第32話 月夜に踊る、操り人形の吐息
クチナシとの死闘を皮切りに、ローズ・ヴァインの刺客たちは容赦なくキザムたちを追い詰めていた。
休む暇などない。幾日も続いた逃走と迎撃の果てに、三人の身なりは泥と血に汚れ、その表情には限界に近い疲労が深く刻まれていた。
「……いい加減にしろよッ。使い捨ての駒ばかり並べやがって……玉座に隠れてねぇで、テメェ自身が面を出せ、ヒョウゲツ!」
キザムの苛立った独り言が、鬱蒼とした森に虚しく響く。
隣を歩くクノの肩は大きく上下し、その息切れはもはや隠しようもなかった。
ジャミが足を止め、三人に鋭い視線を投げる。
「落ち着け。冷静さを欠くと、奴らの思うツボだ」
「……そういや、サンズイ。この間(クチナシ戦)から妙な足さばきで戦ってるな。あの動きはなんだ?」
問いかけに、サンズイは短く息を吐く。
「……サムライだ。古の理を師から授かった。刀と術式が直結する、忍とは異なる戦い方だ」
「へぇ……。じゃあ、お前も隠し玉があるわけだ」
サンズイが冷静に返す。
「お前こそ、あの『煌炎』はどうした。制御しきれていないようだが」
「……ああ。まだ瞬間的にしか扱えないが、威力は本物だ。いずれ、あいつらを焼き尽くしてやる」
「はぁ……お風呂に入りたい……」
クノの切実な呟きに、ジャミがわずかに目元を和らげる。
「湯治か。時には休息も必要だ。悪くない。もう一日歩いた先に温泉街がある。そこで休息としよう」
「温泉! ……やったあ!」
キザムとクノの顔に、久方ぶりの明るい笑みが浮かんだ。サンズイの口元も、かすかに緩む。
その夜は、街道を外れた森の中での野宿となった。
キザム、サンズイ、ジャミが背を向けて眠る。クノは彼らから少し離れた場所で横になったが、極限状態の中で深い眠りにつけるはずもなかった。
(汗かいたし……匂いとか、大丈夫かな……)
唯一の女子であるクノは、泥にまみれた自分の体を気にし、そっと腕の匂いを嗅ぐ。
(あれ? ……温泉の匂い?)
風に乗って漂うのは、硫黄の香り。それも、かなり近い。
クノは気配を消し、キザムたちを起こさぬよう、音もなく立ち上がった。
数分歩いた先、木々の切れ間に小さな湯だまりが湧いていた。クノはゴクリと生唾を飲み込む。
(……我慢できない...。)
衣類を脱ぎ捨て、温泉に身を沈める。温もりが凍えた神経を溶かしていく。
ー暗転ー
ふと、キザムが目を覚ます。
目の前には、なぜかクノが立っていた。乱れた衣類の隙間からは、月明かりを浴びた濡れ肌が、温泉の湯気を纏って妖しく光っている。普段は見慣れぬほどに成熟した、隠しようもない色香がその肢体から溢れ出ていた。
「えっ、クノ……? あっ、いやっ!」
キザムは動揺し、まっすぐに彼女を見ることができずに視線を逸らした。
「ねぇ……キザム……きて……」
普段の彼女からは想像もつかない、どこか遠い目をした艶っぽい声。クノはキザムの手を取り、森の奥へと導く。
「ここで……ねっ、キザムっ!」
クノはキザムをそのまま強引に地面へと押し倒し、迷いのない所作でその上に馬乗りになる。密着した肢体からは温かな湯の香りが立ち昇り、キザムは顔を真っ赤に染めて動揺を隠せない。
「クノ……一体、どうしたんだ……!?」
クノの唇が、ゆっくりとキザムの唇へと近づいてくる。その表情はあまりに蠱惑的で、キザムの思考を完全に麻痺させた。
「……助け……て……キザム……」
声のトーンが、一瞬で変わった。それは色香ではなく、魂を絞り出すような切実なSOS。
「クノっ!? どうした!」
キザムがその体を揺さぶると、クノはそのまま力が抜けたように意識を失い、泥の中に崩れ落ちた。
「チッ……! まぁいい、もう一度だ!」
木の陰から響く声。カイライの手の甲には、『操』の禍々しい刺青が刻まれている。彼は姿を隠したまま、指先を操り人形の操演者ように動かす。意識を失ったクノの体が、糸に引かれるようにして不気味に立ち上がった。
キザムの耳には、その声は届かない。彼はただ、眼前の異変に声を上げる。
「サンズイ! ジャミ! クノがおかしいんだ!」
キザムの叫びが森に響き渡るが、まるで空間が歪んでいるかのように、木霊だけが返ってくる。
「キザム……逃げて……」
クノの手には、見たこともない鋭利な短刀が握られていた。
「まさか……ローズ・ヴァイン……!」
森の奥、闇の彼方から、先ほどの男の声が嘲笑混じりに響く。
「勘はいいみたいだけど、もう終わりにしよう」
クノの姿が、揺らぐ陽炎のように増殖していく。瞬く間に、十人以上のクノがキザムを囲んでいた。
「キザム! 大丈夫か、クノは……?」
ようやく合流したサンズイとジャミ。だが、二人の周囲にもクノの姿が踊り、木刀を構えるサンズイの行く手を阻む。
「クチナシのような、あの出来損ないの借り物……馬鹿の一つ覚えで突っ込んでくるだけの肉塊じゃあな。殺し合いってのは、もっとこう……頭を使って『糸』を引くもんだろ? なぁ、相棒」
増殖したクノたちが、口々に叫ぶ。
「助けて」「私は本物よ」「こっちに来て」
「……どういう状態なんだ、これ」
サンズイの問いに、キザムが唇を噛む。
ジャミは動じない。冷徹な瞳で十人のクノを見渡し、分析を始める。
「なるほど。クノは操られているわけか。だが、これだけの人数を同時に操る術式には穴がある。おそらく、敵は二人組だ」
「一体どれが本物なんだ……?」
「惑わせ、コチラから攻撃できなくすることが目的だ。……ただ、僕たちは忍だ。任務の為に感情を捨てることも大事だ」
その言葉に、キザムは息を呑んだ。嫌な予感がよぎる。
「……まさか、クノを犠牲にする気か!」
サンズイが激昂し、ジャミの胸ぐらに掴みかかる。
「お前っ……!」
ジャミは表情一つ変えず、サンズイを力任せに振り払った。
「相変わらず、キミたちも甘いな。……本来、忍とはそういうものだろう? まぁ、見ておきなさい」
森の奥、操り人形たちが奏でる不協和音の舞いが、三人を包み込んでいく。




