第38話 影の死闘、凍土の赤
三人の後ろ姿が見えなくなるのを見届けたジャミは、小さく息を吐いた。
「ふぅ……。案外簡単に通してくれたじゃないか」
カゲマルは冷たく微笑み、両腕から仕込み鉤爪をシャキリとせり出させる。
「美味しいところは上に譲るのが定石」
カゲマルは自身の影を全身に纏い、ジャミと対峙する。
「ようやく本気ってことかな?」
静寂を切り裂き、カゲマルとジャミが閃光のような激しい攻防を繰り返す。
一方、ヒョウゲツの潜む塔を目指して雪原を駆ける三人。
クノは走りながら、心配そうに呟いた。
「ジャミ、大丈夫かな……?」
キザムは前を向いたまま、力強く言い切る。
「あのジャミが負ける訳ない!」
だが、サンズイだけは違った。その胸中では、これまでの旅路で見せたジャミに対する違和感が、消えない不信感となって渦巻いていた。
やがて足を止めず走り続けたキザム達は、ついに塔の入口へとたどり着いた。
灯りは一切なく、凍りついた真っ暗な門が、まるで獲物を招き入れるように静まり返って佇んでいる。
三人は顔を合わせ、無言で力強く頷くと、まっすぐにその中へと足を踏み入れていった。
その頃、『百合の花束』の三人手とガジュマルたちは、押し寄せる影の刺客達を次々と減らしていた。
戦場は凄まじい熱気に包まれている。
ナナシは両手の拳を構え、古代文字の術式を次々に発動させる。『水遁』の水流が敵を薙ぎ払い、『雷遁』の電撃が闇を焼き、『土遁』で足元から敵を穿ち、『風遁』の真空刃が群れを引き裂き、最後は『木遁』の樹枝で一網打尽にする。圧倒的な戦闘センスを見せつける。
そして、トウコが動く。
彼女が白鞘に手をかけ、一気に抜き放った瞬間――凍てついた冬の空気が、まるで春紅葉のように鮮烈な朱の光に包まれた。秋月家に伝わる妖刀【紅葉】が、血を吸い取るかのように妖しく真紅の軌跡を描く。
群がり来る影の刺客たちが一斉に牙をむくが、トウコは臆するどころか、ふっと艶やかな笑みを浮かべた。
「ウチの邪魔をするアホは、みぃんなまとめて散りなはれ……!」
しなやかで、それでいて一歩たりともブレない重心。舞うような足さばきで敵の懐へと滑り込み、妖刀【紅葉】を一閃させる。ただの一太刀であっても、刀身から放たれる凄まじい斬撃波が周囲の刺客たちの影をまとめて両断していく。
すれ違いざまに首筋を掠め、舞い散る血飛沫すらも紅葉の葉のようにはかなく散らす、あまりにも美しく、そして容赦のない剣舞。近づく者すべてを紅蓮の業火のごとく切り伏せ、トウコの周囲には瞬く間に幾重もの影の残骸が積み上がった。
チユもまた、頑強な障壁を駆使して敵の攻撃を完璧に受け止め、研ぎ澄まされた拳から繰り出される重い一撃で刺客の群れを次々と吹き飛ばしていた。
一方のガジュマルは、愛用の青龍刀を豪快に振るい、的確に敵の首筋を狩っていく。
激しい剣戟の最中、トウコはふっと息を整えながら、妖刀【紅葉】に付いた血を鮮やかな手際ではらい、吐き捨てるように呟いた。
「はよ片付けて、サンズイはん助けにいかなあかんのに……!」
その言葉には、サンズイへの切実な想いが痛いほどに込められていた。
それを聞いたチユが、敵を殴り飛ばしながら鋭い視線を向ける。
「アンタ、それじゃあ『百合の花束』はどうするつもりよ?」
その問いに、少し離れた位置で戦っていたナナシも、気まずそうに、しかし鋭くトウコへと視線を走らせる。
トウコは妖刀【紅葉】を美しく一回転させ、凛とした眼差しで言い放った。
「どうもこうも、ウチが辞める訳あらへんやろ。サンズイはんも、この『百合の花束』も、どっちもウチの大切な居場所や」
その力強い言葉を聞いた瞬間、ナナシの顔から浮かんでいた「トウコがいなくなってしまうのではないか」という不安の色がスッと消え去った。
「――だったら、さっさと片付けてキザム達のとこにいくよ!」
ナナシの瞳に闘志の覇気が戻り、より一層激しい連撃で影の刺客達を次々と蹴散らしていく。
その横で、ガジュマルが豪快に笑った。
「アイツもモテるねぇ。まぁ、俺ほどではないけどな? なぁ、オマエら」
ガジュマルが振り返った先では、戦闘の合間に五人の妻たちが恥ずかしそうに顔を真っ赤に染めていた。
その頃、ジャミとカゲマルの戦いは異次元の領域に達していた。
影を纏ったカゲマルは、もはや実体を持たない本物の影の様に地面へと完全に溶け込み、周囲の影から影へと自由に移動する。
凍った木、足元に降り積もった雪、そしてジャミ自身の足元に落ちた影――。
次から次へと予期せぬ場所から飛び出しては、カゲマルが冷酷な鉤爪でジャミの体を切り裂いていく。
浅いとはいえ確実に致命傷スレスレの傷を負い続けるジャミ。その痛々しい傷から滴り落ちた鮮血は、純白の雪原を痛々しいほどに赤く染め上げていく。
どの影から、いつ飛び出してくるかも分からない絶望的な状況。ジャミは荒い息を吐きながらも、ついに渋々と、あの蛇のような細い目を見開いた。
その眼球が紅く爛々と染まった瞬間――ジャミの動体視力がカゲマルの軌道を完全に捉える。
カゲマルが背後の雪の影から飛び出た、まさにそのコンマ数秒の隙を狙い、ジャミは一寸の迷いもなく短刀を突き出した。
グサリ、と正確にカゲマルの首筋を貫く。
「なっ……ぜ……」
驚愕と絶望の色を浮かべたまま、カゲマルはそのまま力なく息絶え、雪の上に崩れ落ちた。
ジャミはカゲマルの首から短刀を引き抜いたが、全身の力が抜けたように激しくふらつく。
「……だから、このチカラは……使いたくないんだ……」
絞り出すような呟きを残し、ジャミもまた、耐え切れない疲弊と消耗に飲まれるように、そのまま意識を失ってその場に倒れ込んだ。
しんしんと降り注ぐ白い雪が、静かに、ジャミとカゲマルの流した血を赤く染め上げていくのだった。




