が切れ、再び周囲に太陽のまばゆい光が戻る。
しかし、そこにハヤトの姿はもうなかった。
倒された肉体は、ボロボロの衣服と武器を残し、まるで最初から存在していなかったかのように、サラサラとした灰色の砂となって風に溶けていく。
骨すら残らない。墓標すら建てられない。
あまりにも冷たく、残酷な消え方だった。
「……骨すら、残らねえのかよ」
キザムが自分の熱を持った拳を見つめ、歯を食いしばる。
その足元で、風が砂をどこかへ吹き飛ばしていった。
――だが、その戦いの爆音と閃光は、遠く離れた里の中心で街を蹂躙するリオンの耳に、確実に届いていた。




