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死が彼らを巡り合わせるまで  作者: 直紀けい
第一章 砂上の贄柱 スナトリ
32/33

7-1 この奇妙な引っ掛かりは何だろう

──泡沫世界・語り手【■■■】──



 もう止まれないのなら。二度と同じ貴方に会えなくてもいい。

 もし歩みを止めたなら。ただ一度だけでいい、笑って、褒めて。良い子だって。幼いこどものように頭を撫でて。

 意味も、理由も、その意義も。分からなくていい。信じられなくてもいい。裏切り者と罵られたって構わない。貴方さえ救われるのなら、それ以上はきっと求めない。


 これだけは伝えさせて。■■■。


 ……貴方だけは、■が、■■てあげる。




──現実世界 八月二十六日・side【神代隗斗】──




 砂漠の地スナトリに滞在して六日目。

 一日目は哀れかつ愚かにも熱中症で倒れていたため、隗斗の認識ではノーカウントなのだがそれはそれ、これはこれ。

 ざあざあと地面を打つ雨音が聞こえ始めたのは日が昇ったのと同時だっただろうか。空が白みを帯び一日の始まりを告げる時間帯、ぽつぽつと蜘蛛の糸のような細い雨が降って来たと思えば、さして間を置かずに轟音の知らせ。豪雨の警報。

 旅の途中、雨曝しで眠りについたことはあるが、ここまで豪雨の最中に熟睡出来るほど隗斗は鈍感ではない。耳栓を突き抜けて響き渡る雨の音は中々の騒音だった。のろのろと、まるで幼い子供のように拙い足取りで外の様子を窺う。

 (おっ、すごい雨だ)

 隗斗は語彙の欠片もない感想を抱く。扉代わりの垂れ幕は多量の水分を含み、びしょびしょになっている。役目を十分に果たさなくなったそれは、雨水をテントの中に導いていた。浸水待ったなしではないか? ちょっとげんなりしてしまう。

 仕方なく起床を余儀なくされ、寝巻きから普段着へと身を包む。本日のコーディネートは寝巻きとたいして変わらないシンプルなデザインのズボンとシャツだ。お気に入りを着るには最も適さない天気である。お洒落と実用性は比例しない。

 サイドテーブルの上に用意されていた朝食に手を伸ばす。今日は誰も朝食を共にしてくれないらしい。いつも低い位置にある黒い頭が妙に恋しいと隗斗は思う。昨日はその丸い頭をこれでもかと撫で回したんだった、と思考の隅で思い出す。

 まあ、昨晩のうちから翌日の朝食を旅人用簡易テントに用意している時点でお察しだ。雨の中わざわざ民を寄越すつもりは無いようで。隗斗自身も、スナトリの民を濡れ鼠にさせる予定は無い。

 (みくの言ったように今日は雨。さて、どうするべきかな)

 恒例となったキク手作りのパンを頬張りつつ、本日の予定を立てる。

 何をしよう。局地的なスコールに全身を打たれる趣味は持ち合わせていないので、外に出てうろうろするのは得策ではないだろう。かと言って、一歩も出ずに一日を終えるのは勿体無いと思ってしまう自分が居る。

 時間は有限だ。人生はどうせ一度きり、手に取る選択肢も自分自身が納得出来るものならば他人がどう言おうと関係無い。そう言ったのは誰だったか。

 馴染みの味と化したチビウシパンをむしゃむしゃと食べ進める隗斗。いつ焼いたのか定かではないけれど、時間が経過しても衰えぬ美味しさ。キクは趣味に留めずにぜひパン職人になることをおすすめしたい。

 ふ、と顔色の悪い一人のスナトリの民が脳裏を過ぎる。


──ああ、それに、子供達に叱られたからなぁ…


 お客様と喧嘩するなんて、と隗斗ではなく雪彦に怒りを向けていたニコ。早いめに謝っとけよ、とにやにや意地悪く笑っていたカナタ。仲直りしなきゃいけないわ。諭すように、静かに怒っていたみく。

 年下の少年少女に叱られるなんて滅多に無い。正論を並べられ、自責の念が隗斗の心に重く圧し掛かる。分かっている、分かっているとも。完全に自分が悪いとよく理解している。理解しているからこそ悩むのだ。

