第53話 3本の爪痕、隠された因果
【ミナストリア】の地平線に足を踏み入れた瞬間、キザム達はただならぬ異変を肌で察知した。
かつて砂漠の奥にひっそりと、しかし強固にそびえ立っていたはずの里の街並みは見る影もなく崩壊し、あちこちから不気味な黒煙がもうもうと空へ立ち込めている。
通りに足を踏み入れると、そこには言葉を失うほどに凄惨な光景が広がっていた。里の忍たちが血を流し、すでに冷たい骸と化して転がっている。
「これは……いったい、何が起きたんだ……」
キザムが息を呑み、血に染まった地面を見下ろす。
クノは近くに倒れていた遺体の傍らに膝をつき、その傷痕を慎重に調べ上げた。すると、彼女の顔色がサーッと血の気を引かせて強張った。
「キザム、サンズイ……これ、事故なんかじゃない。どの遺体も、鋭利な刃物で斬り付けられたような、鋭い傷が3本並んでついている……!」
クノの言葉に、サンズイもすぐ近くの遺体をしゃがみ込んで確認する。
その傷跡を見た瞬間、サンズイの脳裏に、道中で突如として襲いかかってきたあの女――ミケの両手足に装着されていた鋭利な鉤爪の残像が鮮烈に蘇った。
「すでに、口封じの手が伸びていたか……。急いで研究施設を探すぞ!」
サンズイの緊迫した声に促され、キザム達は崩壊した建物の瓦礫を飛び越え、一際大きな黒煙を上げる工場地帯へと全速力で駆け出した。
一帯の中心にある巨大な研究施設に近づくにつれ、なぜかジャミが突然、頭を激しく押さえるような仕草を見せた。その足取りがぴたりと止まる。
「キミ達は……先に行ってくれ。すぐに、追いかけるから……」
どこか力なく、しかし拒絶するようなジャミの言葉を背中に受けながら、キザム達は振り返る余裕もなく、研究施設へと急行した。
建物の入り口にたどり着いた彼らの視界に飛び込んできたのは、あまりにも異様な光景だった。
そこには、アメルイーストの忍、ミナストリアの研究員らしい男、そしてあのミケの姿に加え、見慣れない黒い外套を纏った謎の集団が取り囲むように立っていた。
アメルイーストの忍とミナストリアの研究員は、すでに両手を縛られ、地面に無惨に押し倒されている。
「やめろ……! もう、やめてくれ……っ!」
研究員が泥まみれの顔を歪め、悲痛な叫び声をあげる。しかし、黒い外套の男たちは冷酷な目を向けたまま動かない。
アメルイーストの忍は、歯を食いしばりながら悔しそうに地を睨みつけていた。
「貴様らの私利私欲を満たすために、俺たちは使い捨ての道具として利用されてきた」
黒い外套の男が低い、怒りに満ちた声を響かせる。
「数々の同胞たちが、この下らん研究のために命を落とした。……今度は、貴様らの番だ」
男はそう言い放つと、アメルイーストの忍の首を片手で掴み、そのまま軽々と空中へと持ち上げた。忍は両手でその腕を必死に引き剥がそうとし、足をバタバタと激しく暴れさせるが、首を締め付けられる力は緩まず、やがてぴくりとも動かなくなった。
「やめてくれ、命だけは……! 我々はアメルイーストからの依頼で、言われた通りに実験をやっていただけなんだ! 今すぐ、すべての研究資料も施設も破棄する! だから……っ!」
命乞いをする研究員の言葉は、最後まで紡がれることはなかった。
一閃。
横合いから素早く踏み込んだミケの手によって、その首が綺麗に刈り取られたからだ。
「うるさいヤツだニャ。聞いてて耳障りだったニャ」
ミケは冷酷に言い放つと、鮮血の滴る鉤爪をひらりと振るった。
その直後、黒い外套の集団は手際よく研究施設内に爆薬を仕掛け、一斉にその場から姿を消していく。だが、ミケだけはその場に残り、ふっと鼻をヒクヒクと鳴らした。
「……ん? この匂い……」
ミケが狂気を帯びた目をぎょろりと動かし、物陰にいたキザム達を振り返る。
「お前ら……あの砂漠で会ったヤツらだニャ! ちょうどいい、目撃者は全員、死あるのみニャ!」
逃げる間もなく、ミケは凄まじい跳躍力で襲いかかってきた。
反射的にサンズイが『緑葉』を抜き放ち、正面から迫るミケの鉤爪を受け止める。ガキィンと、夜気を切り裂くような巨大な火花が激しく散った。
「会いたかったぞ、ミケ!」
「会いたいって、ワタシにかニャ? そんな面と向かって言われたら、ちょっとドキドキしちゃうニャ」
口では軽口を叩きつつも、ミケの攻撃の手は一瞬たりとも緩まない。その圧倒的な殺気に、サンズイは歯をくいしばって押し返す。
「知っていることを、洗いざらい吐いてもらおうか!」
「そういうことなら……ちょうどいいニャ。さっきボスに聞いて思い出したニャ!その質問は、あそこにフラフラやってきた男に聞くといいニャ!」
ミケが視線を向けたその先に、頭を両手で抑え、苦しげに顔を歪めながらゆっくりと近づいてくるジャミの姿があった。
「ジャミ……っ!?」
キザムが驚きの声をあげる。その隙を突き、ミケはサンズイの刀の軌道を鮮やかにすり抜け、一直線にジャミの方向へと跳んだ。
クノとキザムが慌ててジャミとミケの間に入り込もうとするが、ミケの身のこなしはまるで水のように滑らかで、二人をすり抜けて一瞬でジャミの背後へと回り込む。
「もらったニャ!」
ミケの鋭い鉤爪が、ジャミの胸元――いや、左肩を容赦なく狙い定めて振り下ろされた。
頭痛と眩暈でまともに視界も定まらないジャミは、辛うじて体を捻るのがやっとだった。
バリッ、と生々しい音が響く。
ジャミの着物、そして常に左肩にきつく巻かれていた白い包帯が、ミケの鉤爪によって一気に切り裂かれた。
「ジャミっ……!」
キザムの必死の叫びが、崩壊する研究施設の炎の中に響き渡る。
切り裂かれた布の隙間から、ただの傷痕ではない、禍々しく刻まれた「何か」の気配が、わずかにその姿を覗かせようとしていた。
「っ……ぐぅ……!」
頭を押さえ、その場に膝をつきかけるジャミ。
先ほどまでの飄々とした余裕は完全に消え失せ、彼の額には冷や汗がにじみ、顔面が蒼白に歪んでいた。
研究施設から漂う血の匂いと、蘇る忌まわしい記憶の残滓が、許容量を超えたストレスとなって激しい頭痛を引き起こしている。
その苦悶に満ちた異様な様子に、駆け出そうとしたキザムも、クノも、そしてサンズイさえもが、思わずその場に足がすくみ、息を呑んだ。
隠されていた真実の蓋が、いま、静かに、そして確実に剥がれ落ちようとしていた――。




