第39話 氷城の牙、絶望の交錯
冷え切った石畳の廊下に、キザムたちの靴音が寂しく反響する。
「なんだよ、この不気味さは……。もっと罠とか、雑魚の群れとかが待ち構えてると思ったのに」
キザムが警戒しながら辺りを見回す。その声には、未知の脅威に対する緊張感が滲んでいた。
「気を抜くな。ヒョウゲツほどの男が、無防備に俺たちを通すはずがない」
サンズイは木刀の柄に手をかけたまま、周囲の壁や天井へと鋭い視線を巡らせる。クノは両手の拳に障壁を薄く纏わせ、一歩一歩慎重に足を進めていた。
「……なんか、空気がピリピリしてない? 酸素が薄いっていうか……」
「ああ、違うな。これは――『気圧』じゃない、『気配』だ」
サンズイが足を止める。その視線の先、廊下のどん詰まりにある巨大な両開きの扉が、不気味な音をたてながらゆっくりと開き始めた。
冷気と禍々しい闘気が、隙間から溢れ出す。
三人は自然と身構え、息を呑んだ。
扉の向こうに広がっていたのは、まるで古代の神殿を思わせる広大な謁見の間だった。天井からは巨大な氷柱がいくつも垂れ下がり、その中央に鎮座する玉座の背後には、凍りついた巨大な薔薇のステンドグラスが月明かりを浴びて青白く輝いている。
そして、その玉座に深く腰掛けている男がいた。
ヒョウゲツだ。
「久しぶりだな、ノバラの残滓共」
「ヒョウゲツーー!」
キザムが激情のままに飛び出し、左手に全霊の『煌炎』を宿して襲いかかる。しかし、ヒョウゲツは嘲笑うかのようにわずかに体を動かしただけだった。
キザムの拳が届く寸前、ヒョウゲツの冷たい手が稲妻のごとく閃き、キザムの左手首をガシリと掴み取る。
「……っ!?」
圧倒的な握力。次の瞬間、骨が軋む乾いた音と共に、キザムの左手首が凄まじい角度へとひしゃげた。
「ぐああっ……!」
悲鳴を上げる間もなく、ヒョウゲツは無造作に腕を振り、キザムの体をまるで紙屑のように放り投げ返した。
ドスンと冷たい床に叩きつけられるキザム。
「キザム、すぐ治すからっ!」
クノが青ざめた顔で駆け寄り、必死に治癒の術を施してひしゃげた手首を元へと戻していく。
「……ハァ、ハァ……!」
荒い息を吐きながら立ち上がるキザムの横をすり抜け、サンズイが一人、木刀を携えてヒョウゲツへと間合いを詰める。
瞬く間に放たれる神速の連撃。
「ふん……」
ヒョウゲツは一歩も引かず、指先や片手でサンズイの繰り出す猛攻をまるで蚊を払うかのように、ひとつひとつ優雅にあしらう様に弾き払っていく。剣技の重みすら利用され、サンズイの体勢がわずかに崩れた。
これ以上は危険と判断したサンズイは、瞬時に体勢を立て直し、一旦キザムたちの元へと引いた。
「これまでの何一つ通用しないなんて……」
クノが戦慄の表情を浮かべる。
「まだだ!」
キザムは治癒された右手で自身の左手に『古代文字』の『火』を素早く描き、それをヒョウゲツめがけて撃ち放つ。巻き起こった巨大な炎の渦が、ヒョウゲツの視界を完全に遮った。
「サンズイ!」
その一瞬の隙を突き、サンズイが再び疾風の如く踏み込み、ヒョウゲツの死角へと木刀を振り下ろした――その刹那。
視界を裂くように、床から漆黒の茨が突如として突き出した。
「――っ!」
間一髪、サンズイが身を捻ったことで直撃は免れたが、鋭利な『黒い茨』がサンズイの腹部をかすめ、鮮血が冷気に舞った。
「サンズイ、動かないで!」
すぐに異変に気づいたクノが駆け寄り、瞬時に放つ高速治癒の淡い光をサンズイの腹部に纏わせる。一瞬で傷口が塞がり、出血がピタリと止まった。
「……すまない、クノ」
「アレは……ノバラ様の……!?」
クノが信じられないものを見る目で絶叫する。
ヒョウゲツは舞い散る炎と血飛沫の向こうから、冷ややかに微笑んで答えた。
「正確には、俺のチカラをノバラに分け与えていただけだ」
息を切らせ、冷や汗を流すキザムとサンズイ。
だが、ヒョウゲツは服の乱れ一つなく、汗すら一滴もかいていない。
「ここまで差があるとはな……」
サンズイの呟き。しかしその瞳に宿るのは、絶望の色ではない。むしろ、冷徹な闘志の炎が妖しく揺らめいていた。
サンズイの全身の血管が浮き上がり、秘めた術式である『結合』が体中に張り巡らされていく。足元からは、青く美しい水色の術式陣が圧倒的な輝きを放ちながら浮かび上がった。
「いくぞっ! キザム!」
「おぅっ!」
サンズイの『結合』による限界を超えた加速。その爆発的な踏み込みに合わせ、キザムは虚空を駆けながら次々と古代文字を紡ぎ出す。烈風を巻き起こす風遁の術、奔流を生む水遁の術、激雷を纏う雷遁の術、大地を穿つ土遁の術、そして巨樹の枝を幾重にも繁らせる木遁の術――五つの属性を極限まで圧縮した圧倒的な大技を、ヒョウゲツめがけて一斉に叩き込んだ。
轟音と共に、謁見の間全体が激しく揺れ、視界を飲み込むほどの白い土埃がもうもうと舞い上がる。
「……やったの!?」
クノが息を詰まらせて土埃の向こうを見据える。あまりの猛攻に、ヒョウゲツの姿は完全に白煙の向こうへと隠され、認められなくなっていた。
だが――。
その静寂を切り裂くように、土埃の底から禍々しい殺気が膨れ上がる。
「浅はかだな」
ズシュッ――!
視界が晴れるよりも早く、土埃の奥から突き出した太い一本の『黒い茨』が、キザムの体を容赦なく串刺しにするように捉えた。
「がはっ……!」
激痛が全身を走り、キザムは血を吐きながら、そのまま背後の頑丈な石壁まで凄まじい勢いで吹き飛ばされた。




