第20話 別離の雨、再会の誓い
ジャミの術『転送』が解けると、そこは日ノ本の里の奥座敷だった。ノバラの亡骸を抱えた四人は、激しい疲労と張り詰めた緊張の中にいた。
里の治癒部隊がジャミの傷に群がる中、里長と上層部が揃う部屋へ報告がなされる。重苦しい沈黙の中、男たちが口を開く。
「無茶しやがって。いくらノバラとはいえ、ローズヴァインにたった一人で挑むなんて……我々に一言あってもよかっただろうに」
アズマの憤りに似た吐息に、サイが冷笑で応じる。
「おおかた、前の事件の時のように、最強の座を守るために手柄を独り占めしたかったのでは?」
空気が凍りついた。キザムが激昂して立ち上がろうとしたその時、里長が静かに手を挙げて制した。
「里の未来のため、そしてこの子たちのために死んだ者に対して、その様な口を利くのはよせ。内通者の件もある。しばらく忍者学校は休講とし、ローズヴァインの襲撃に備えよ」
「御意」
上層部が去った後の座敷。冷たくなったノバラの顔を前に、三人は立ち尽くす。
ノバラの指先は、まだ最後の一撃を放った時のように硬く強張っていた。その手を見るたび、キザムの胸に鋭い痛みが走る。「師匠」という存在がこの世から消えたという事実が、重い鉛のように身体を縛り付ける。
「……そんな」
クノの唇が震え、頬を伝う涙が畳に落ちた。サンズイは何かを言おうとして、喉の奥を鳴らすだけで言葉を失う。彼らの中で、ノバラという絶対的な「太陽」が沈んだ喪失感は、空いた心の穴を凍てつかせるような絶望だった。
最初に動いたのはキザムだった。その瞳には、死の影と、それを上回るほどの昏い決意が宿っている。
「里長、俺はロゼリアへ向かう。師匠の仇を、この手で……」
里長はその言葉を冷たく遮った。
「弔い合戦でもするつもりか? ノバラが力及ばなかった相手に、今の貴様が勝てるはずがあるまい」
その声は現実から逃避しようとするキザムの心の脆さを、容赦なく抉るための忠告だった。
「入れ」
里長の呼びかけに、障子が静かに開いた。入ってきたのは、かつてノバラが身を寄せた寺の老人、ゴンベエだった。彼はノバラの亡骸の前に跪き、深く静かに手を合わせる。
「ノバラ……この老いぼれより先に行くとは。師匠不幸者め……」
「ゴンベエのおっちゃん、なんでココに?」
キザムの問いに、ゴンベエは里長と視線を交わした。達人同士の言葉なき会話。それは、里長がノバラの弟子たちを死なせぬよう、あらかじめ用意していた「防波堤」であることを示していた。
「おヌシ達……まだ、戦う意思はあるか?」
ゴンベエの問いかけに、三人は迷うことなく頷いた。
「サンズイ、クノ。おヌシ達は一度家に戻れ。家族の者に顔を見せ、安心させてやるのじゃ。遣いを送るまで、家で待機しておれ」
二人は一瞬驚いた表情を見せたが、老師の言葉を飲み込み、頭を下げて去った。一人残されたキザムは、親も居場所もない孤独の中で、ノバラを失った喪失感に喉が締め付けられるのを感じた。
「おヌシは、ワシについてこい」
ゴンベエの声に、キザムが顔を上げる。
「ノバラに教えたやり方で良ければ、ワシがすべて叩き込んでやる」
キザムの瞳から暗い色が消え、師の死に直面していた時の無力感が、一筋の希望の光に塗り替えられていく。
「……はいッ! よろしくお願いします!」
キザムの決意は、曇りなきものとなっていた。連れてこられたのは、日ノ本の湿地帯の奥深くにある『古代文字研究所』だった。そこは、ノバラが愛した酒の匂いと、微かな妖艶な香りが残る場所。キザムは、再び修羅の道を歩み始める。師の師匠という、最強の系譜の先へ。
