第54話 暴かれた包帯の裏側
ミケの鉤爪によって引き裂かれた白い包帯の隙間から、ただの傷痕ではない、禍々しく刻まれた『蛇』の『古代文字』が完全にその姿をあらわにした。
「やっぱりボスが言ってた通りだニャ!」
ミケは嬉しそうに目を細め、ひらりと身を翻す。
「ジャミだっけ? アレだよニャ! 旧研究施設で一度は逃げ延びたけど、助けが来なくて生き残りの研究員に捕まり直したヤツ! でも出来損ないで使い物にならなかったから、ポイって捨てられたんだっけニャ!」
極度の頭痛に耐えかね、ジャミはその場でフラつきながらも、自嘲気味にわずかに笑った。
「あぁ……。ご説明ありがとう……。できればキミ達には知られたくなかった……」
ジャミは苦しげに視線を上げ、キザム達の方を向く。
キザム達は、目の前であらわになった『蛇』の文字と、ジャミの想像を絶する過去の重みに、完全に言葉を失っていた。
「あれ? 内緒だったのかニャ?」
ミケは不敵に笑うと、再び殺気を尖らせる。
「まぁいいニャ! どうせこの場で全員死ぬんだからニャ! まずは出来損ない、お前からニャ!」
ミケが鉤爪を構えて真っ直ぐにジャミへと襲いかかる。
しかし、その軌道を阻むように、サンズイが瞬時に抜刀術を駆使して二人の間に割り込んだ。
「そうならそうと、もっと早く言え!」
サンズイが鋭く踏み込み、ミケの鉤爪を力任せに払い除ける。
「里長のみが知っている極秘事項だったもんでね」
ジャミは懐から短刀を取り出すと、すかさずミケの側面に斬り掛かる。だが、ミケは驚異的な反射神経で、片方の鉤爪でサンズイの刀を受け止め、もう片方でジャミの短刀を鮮やかに捌き切った。
「出来損ないのくせに、まだ動けるのかニャ?」
ミケは両手の鉤爪でそれぞれの刃を完全に無力化すると、そのまま鉤爪の付いた足で強烈な蹴りを繰り出した。
「状況がよく分からないけど、『風』ならそのスピードに対応できる!」
キザムが両手両足に『風』を綴り、爆発的な加速でミケの足元へと飛び込み、その追撃を『風』の力で無理やり押し止める。
「ジャミ、アナタの話は後でゆっくり聞かせてもらう! 今ここは、生きて乗り越えなきゃ!」
クノは障壁を右手にギュッと集中させ、がら空きとなったミケの腹部へと迷いなく拳を振るう。
「コレなら、動きを止めたから当たるよね!」
ドォン!という激しい衝撃音と共に、ミケの体がたまらず吹き飛ばされた。
瓦礫の山に叩きつけられたミケは、すぐさま何事もなかったかのように立ち上がると、まるで水を掛けられた犬のようにブルブルと身震いする。
「ニャかニャか、重い一発だったニャ! ……けど、ここからは本気で行くニャ!」
ミケが再び飛び出そうと身構えたその瞬間、彼女の前にひとりの男が静かに姿を現した。
黒い外套を纏った謎の男だった。
「ミケ……。何をしている。ここでの仕事は終わったはずだ」
「ボス! 忍の残党狩りニャ! ほら、ボスの言ってたジャミが……」
ミケが振り返って指し示すと、外套の男は冷ややかな視線を向け、それをピタリと制した。
「ジャミか……。また懐かしい奴が出てきたものだな……」
男は冷徹な目をジャミに向け、低く言い放つ。
「所詮貴様も、何不自由なく今までノコノコ生きてきたんだろう。俺たちは重大な仕事中なんだ。仕事が済んだら、この世界の忍全てを殲滅する。それまで大人しく待っていろ」
男はそれだけ言い捨てると、鮮やかに外套を翻し、ミケを従えて一瞬にしてその場から姿を消した。
戦闘の気配が去った瞬間、張り詰めた糸がプツリと切れたように、ジャミはその場へと崩れ落ちるように倒れ込んだ。
キザムとクノが慌てて駆け寄り、必死にその体を抱き起こす。
サンズイは男たちが消え去った虚空を、険しい顔で見つめたまま呟く。
「全世界の忍を殲滅だと……。だが、あの男が放つ圧倒的な力の差を見せつけられたら……」
一刻の猶予もないと悟ったサンズイは、直ちに事のあらましを手紙に書き留め、待機させていた伝書鳩を飛ばして里長の元へと走らせた。
――やがて、意識を取り戻したジャミが、ゆっくりと目を開ける。
「ジャミ……! なぜ隠していた!」
サンズイは堪えきれない焦りと怒りを混ぜ合わせるように、ジャミを問い詰める。
