第21話 百合の毒と、殺意の旋律
トウコについて行くと、そこは里の外れに広がる砂丘だった。風にさらわれ、刻一刻と表情を変えるこの場所は、かつてキザムが『火』の古代文字を宿した因縁の地だ。
トウコは歩を止め、振り返る。その仕草一つひとつが、獲物を前にした獣のように優雅だ。
「サンズイはん、あんた木剣を使ってるそうやな。人を殺す覚悟がないもんが使うもんやなぁ」
トウコが白鞘から刀を抜く。抜き放たれた刀身は、見る者を惑わせるほどに美しく、同時に、寒気を催すほどの禍々しい妖気を纏っていた。
「さぁ、あんたの覚悟……見せてみぃや」
トウコが地を蹴った。刹那、視界から彼女の姿が消える。サンズイが反応するよりも早く、砂丘という足場が悪い環境をまるで平地のように駆け抜け、トウコはサンズイの背後に立っていた。首元に冷たい刃が這う。
「――っ!?」
「どないしました? 速すぎて何が起きたかもわかりまへんか?」
トウコが面白そうに目を細める。サンズイは反射的に距離を取り、木刀を構え直すが、その手は微かに震えていた。トウコはニタリと歪んだ笑みを浮かべる。
「まぁええわ……あんたの様な歳頃の男を一方的に蹂躙するのも、ウチ嫌いやないんよ」
トウコの瞳から陽光のような光が消え、冷酷な捕食者の眼光が宿る。それは圧倒的な支配欲と、相手を壊す悦楽に満ちた目だった。トウコからの斬撃が嵐のように降り注ぐ。防戦一方のサンズイ。一瞬でも気を抜けば首が飛ぶ。これは鍛錬ではない。紛れもない、戦場だ。サンズイの木刀が弾かれ、虚空を舞った。
「終わりや……」
突き立てられた刀先を前に、サンズイは目を閉じた。死を覚悟した――だが、衝撃は来ない。
「……ミズノ家も大した事あらへんなぁ。ノバラ様とお情けとはいえ同行してた人間とは思えへんわ」
サンズイは荒い息を吐きながら、喉まで出かかった問いをぶつける。
「……これほどの実力がありながら、なぜ里の記録にも……名前すら聞いたことがない」
トウコは横目でサンズイを鋭く睨みつけた。
「里なんてどうでもいいんよ。ウチらはノバラ様の剣であり、盾であれればそれでええ……。常にノバラ様のお近くで、表情、吐息、その全てを拝見できたらそれでええ……。それなのに……あの日、ノバラ様はウチらに待機命令を出して、キザム様と旅に出られた。ウチらにとってノバラ様の命令は絶対やっていうのに……!」
ノバラの死に立ち会えなかったという事実に、トウコの瞳が毒を含んだ哀しみで揺れる。
「ウチの生まれは西国、日ノ本の同盟里、『古都 雅ノ鄉 紅葉の里』。そこの代々続くサムライの家系や。……あんた弱すぎるわ。ウチのこの腐った憂さ晴らし、死ぬまで付き合いや」
トウコが再び刀を構える。サンズイは飛ばされた木刀を拾い、泥を吐き捨てて構え直した。ミズノ家の型は優美だが、実戦には程遠い「おぼっちゃまの剣術」に過ぎない。トウコはそれを嘲笑うかのように、一撃ごとにサンズイの骨を断つ角度で斬り込んでくる。彼女は言葉で教えるつもりなど毛頭ない。己の身体を、死の淵で強引に書き換えるつもりなのだ。
これは教え導く師ではなく、獲物をいたぶる調教師。砂丘にサンズイの血が滴り、薔薇の棘のような赤を刻んでいく。
(コイツと俺とで、何が違うんだ……?)
トウコの剣術の裏側に隠された「何か」を探ろうと、サンズイは極限状態の中で感覚を研ぎ澄ます。ある夜、トウコの移動で舞い上がった砂煙が視界を遮った。目が見えない。その瞬間、サンズイの耳にこれまで聴こえていなかった、鋭く冷徹な「音」が届いた。
(この音…どこかで…)
何かを掴んだ。確かな手応えを感じた――その直後、視界がぐるりと回り、サンズイは再び砂に沈んだ。
「……なんや、掴んだようやなぁ。今日はコレで終わりやで」
トウコの声音に、先ほどまでのドSめいた嘲笑とは別の、鋭い好奇心が混ざる。
この日から、サンズイの日常は砂丘と死合いで埋め尽くされた。トウコの刃は純粋に「殺すための技術」を強いる。しかし、死の淵を覗くたびにサンズイの感覚は研ぎ澄まされていく。トウコはそんなサンズイの変容を、壊れかけの人形を慈しむような歪んだ瞳で見つめ続けている。彼女にとって、ノバラに認められた弟子を鍛え上げることは、己の愛した主への、最も残酷で最も献身的な供物だった。




