第12話 茨の銘酒(いばらのめいしゅ)
寺の冷たい床で、ノバラは地獄の淵にいた。
「ぐぅっ……っあぁあああッ……!」
喉に流し込んだ琥珀色の液体が、触媒となって内なる茨を強制的に活性化させていた。体内で黒い棘が神経を逆撫でし、細胞の一つ一つを焼き切るような激痛が奔流となって全身を駆け巡る。
着物の下では、荊棘の紋様が毒のような光を放ち、ノバラの白い肌を急速に侵食していく。全盛期の力を引き出すための強引な引き揚げ。それは、肉体を破壊し尽くすほどの劇薬だった。
ゴンベエはただ、愛弟子が苦悶に歪める顔を無言で見下ろしていた。老人の眼には、かつて最強と呼ばれた『天才』が、死の淵から再び修羅として舞い戻ろうとするその過程を、ただ見届けることしかできない師の切なさが宿っている。
一方、寺へと続く道では、キザムたちが山のような酒瓶を背負い、ふうふうと息を切らしながら歩いていた。
「重いぜ……。あの老人の顔は見たくないって言ってた割に、わざわざ俺たちを追いやってまで、一体なんの話ししてんだよ」
キザムは酒瓶がぎっしり詰まった大きな袋を担ぎ直し、不満げに寺の方角を見やった。足取りは重く、一歩歩くごとに酒瓶が背中で重厚な音を立てる。
「……ねえ、ノバラ様の様子、変じゃなかった? あんなふうに私たちを追い払うなんて、何か別の理由がある気がする……」
クノが不安げな声でキザムの隣を歩く。昨夜ノバラから与えられた、あの毒々しい高揚感と、今この瞬間の胸を刺すような言いようのない不安が、クノの中で渦巻いていた。師匠がまるで人払いをするかのように自分たちを追い出したのが、どうにも気にかかる。
「ただの昔話じゃないだろうな」
サンズイが酒瓶の重みに耐えながら、冷静に分析を差し挟む。「……あの老人、ただ者じゃない気配を放っていた。修羅の場を幾度も越えてきた者にしか出せない気配だ。おおかた、師匠の昔の戦友か何かだろうよ」
「だとしても、俺たちを追い払わなくたっていいのにな!」
キザムはふん、と鼻を鳴らす。「……まぁ、こんだけ美味そうな酒が手に入ったんだ。師匠もこれを見たら機嫌が直るだろ」
三人の呑気な会話とは裏腹に、近づくにつれて寺院の奥からは、風に混じって何かが焼けるような、あるいは骨が軋むような異様な気配が濃くなっていた。キザムはふと寺の方を向き、何かを感じて首を傾げた。しかし、それが師匠の命を削る音だとは気づかぬまま、再び重い足取りで寺の門へと向かった。
ところ変わって、遥か遠方の「日ノ本の里」。
里の静寂を破るように、サンズイとクノの生家には、家族を凍りつかせる置き手紙が残されていた。そこにはノバラの名と共に、彼らが「里を離れ、しばらく戻らない」旨が簡潔に記されていた。
「……あの子たちが、よりによってあのノバラと?」
サンズイの母親とクノの両親は、顔面蒼白のまま里長の屋敷へ駆け込んでいた。かつて『最強のくノ一』と呼ばれながらも、今は呪いに蝕まれ、里の中でも異端の存在となりつつある彼女。彼女の現状を知る者たちにとって、それはただならぬ事態だった。
里内では依然として「内通者」の影が消えておらず、緊迫した空気が漂っている。そんな中でのこの報せは、里長にとっても看過できるものではなかった。
「……連れ戻せ。教師陣と、直轄の護衛部隊を即時派遣する」
里長の厳命が下る。それは里の精鋭を投入する大がかりな追跡任務となった。
その決定を聞き、影のように部屋の隅に控えていた一人の男は、胸の内で密かに呟く。
(……これはまたとない機会だ)
男の口元だけに浮かんだ、卑劣な笑み。里の動揺、そして有望な若き才能たちの失踪。すべての歯車が、男の思惑通りに噛み合おうとしていた。
