第30話 石門の先、夜明けの誓い
湿地帯を覆っていた霧が、嘘のように晴れ渡っている。
キザムは一人、日ノ本の里の境界にそびえ立つ巨大な石門の前に立っていた。かつて、ノバラと共にこの門をくぐった時は、希望と不安が入り混じっていた。だが今、彼の背中にはノバラの姿はない。あるのは、左手に残る『煌炎』の余韻と、胸を突き刺すような喪失感だけだ。
(……いや、今は感傷に浸る時じゃない)
キザムは首を強く振り、己の甘えを断ち切るように石門へと足を向けた。ロゼリアまでの道のりは遠い。敵はヒョウゲツ。今の自分たちが全力で挑んでも、勝機は薄い。だからこそ、これ以上仲間を道連れにはできない。それがキザムなりの、精一杯の「強さ」だった。
「待てよ、キザム!」
鋭い声が、石門の影から響いた。
立ち止まったキザムが振り返ると、そこには見慣れた二人の姿があった。サンズイとクノ。修行を終えた彼らは、以前よりもどこか洗練された空気を纏っている。その眼差しは、あの日ノバラの背中を見送るしかなかった「守られるだけの存在」のものではなかった。二人の佇まいからは、どんな代償を払ってでもキザムと共に死地へ赴くという、揺るぎない覚悟が静かに、しかし強烈に放たれている。
「……どうして、お前たちがここにいるんだ」
「なぜ、だと?」
サンズイが忌々しげに鼻を鳴らし、歩み寄ってくる。彼は足を止めることなく、キザムの頬に強烈な一撃を叩き込んだ。乾いた音が石門の間に響く。キザムは防御もせず、その衝撃を受け止めた。
「……俺たちを置いていこうなんて、いい度胸だな。キザム、お前は俺たちを何だと思っている。修行の最中、俺たちがどれほどの想いで己を磨いてきたと思っているんだ」
サンズイの言葉は荒っぽかったが、その中には確固たる決意が込められていた。クノもまた、膨れた顔でキザムを睨みつける。彼女の拳は力強く握り締められていた。
「キザム、言ったよね。あの時、私たちは何もできなかった。だからこそ、ノバラ様の無念を晴らし、この手でヒョウゲツを討つために、死ぬ気で修行してきたんだよ。私たちの覚悟まで否定するつもり?」
二人の眼差しは、あの日の迷える姿ではない。自分たちの意志で戦場に立つ、忍者としての顔だった。
「……ごめん」
キザムは唇を噛み締めた。
「怖かったんだ。また、大切な仲間を失うんじゃないかって。お前たちを巻き込んで、俺のせいで誰かが死ぬのが、何よりも……」
「馬鹿野郎」
サンズイはため息をつきながらも、キザムに向かって右手を差し出した。
「お前一人で背負い込むな。俺たちも、もうとっくに当事者だ。ノバラを想う気持ちは、お前だけのもんじゃない」
キザムはその手を強く握り返した。掌から伝わるサンズイの体温、クノの静かな闘志。彼らの存在が、キザムの心にあった暗い炎を、穏やかな光へと変えていくのを感じた。
「全く、キミたちは。……静かに里を抜けるという選択肢はないのかい?」
突如、頭上から聞き覚えのある声が降り注いだ。
見上げると、里の警備塔の縁に、ジャミが腰を下ろしていた。彼はキザムたちが通るのを待ち構えていたかのように、不敵な笑みを浮かえている。
「……ジャミ。いつからそこにいた」
キザムは呆れたように肩をすくめた。サカキに受けた傷も、今ではもうすっかり癒えているようだ。ジャミは薄く笑い、負傷したはずの脇腹を軽く叩いて見せた。
「ゴンベエさんから、修行が終わったと報告を受けてね。もしやと思い来てみれば……案の定だ。ロゼリアへ向かうつもりだろう?」
ジャミは軽やかに飛び降り、三人の前に着地した。その足取りには、年長者らしい余裕が漂っている。しかし、その瞳には、かつてノバラが向けていたものに似た、哀愁と期待が入り混じっていた。
「……ジャミ、何を言われようと俺たちは行く。例え里を追われようともな」
サンズイが忌々しげに言い放つ。クノもキザムも、迷いなく頷いた。これが彼らの選んだ道だ。
しかし、ジャミは呆れたように肩をすくめた。
「そんなことだろうと思ってたよ。ホントにキミたちは……そんなところまでノバラさんに似なくてもいいのに。頑固で、強がりで……本当に、世話の焼ける連中だ」
ジャミの予想外の回答に、三人は顔を見合わせた。止められる、あるいは力ずくで排除される。そう身構えていたクノが、恐る恐る問う。
「力ずくで、止めるつもり……じゃ、ないんですか?」
ジャミはふっと笑った。
「止めても無駄だろう? なら、僕が同行する方が賢明だ。キミたちが無駄な危険に遭わないよう、道案内役が必要だろう? それに、里長には適当に言い繕っておくよ。『あの馬鹿三人は、偵察任務で勝手にロゼリアへ向かった』とね。これなら、表向きは任務遂行中だ」
その言葉に、キザムの目から力が抜けた。ジャミが味方につく。これほど心強いことはない。
「ジャミ……ありがとう!」
「礼には及ばない。あのノバラさんが気に入ってた連中だ。あのヒョウゲツという男には、それなりの落とし前をつけてもらう必要があるからね」
ジャミは細い目をわずかに開いた。その蛇のように冷徹な瞳の奥で、黒い炎が静かに揺らめいている。ノバラへの誓い、そして仲間を守るという大人の責任。それらすべてを背負い、ジャミは石門の向こう側へと一歩を踏み出した。
「さあ、出発だ。ロゼリアまでの旅は、ここからが本番だよ」
朝焼けが、里の門を白く染め上げる。
四人の影が、地面に長く伸びる。
ノバラの仇を討つために。そして、自分たちが何者であるかを証明するために。
キザムたちは歩き出した。かつてノバラと歩いた道。だが、今はもう一人ではない。
氷華の里ロゼリアへ続く道は、彼らの誓いと共に続いていた。




