第19話 呪われし師、継がれし火
「最強のくノ一が聞いて呆れる。茨の呪いで力を縛られているとはいえ、この程度とはな」
ヒョウゲツの冷酷な言葉が、森に沈殿する霧を震わせる。
ノバラは地面に叩きつけられ、口の端から鮮血を零した。かつて日ノ本全土にその名を轟かせた妖艶な肉体は、今は土埃と数多の傷跡に汚れ、死の香りを濃く漂わせていた。
茨の檻の外では、三人の弟子たちが祈るように立ち尽くしていた。ジャミは彼らを連れて去ろうと必死に説得したが、三人は頑として動こうとしない。ジャミは帰還を諦め、腹の深い傷を抑えつつ短剣を構える。いつヒョウゲツが霧から現れても、弟子たちへの凶刃を弾くための、ただの生きた防波堤となる覚悟で。
「あのノバラが三人もガキ共を連れて、師匠面とはな。笑えてくるよ。こんな所に来なければ、本来の寿命の半分くらいは生きられたのにな」
ヒョウゲツの靴が、ノバラの顎を無造作に踏みつけた。
「あんなガキにまともに『古代文字』が使える訳がないだろ。大人しくガキを差し出して、逃げていればよかったものを。それとも師匠を語り、弟子の成長を見ることで、かつての自分を重ねていたのか?」
嘲りを含んだ言葉に、ノバラは震える指先を大地に深く突き立てる。
呪いは既に心臓を食い破らんとする位置まで達していた。だが、彼女の瞳には微かな炎が灯る。三人をこの絶対的な脅威から逃がす――その一点のみが、彼女をこの世に繋ぎ止める最後の鎖だった。
「……ッ、茨よ」
ノバラが血の混じった吐息で文字を紡ぐ。全身に漆黒の紋様が稲妻のように走り、彼女の最期の命を吸い上げて、禁忌の力を暴走させた。
痛みはない。ただ、圧倒的な解放感があった。
立ち上がったノバラは、茨を纏った拳をヒョウゲツの顔面へと叩き込む。衝撃で周囲の霧が吹き飛び、ヒョウゲツが後方へと弾き飛ばされた。休む間もなく、ノバラは空を駆ける。連撃、乱打。大気を切り裂く音と、ヒョウゲツのうめき声が森に響き渡った。
「いい声で鳴くじゃないか」
土煙が視界を遮る。ノバラは渾身の力を込め、最後の一撃を叩き込んだ。
しかし――。
土煙の中から現れた黒い茨が、ノバラの腹部を冷酷に貫いた。
ノバラの喉から、断末魔に近い悲鳴が漏れる。
「君こそいい声で鳴くじゃないか。……君が戦っていたのは茨で作られた分身だ。俺には傷一つ付いていない」
ヒョウゲツは涼しい顔で、貫かれたノバラを見下ろしていた。
ノバラは再び立ち上がろうと足を踏ん張るが、力は入らない。生命そのものが、この呪われた器から零れ落ちていく。
突如、空間を閉ざしていた茨の檻が霧散した。
期待を込めて駆け寄ろうとした三人の弟子たちを、ジャミが右腕一本で制止する。視線の先、腹を貫かれ、崩れ落ちるノバラの姿が、あまりに残酷に彼らを突き放した。
「ジャミ……っ、その子たちを、日ノ本へッ!!」
ノバラは出せる限りの声を振り絞り、最期の命令を下した。
「なんだ、逃げるのか。……せいぜい足掻くがいい。力の差が圧倒的すぎて、追いかける気にもなれないよ。……この死に損ないも連れていくといい」
そう言うとヒョウゲツはノバラの身体を無慈悲に蹴り上げ、ジャミの方へと飛ばした。宙を舞ったノバラは、泥濘の中へと無様に叩きつけられる。
「時間をやろう。期限は俺が待ちくたびれるまでだ。精々鍛え上げて、抵抗くらいは出来るようになることだな」
ヒョウゲツは背を向け、霧の中へと淡々と消えていった。
「師匠ッ!」
三人は堰を切ったように駆け寄った。クノはノバラに教わった『癒しの奥義』を紡ごうとするが、それを察したノバラに弱々しい手で制される。
「クノ……その術は取っておきな。生涯、ただ一度だけのもの。それに……呪術に蝕まれた身体には、何の効果もないんだよ」
クノの瞳から大粒の涙がこぼれ、土に吸い込まれていく。ノバラはそんな弟子を、いつものような、からかうような笑みで見つめた。
「クノ……アンタは昔のアタシに似て、純粋で本当にからかいがいのある子だったね……。アンタだけの華、咲かせなさいよ……」
「ノバラ様……嫌……そんな、最期みたいなこと言わないで……!」
「サンズイ……アンタはセンスがあり過ぎて、時々ヒョウゲツと重なって不安だったよ。……でも、アンタはあんな風にはならない。そう信じてる」
サンズイは何も言わず、ただ深く頷いた。その目には、師を失うことの重みが刻まれていた。
「キザム……ゴメンな。アタシがもっと早く『火』の石碑を見つけていれば、アンタをこんな争いに巻き込まなくて済んだのに……。アンタには、コレを……」
ノバラの懐から、ゴンベエから託された古びた巻物が取り出される。それをキザムの手に握らせ、彼女は最後の一言を紡いだ。
「……いい漢になりなよ」
三人の弟子たちの顔を、一人ずつ慈しむように見つめる。
その眼差しには、もはやヒョウゲツへの憎しみも、過去の執着もなかった。そこにあったのは、弟子たちの生きる未来への希望だけだった。
ノバラは安らかな吐息を漏らし、ゆっくりと目を閉じた。
森の霧が、彼女の安らかな眠りを祈るかのように薄く晴れていく。
かつての最強のくノ一は、茨の道からようやく解き放たれ、静かな眠りについた。




