第36話 氷雪に託された願い
ガジュマルと別れたキザム達は、冷酷なまでの冬の世界、ロゼリアへと足を踏み入れていた。
ロゼリアは一年中氷に包まれた里だった。日ノ本の里のような木造建築とは違い、西洋の時計台を彷彿とさせる高い尖塔が立ち並ぶ。だが、その街並みは美しさよりも先に、凍てつく静寂が支配していた。ローズ・ヴァインが潜伏しているのは里の中心部。外縁部に辿り着いたばかりのキザム達にとって、そこはまだ遥か遠い領域だ。
冷気は容赦なく彼らの体温を奪っていく。
キザム、サンズイ、クノは、歯がガタガタと鳴るのを止められないほどに震えていた。一方でジャミは、寒さを感じていないかのような表情で歩いているが、どこか焦点が定まらず、その動きはいつになく鈍い。
「さ……、さむ……」
キザムが震えながら零す。ジャミは眠たそうな目を擦り、ゆっくりと口を開いた。
「ヤツらの潜伏している所は、ここよりも更に冷える。この程度で動けなくなっていたら、ヒョウゲツを討つことなんてできないよ」
サンズイはその背中を観察しながら、鋭い眼光を向ける。
(ジャミのヤツ……何かがおかしい。あの頑なな包帯の理由といい、この反応の鈍さといい……)
サンズイの疑念は、吹雪の中でますます濃くなっていく。
人っ子一人いない氷の回廊。緊張に耐えかねたキザムが、突如として声を張り上げた。
「出てこい! ヒョウゲツ――ッ!!」
「やめろ、馬鹿ッ!」
咄嗟にサンズイがキザムの口を塞ぐ。
「ここは奴らの本拠地だぞ! 目立つ行動をすれば、すぐにでも囲まれる!」
しかし、その警告も虚しく、冷たい風を切り裂いて白い毛むくじゃらの巨体が現れた。行く手を塞ぐイエティの威圧感に、四人は即座に臨戦態勢をとる。
「お前たち……ココ通りたいか……?」
言葉はたどたどしいが、敵意は感じられない。キザムは率直に言い放った。
「あぁ! ここを通って、ヒョウゲツを討たなくちゃいけないんだ!」
「キザム、そんなバカ正直に……!」
クノが呆れて天を仰ぐのをよそに、イエティは「ヒョウゲツ……討つ……」と反芻し、思案に耽るような仕草を見せた。
「何者かは分からないが、いつでも戦闘の用意を!」
ジャミの指示通り、四人は短刀を構える。しかしイエティは背を向け、のそのそと歩き出した。
「おでに……ついて来い……」
「罠かもしれん……。気を抜くな!」
サンズイが木刀を構え直す。四人は警戒を最大限に高め、吹雪の中を歩く白い巨体の背中だけを頼りに進んでいった。
どれほどの時間が経っただろうか。不意にイエティが立ち止まり、短い言葉を紡ぐ。
「ここだ……」
その先には、小さな村があった。キザムが攻撃の準備に入ろうとしたその時、一軒の家から若い女性が現れた。
「道案内ありがとう、イエティ」
ツララと呼ばれた女性は、雪男のあごを優しく撫で、礼として食料を分け与えた。イエティは満足げに、来た道を戻っていく。
「あなた達の目的は、ヒョウゲツでしょう?」
キザムは警戒を解かない。
「あぁ! アンタは……ローズ・ヴァインの一味か!?」
「彼女は、氷華の里ロゼリアの里長、ツララさんだ」
ジャミが短刀を収め、四人の戦闘待機を解いた。
「間違いない。以前、里長の護衛任務の際にお見かけしたことがある」
「私はツララ。今のロゼリアはヒョウゲツに実権を握られているわ」
ツララの表情には、深い悲哀が宿っていた。
「ローズ・ヴァインがこの里を拠点にして以来、全てが変わった。以前は氷の彫刻や雪像で彩られた街だったのよ……。先代たちに、申し訳が立たないわ」
「ツララさん、ヒョウゲツと戦ったりはしなかったの?」
クノが問いかけると、彼女は力なく首を振った。
「里の威信をかけて戦ったけれど……結果は見ての通りよ。私たちは中心部から逃げ、この地に隠れ住んでいるの」
サンズイが冷徹に問い詰める。
「それで……。なぜ俺たちを案内させた?」
ツララは懐から一通の手紙と地図を取り出した。
「あなた達が来ることは、日ノ本の里長からの手紙に記されていたわ。ロゼリアの民は、ヒョウゲツを討つためなら命を惜しまない。全面協力するわ」
ジャミが補足する。
「日ノ本とロゼリアの全面戦争は絶対に避けなければならない。だからこそ、里長は事前に念を入れてツララさんに連絡を取って下さっていたようだ。」
キザムは地図を見下ろし、頬を緩ませた。
「よく分からねぇが、とにかくヒョウゲツをぶん殴っても誰も文句は言わねぇってことだな!」
「そういうこと!」
クノも力強く頷く。
ツララは地図を広げ、氷に閉ざされたルートを指し示す。
「彼らにはまだ強力な幹部や精鋭の忍衆がいます。このルートを通るといいわ」
四人の視線が地図に釘付けになる。
ヒョウゲツの待つ塔まで、あと少し。
キザム、サンズイ、クノの三人は、ただの「仇討ち」のために里を出た時とは違う、里の運命を背負った重みを感じていた。
そして、その光景を冷徹な瞳で見つめるジャミ。彼が隠し持つ「業」が、この吹雪の先にどのような結末をもたらすのか。
その夜、四人はヒョウゲツの牙城へ向けて、最後の足を踏み出した。