日ノ本の里を離れ再びゴンベエの寺ー
寺の門をくぐったキザムたちは、肩に食い込む酒瓶の重みに、今にも悲鳴を上げそうになっていた。
「遅かったな、オマエら!」
寺院の境内から響いたその声に、キザムは顔を上げた。そこにいたノバラは、どこか吹っ切れたような、いつもより妙に爽やかな表情を浮かべていた。キザムは背中の重圧を恨めしく思いながら、あえて軽口を叩く。
「……師匠、こんなに大量の酒、一体どうすんだよ! 担いで歩くなんて無理だろ!」
ノバラは呆れたように肩をすくめると、すらりと左の手のひらを差し出し、もう一方の指先でそこに鮮やかな『蔵』という文字を書き込んだ。
「……『蔵』」
鋭い言霊と共に、掌に刻まれた文字が毒々しく光を放つ。その瞬間、キザムたちが背負っていた酒瓶が、意思を持つかのように宙へ浮き上がり、ノバラの掌の中へと吸い込まれて忽然と姿を消した。
隣ではサンズイが冷静沈着な仮面をかなぐり捨てて目を見開き、クノに至ってはあんぐりと口を開けたまま、魔法でも見ているかのように立ち尽くしている。
キザムが目を丸くするのもお構いなしに、ノバラは手ぶらになった手で軽く肩を叩いた。
「……これでいいだろ。アタシの酒蔵と通じさせているだけさ」
キザムはあいた口がふさがらない。
「……まさか、いつも酒飲んでたのって、修行中だろうが何だろうがこうやってたのかよ!」
ノバラはケラケラと笑い飛ばすと、何もない空間からヒョイと酒瓶を一本取り出し、木製の栓を抜いて豪快に煽った。三人の驚愕をよそに、ノバラは寺の奥に立つゴンベエの方を振り返る。その瞳には、何か決意を決めた者特有の、冷徹な光が宿っていた。
ゴンベエに対し、「余計なことは言うな」と無言の圧をかけ、背を向けようとしたその時だった。
「待て」
ゴンベエが、古びた巻物を無造作に放り投げてきた。ノバラは反射的にそれを片手で掴み取る。
「餞別じゃ。……持っていくといい」
ノバラは巻物をちらりと見やり、それ以上何も言わずに懐へとねじ込んだ。
寺の境内を出て、再び街道へと足を踏み入れる。キザム、サンズイ、クノの三人は、師匠のあまりの変わりように戸惑いながらも、その背中に続くことしかできなかった。
村の外れへたどり着いた時、ノバラは一度だけ振り返った。
その表情には、もはや迷いなど一片も残されてはいなかった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
弟子たちを追い払い、独り静かに(?)ゴンベエと対峙したノバラ。
彼女がキザムたちに見せたのは、いつも通りの不敵な笑みと、わずかな迷いもない「覚悟」でした。
キザムたちが背負っていた酒瓶は、いつしか彼ら自身の運命そのものへと変わっていきます。師匠から無造作に与えられた「術」と「毒」を、彼らはどう受け継ぎ、どう塗り替えていくのか。
物語はいよいよ、彼らが師の庇護を離れ、それぞれの決意を胸に「忍びの道」を切り拓くフェーズへ突入します。
ノバラが手にしたあの巻物には、一体何が記されているのか。そして、この「妖艶な師匠」の本当の目的とは――。
この先の彼らの生き様を、ぜひ最後まで見届けていただけると嬉しいです。
【皆さまへのお願い】
物語が動き出し、ここから一気に物語の核心へと向かっていきます!
もし「続きが気になる!」「この先を見届けたい!」と思ってくださった方は、ぜひ「いいね」や「ブックマーク」での応援をお願いします!
皆さまからの反応が、何よりの執筆の活力になります。更新通知もオンにして、続きを楽しみに待っていてくださいね!




