第17話 殺しの味、修羅の轍(わだち)
「ココはアタシ一人が片付ける。アンタらはサカキをやりな!」
ノバラの短く、しかし絶対的な命令が森に響く。彼女は左手に『砕』の文字を刻み込み、右手で流麗にその構造を組み替えた。ローズヴァインの精鋭部隊が襲いかかる。彼らの連携は完璧だったが、ノバラの拳はその「完璧」のすべてを粉砕した。
『砕』を纏った拳が振るわれるたび、骨が爆ぜる音と絶叫が霧を切り裂く。それは戦闘というより、独壇場での処刑だった。
「ジャミ! 聞こえてるかい。アンタは余計な手出しをするなよ。あくまでコイツらが死にそうな時だけ守れ!」
「……無茶を言いますね、ノバラさん」
ジャミは苦笑しつつも、三人の周囲に張り付く。彼の短剣はサカキの放つ『言霊の刃』を最小限の動作で弾き続けていた。
「……お前たちが相手とはな、随分とナメられたものだな!」
サカキが冷笑を浮かべ、殺意の奔流をキザムたちに叩きつける。その一閃は、もはや目で追うことさえ叶わない速度に達していた。
土煙が舞う中、ジャミがわずかな隙を突かれ、防御の陣が揺らぐ。その瞬間、サカキの切っ先がキザムの右腕を深々と切り裂いた。熱い血が指先を伝い、地面に赤い雫を落とす。クノが即座に駆け寄ろうとするが、サンズイが鋭く制止した。
「動くな! 治癒の最中ほど無防備な時はない。……キザム、止血は後だ。今はサカキを仕留めることだけ考えろ!」
サンズイの眼光は、既に師を討つ覚悟で据わっていた。その隣で、キザムは滴る血で汚れた右手を構え、焦燥を殺して古代文字を指先でなぞり始める。
「――っ!」
鈍い音が森に響く。ジャミがクノの前へと躍り出たのだ。
サカキの放つ熱を帯びた『言霊の刃』が、ジャミの脇腹を深く穿つ。鮮血が霧の中に散った。
「ジャミ!?」
クノの悲鳴を無視するように、ジャミは表情一つ変えず、腹を突き抜けた刃を両手でしっかりと掴み取った。自身の血で赤く染まった掌が、震えるサカキの腕を力任せに押さえつける。
「……滑稽だな。薄汚い雑草風情が、ガキ共の盾気取りか」
「……っ、ふふ……。僕の役目は、彼らを護ることだ。……離すわけには、いきませんよ……!」
腹を刺し貫かれながら、刃を固定する生きた楔。絶対の拘束。
「今だ、キザム!」
ジャミの咆哮に応え、キザムの左手には、己の血を吸い上げて赤黒く輝く『風』の文字が完成していた。
「――風遁・風切の穿!」
血を吸って赤黒く渦巻く風の奔流が、サカキの腹部を物理的に穿ち、霧を真っ二つに引き裂く。
しかし、サカキは吐血しながらも、なおも醜く命を乞い始めた。
「やめろ……俺は騙されただけなんだ。アイツらの言いなりに……俺は被害者なんだ、命だけは助けてくれ!」
「殺せ!」
背後でノバラの声が響く。
「情けをかけたところで改心なんざしない! 逃がせば、次はアンタらの首が飛ばされる番だよ!」
三人の視線が交差する。
かつて自分たちを追い込んだ師の、あまりに卑劣な末路。サンズイが震える木刀を振り上げた。彼らの喉の奥に、鉄錆と絶望、そして背徳が混じり合った、形容しがたい熱い塊が込み上げる。
――これが、「殺しの味」だ。
誰から教わることもなく、彼らは理解した。この泥のような後味こそが、修羅の道への通行証であると。
三人は迷いを断ち切り、同時にサカキへと向かった。サンズイの木刀が振り下ろされるその直前だった。
地響きと共に、足元の枯れ木を割って漆黒の茨が迸る。
大地から突き出たそれは、逃げ惑うサカキの心臓を容赦なく貫き、彼を墓標のように地面から吊り上げた。サカキの瞳から光が消える。
「……ッ!?」
三人は息を呑み、呆然とノバラの方を見た。
ノバラは茨の出処を見つめ、険しく眉間に深い皺を寄せていた。その瞳には、計算を裏切られた驚愕と、自分の手の内を悠々と蹂躙する「上位の力」に対する剥き出しの殺気が渦巻いている。
――あの師匠が、あれほど警戒するなんて。
キザムたちは凍りつく。自分たちを導く絶対的な師が、その眼差しひとつで語っていた。この森に潜むのは、自分たちがこれまで知っていた組織の秩序など軽々と踏み越える、次元の違う「何か」なのだと。
霧が、まるで何かを隠すかのように彼らを飲み込んでいく。
サカキの死体を見下ろしながら、三人は悟る。自分たちが足を踏み入れたのは、単なる忍の争いではない。もっと深く、もっとおぞましい、『古代文字』の呪いの深淵なのだということを。
サカキを葬るため、迷いを断ち切って振り下ろした木刀。
その一撃が届く直前、現れた漆黒の茨がすべてを蹂躙した。
三人の手に、サカキの命を奪う感触が残ることはなかった。しかし、確実な殺意を込めて踏み出したその一歩は、もう二度と「元の場所」には戻れない境界線を超えていた。
自分たちの手ではなく、名もなき上位の力によって結末を強制させられたその事実は、勝利の余韻など微塵も残さず、ただ胸の内に冷たい澱みだけを植え付けた。
ノバラですら隠しきれない警戒と、凍りつくような殺気。
この霧の森で彼らが出会ったものは、もはや「忍の争い」という範疇を超えた、おぞましい深淵だった。
殺す覚悟を背負った三人は、これから何を背負って生きていくのか。
忍び寄る「上位の力」の足音が、静かに、そして確実に近づいている。