一方、里の外へ出たサンズイとクノは、分かれ道まで無言で歩いていた。二人の背中には、師の死というあまりに重い十字架がのしかかっている。別れ際、サンズイは一言だけ静かに告げた。
「……また、戦場で会おう」
それだけを言い残し、二人はそれぞれの家路へと向かった。
サンズイが屋敷の門をくぐると、すぐさま両親が姿を見せた。
「サンズイ、勝手に出て行って、何をしている! このミズノ家の家督を継ぐ者が、そんな道楽でどうする!」
父ハモンの平手打ちが、乾いた音を立ててサンズイの頬を叩いた。彼にとってサンズイは息子ではなく、ミズノ家の家名を守るための「道具」に過ぎない。母ナガレは、ただ俯いて震えることしかできない。
「いいか、今日から家伝の指南役をつける。お前はミズノ家の為だけに生きろ!」
ハモンの背後から、筋骨隆々の男がにじり出る。ミズノ家代々の水流の如き刀捌きを強要する、冷酷な教育係だ。サンズイは何も言わず、ただ虚無の瞳でハモンを見つめていた。その説教は、もはや彼には届かない。
その時、静寂を切り裂くように玄関先から、毒気に満ちた笑い声が響いた。
「サンズイはんとかいう方は、おりはりますかぁ?」
扉が音を立てて砕け散る。立っていたのは、ノバラを崇拝する親衛隊『百合の花束』の一人、トウコだった。彼女の瞳には、愛する主を失った狂気と、その「死に立ち会った」サンズイへの憎悪が渦巻いている。
「なかなか出てけぇへんなんて、いけずやわぁ。……あんた、ノバラ様が死ぬ時、何してはったんです? 側におったくせに、守りもせんと……」
「ここは私めが!」
家伝の指南役が前に出るが、トウコは笑みを浮かべたまま、目にも止まらぬ速さで男の腹を蹴り上げた。巨躯の男が壁まで吹き飛び、意識を失う。
「ほんなら、サンズイはん。いきましょか。……ノバラ様に命じられた遺志、私が地獄の果てまで叩き込んで差し上げますえ」
サンズイは黙ってトウコの後ろに続く。ハモンは何かを叫ぼうとしたが、トウコの纏うドロドロとした狂気と、サンズイの冷めた背中に圧倒され、ただ立ち尽くすことしかできなかった。
一方、クノの家は対照的だった。父と母は、生きて帰った娘を抱きしめる。温かい灯火に、クノは張り詰めていた糸が切れ、嗚咽を漏らした。
平和な時間が流れるかに思えたその時、ドアが激しくノックされた。母が促すと、そこには派手な装いのチユが立っていた。彼女もまた、『百合の花束』の一員であり、ノバラの死をサンズイやクノのせいだと逆恨みする狂信者だ。
「アンタがクノか? ノバラ様が最後にアンタのことを見たなんて、吐き気がするね」
ぶっきらぼうな口調に、両親は顔色を変える。
「帰ってくれ! 娘を危険なことに巻き込ませないでくれ!」
両親が必死に止める中、クノはチユの瞳を見た。そこにはノバラと同じ……いや、ノバラ以上に歪で、危険な光が宿っていた。
「アンタみたいな弱っちい子がノバラ様の側にいたなんて、許せないね。キザム様だけは特別だけど……アンタを一人前にして、ノバラ様に顔向けできるようにしてやるよ。地獄よりも厳しい修行を、覚悟しな」
クノは両親に一礼し、チユのあまりの殺気と歪んだ愛情に背筋を凍らせながらも、そのあとを追った。
三人は今、それぞれの場所で、新たな師という名の嵐の中に身を投じていく。キザムには「崇拝」、サンズイとクノには「逆恨みと狂愛」。師の死という悲劇を乗り越え、彼らが再び相まみえるとき、その瞳にはどんな「火」が宿っているのか。修羅の修行は、まだ始まったばかりである。