 昨晩。実り神が住まう森の入り口。自らの氷の魔術で作り上げた十字架へ祈りを捧げていた雪彦への不躾な問い掛け。彼はいっそ哀れなほど震えていた。指先が嘘のように冷たくなっていた。雪彦の心の柔らかい場所に土足で踏み荒らし、彼を侮辱した自覚はある。

 咄嗟に謝罪したものの、それを雪彦が受け入れてくれたかどうか分からない。短い間だったが錯乱していた上に、落ち着いたあとは呆然と立ち尽くしていた。少年少女の言う通り、改めて謝罪するのがベストだろう。隗斗はひとりベッドの上で胡坐を掻き項垂れた。

 遺恨は残すべきではない。旅の鉄則だ。極東の国で、立つ鳥跡を濁さず…といった諺があったか。立ち去る時は何も残さず、綺麗かつ美しくその場を後にする。

 どこで恨みを買うか分からない。些細なことで争いに発展し、己の立場を窮地に追い込んでしまう。故に、好青年を努め誠実を心掛ける。それが却って自分のためになるのだから。

 (…ここでジッとしてても仕方無い)

 さて。謝罪すると決めたのなら早速行動に移そうじゃないか。

 朝食を食べ終えた隗斗は、ささっと身支度を整える。人前に出られる程度の身嗜みは必要だろう。

 雨水をふんだんに蓄えた重たい垂れ幕をめくってみる。地面を叩き付ける勢いの大雨は今や外出を一考するレベルへと変わっていた。


「雨も落ち着いてきたことだし」


 とりあえず雪彦を探してみよう。

 隗斗はお気に入りの傘をリュックから取り出し広げてみせた。




* * *




「行き先? 知らない…あいつ、どっかでふらふらしてること多いし…」

「こんな雨の日に? それは少し心配ですね」


 鶯色の目を胡乱に模り、憂鬱そうに呟くアキ。ふるふると首を振ると、黒鳶色の髪がその動きに沿って揺れる。黙っていれば男にも女にも見える端正な顔立ちの青年は、今日も友達であるフェネックスナギツネのツナヨシを膝の上に寝かせていた。

 ツナという愛称を持つツナヨシの調子は昨日よりも良さそうに見える。真っ黒な瞳がちら、と隗斗に向けられたので手を伸ばしてみた。鬼灯のような形をした大きな耳がぺたりと後ろに下がったので、遠慮無く撫でさせていただこう。

 茅色の体毛の下、皮膚の更に深いところ。隗斗よりも小さく忙しない鼓動を刻むツナヨシ。昨日のぐったりとした様子が初見であったが、今日は元気を取り戻したらしい。無表情でも、アキの機嫌が良いのだと隗斗は察した。

 どこでふらふらしているんですか? と隗斗が問えば、アキは知らないの一点張り。一見無愛想に思える態度だったが本当に知らないようで。インドア派のような見た目をしている雪彦だが、意外にもアウトドア派みたいだ。


「ああ、あの子かい。いつも何かに急かされているように見えるねぇ。生き急いでいるとまでは言わないけれど」

「急かされて…、せっかちとは違いますよね。穏やかで優しい人です」


 にこり、と微笑み目尻の皺を深めるレイコ。短くカットされた白髪は美しい色をしており、老いを重ねた末の綺麗な髪だと素直に思えるものだった。自身に似合う服を熟知しているらしく、身奇麗にした格好は相当のお洒落さんなのだと知る。

 急かされている、とレイコの言葉を追従する隗斗。そうそう、と首肯するレイコに他意は無さそうである。責任感が強そうで、妥協を許さない青年。あと照れ屋。その印象を受けている隗斗からすれば、新たなイメージの追加とも言える。

 雨が降ると肩が重くなるのさ、と身動ぎしている老女を見て見ぬふりなど出来ない隗斗はマッサージでもしましょうかと提案。独り言だったのだろう、嬉しそうに笑顔で了承するレイコを尻目に、隗斗はふと疑問が浮かび上がった。