「こんなにも近くに、人体実験の手がかりがあるなら、わざわざこんなところまで足を運ぶ必要もなかったんだぞ!」
ジャミは力なく首を横に振るい、掠れた声で紡いだ。
「サンズイ……みんな、済まない……。この秘密だけは……キミ達にも、里の誰にも知られちゃいけなかったんだ。」
クノはごくりと生唾を飲み込み、震える声で尋ねた。
「でも……どうしてそこまで……?」
「僕はね、サンズイ……キミの奥さん、『百合の花束』のメンバーと同じように誘拐され、この場所に実験体として連れてこられたんだ」
遠い過去を思い出すように、ジャミはうつむいたまま語り続ける。
「あの時、ノバラさんが助けに来てくれたおかげで、僕は逃げ遅れはしたけれど、幸いにも命だけは助かった。……だが、ミケの話にあった通りだ。研究施設の生き残りに再び捕まり、今度は実験体として、この『蛇』の『古代文字』を体に刻まれた」
ジャミは自らの左肩を痛ましそうに押さえる。
「『生物』を表した『古代文字』は、他の文字とは違う。その生き物との肉体的な融合を意味するんだ。……僕は、もう人間じゃない」
仲間の息が詰まるのをよそに、ジャミの瞳に深い感謝と覚悟の光が灯る。
「そんな、化け物になってしまった僕を拾ってくれたのが、今の里長だった。化け物のような僕を、ひとりの人間として扱ってくれた。行く当てもなかった僕に、温もりと生きる道を与えてくれたんだ……」
だから、とジャミは静かに、しかし揺るぎない声音で言い切った。
「僕はこの命尽きるまで、日ノ本の里に、そして里長に忠義を尽くすと決めたんだ」
キザムは眉をひそめ、歯痒そうに声を絞り出す。
「それなら、俺たちには最初から言ってくれてもよかったんじゃないか……?」
「里長との約束なんだ」
ジャミは寂しそうに、だが真っ直ぐに微笑んだ。
「もし、人体実験の被験者とバレたら……里自体が、裏で非人道的な実験を行っているのではないかと、他里からあらぬ疑いをかけられかねない。だからこの事は、里長と僕だけの極秘事項にするって約束したのさ」
「それを俺たちが知ったところで、俺たちが、情報を漏らすとでも思ったのかよ!」サンズイが語気を強める。
「誰も知らなければ、誰を疑うこともせずに済むだろ...。」
ジャミの絞り出すような告白に、その場にいた誰もが言葉を失っていた。
過酷な運命に肉体を奪われ、人ならざる力を背負わされながらも、彼はその牙を牙のままではなく、誰かを守るための「心」として抱え続けているのだ。
サンズイは厳しい視線を向けたままだったが、やがてふっと息を吐き出し、その強張った肩の力を抜いた。
「……お前らしくもない。いつもみたいに飄々とかわしやがって、一人で全部背負い込みやがってさ」
「サンズイ……」
「だがな、ジャミ。お前がどんな体だろうと、これまで俺たちの背中を預けてきた事実は変わらねぇよ。人間かどうかを決めるのは、その肌に刻まれた文字じゃねぇだろ」
キザムも力強く頷き、ジャミの肩にポンと温かい手を置いた。
「そうだよ。俺たちを助けてくれた時のアンタの温かさは、人間だろうとなんだろうと本物だったぜ。だから、そんな風に自分を卑下すんじゃねぇよ」
クノも優しく微笑み、そっと言葉を重ねる。
「アナタが守りたかった里と、里長の想い……私たちはちゃんと受け止めたから。これからは一人で抱え込んで隠し事なんてしないでよね、ジャミ」
仲間たちの温かな眼差しと真っ直ぐな言葉に、ジャミは驚いたように目を見張り、やがてその表情を緩ませて、どこか照れくさそうに苦笑した。
「……まったく、キミ達には敵わないな。隠し事のヘタな僕じゃ、結局こうして全部バレちまうってわけか」
ジャミはゆっくりと上半身を起こし、力強く前を見据えた。
その瞳にもう迷いはなかった。
『蛇』の文字が宿るその身体で、彼は何度でも仲間のために立ち上がる。
世界のすべてを敵に回そうとも、この日ノ本の里と、自分に「人間」としての居場所をくれた恩人のために――ジャミは静かに、しかし熱く心に誓うのだった。
「――さあ、行こうか。世界を壊そうって連中に、僕たちの居場所を渡すわけにはいかないからね」
崩壊した研究施設の瓦礫を背に、キザム達の足取りに再び強い意志の光が宿る。
巨大な陰謀の足音が迫る中、固い絆で結ばれた彼らは、次なる戦いへと力強く歩き出すのだった――。