 そういえば、雪彦は普段何をしているのだろう。今更な疑問だったが、各自役割を持って民の生活を保っている姿を幾度が目にした隗斗は、雪彦の役目を把握していない。子供達は洗濯係、大人達は水や食糧の調達など様々な担当があったはず。


「は? あいつのことをオレに聞いてどうすんだよ。うっぜ…知ってるわけねーだろ」

「カナタ、今日は一段と機嫌が悪そうですね」


 墨を落とした黒髪が、湿気によってあちこち自由に跳ねているカナタ。癖毛はこういう時に困るなぁ、と内心に留めておいた隗斗。黒縁眼鏡の奥で光る柚葉色の目は、眼光が鋭く機嫌の悪さを物語らせた。毎度のことながら、すごく目付き悪い。

 乱雑な手で髪を梳いているのを見かねて、カナタから櫛を奪い取った隗斗。少年は猫のように毛を逆立てて威嚇しているが、別にただ強奪したわけではない。失礼しますよ、と一声かけてから鳥の巣状態のカナタの髪の毛を梳かし始める。

 雪彦の役割って何ですか? と聞くと、どうでもいい、と返答にも満たない少年の言葉。どうにもカナタは雪彦を毛嫌いしているようにも見えるのだが…真相は分からない。気難しい性格の少年のお眼鏡に敵わない出来事でもあったのか。

 時間を掛けてゆっくり少年の頭髪を整えてやると、むすっとした顔でオレの役目とはちがうぜ、と一言。どうやら雪彦の役割の答えをくれたらしい。狩猟の仕事はしていない、と言うことか。確かに雪彦は好戦的な性格とは言えないだろう。


「よくわかりません! 実り神さまのところで会ったときないよ……あっ、ないです!」

「そうですか、お参りもみくといつも一緒だって言ってましたね」


 鸚緑(おうりょく)の瞳がエネルギッシュに輝くニコ。さっぱりと切り揃えられた呂色の髪は、雨の所為かいつもよりしっとりとした色に映る。ピンク色のカチューシャがお気に入りなのだろうか、他の種類のものを見たことがない。

 実り神のところ。要するに祠へのお供えや掃除、その他諸々の役目を雪彦は負っていないということになる。何でもないようにニコは口走ったのだが、部外者の立場から見ればそれはあまりにも不自然に思えた。

 砂漠の民スナトリは実り神の恩恵を得て生活している。基盤、と当てはめればいいのか。信仰なくして寵愛は賜れないはず。一人だけ例外はありえないだろう。それとも、雪彦だけに許された何かがあるとでも。

 にこにことその場の空気を物ともせず少女は笑う。無邪気。無垢。聞こえはいいが、肝心な言葉を聞き出すには一歩足りない。賢しいだけの人間よりも、未熟で武装した子供のほうが時に厄介だった。今がまさにその状況である。


「あの子は紛れも無くスナトリの一員さ。生まれも育ちもここなんだから、当然って話じゃないかい」

「スナトリの人達はみんな仲良しで、羨ましい限りです」


 小首を傾げたため、ずれ落ちた赤い眼鏡を掛け直すイーサ。レンズの奥にある常盤(ときわ)色の目は何の感情も読み取らせない。表情は柔らかく、口角はにっこりと上がっている。見るからに好意的で、善人極まりないその顔。

 だが、決して崩せぬ鉄壁を連想させる雰囲気があった。敵意。悪意。それらが全く感じられない以上、隗斗を害する思惑は無いのだろう。踏み込むな、と言外で告げられた隗斗は、そうですか、と相槌をひとつ打ち話題を絶つ。

 口には出さずとも頭ではいくらでも仮説を立てられる。生まれも育ちもスナトリ。この言葉を穿たずに受け止めるなら、余計に変に思えた。雪彦ただ一人、信仰が薄い…あるいは抱かない民であれば村八分は確定だ。集落は異分子を嫌う。

 それなのに何故、彼は平和な日常を享受していられるのか。特別な理由があるのかもれない。だが、目の前のイーサから情報を掴み取れるとは到底思えず、イーサと適当な雑談を交わしつつ隗斗は次の訪問先に狙いを定めた。


「彼を庇い立てするつもりはありませんが、あまりいじめないであげてくださいね。あれは強い人間ではないので」

「それは…はい。本人にも謝罪しますが、すみません…」


 困ったように微笑む青年キク。薄緑色の眼差しが細められると、途端に真摯な様子に思えてくる。とりあえず毎度恒例の朝食のお礼を述べれば、キクは困った表情を崩し明るく応えた。やはり趣味と言えど褒められると嬉しいようだ。

 いじめてるつもりは欠片も無いのだが。そう弁明したところで納得してもらえるかどうか。スナトリの民からすれば、部外者の自分が雪彦を追い詰め煩わせたようにしか見えないだろう。隗斗は「肝に銘じておきます」と苦笑と共に吐き出す。

 強い人間ではない。そう断言するキクに少しばかりの違和感を覚える。隗斗の目から見ても、確かに雪彦は強いとはお世辞にも言えない。押しに弱く、人よりも照れ屋で、争いを好まない穏やかな性格。しかし弱い人間ともまた違う。

 スナトリの中で彼だけが異質だ。その異分子は外の人間からするとよりはっきりと映る。蟻の集団で、一匹だけ色が違うような。右を向いている人達の中で、一人だけ左を見ているような。言い様の無い靄が隗斗の胸中で広がっている。


「あいつか。傍から見りゃ何考えてんのか分かんねぇかもしれんけど、あれでいて性根は真っ直ぐだ。眩しいくらいにな」

「ええ。彼のような好青年は稀です。滅多にお目にかかれない」


 カカ、と顔をくしゃくしゃにして豪快に笑うムーことヒロムネ。確かに、頷ける。一見すると怜悧を纏う彼だが性格は繊細で臆病。そう、臆病が一番当てはまると旅人は思考する。小動物にも似た苛烈な威嚇の態度。

 それこそ青年であるはずの雪彦をどこか幼くさせる一因だろう。激情の領域には届かないものの、ある種の頑固さと拒絶の壁を感じるのだ。人は誰しも知られたくない過去や触れられたくない想いがある。雪彦も同様だ。

 ヒロムネは雪彦の在り方を真っ直ぐだと評した。隗斗から見た彼と、ヒロムネの目に映る彼に差異はあるのだろうか。大きな誤差は無い、が。やはり浅い付き合いでは見えない部分が多々存在する。今回は適切な距離を踏み間違えたのだろう。

 やや垂れ目な柳緑色の瞳が柔らかく弧を描く。旅人さんなら大丈夫さ、と全てを解かったような大らかな声で背中を押される。これ以上踏み止まる理由も無いので、隗斗は素直にヒロムネの傍を離れて次の目的地へ歩を進めた。



「この奇妙な引っ掛かりは何だろう」


 一人ごちる。雨に紛れてしまえば独り言はあっという間に掻き消されていく。

 喉につっかえた魚の小骨。歯と歯の間に挟まった何かの欠片。うっかり誤飲した時のような、得体の知れないものを視界の隅で見てしまったような。そんな違和感が旅人の思考を覆っている。

 (何かが変だ。だが、その何かが分からない)

 だからこんなにも苦悶に満ちるのだ。誰かが正解を教えてくれるはずもなく、隗斗は悶々と堂々巡りの思案に陥る。傘の柄を持つ手に妙な力が入り、慌てて指先を緩めた。

 漠然とした不安があるからいけない。こういう時は、一歩引いて全体を見渡せばいいのだ。蒼紅の瞳を閉じ、また開く。自分は一体何に囚われている? 首輪の鎖の先は、誰が握っている?

 スナトリの民の様子。レーレイ遺跡の謎。実り神の湖での不調。みくの姉・みつきのの失踪。雪彦の支離滅裂な言動。……この中で自分が捕らわれているのは最後に思い浮かんだ青年。砂取雪彦の行動と発言だ。彼は呼び寄せる暗雲に怯えている。

 そう、怯えているのだ。隗斗は途端に思考する材料を得る。彼のことを過剰な警戒をする小動物だと例えた。その時点で気付いていればよかったのだが、現実は上手くいかないのが常なのでそれは置いておく。

 迫り来る災害を。いずれ来る呪いを。まるで逆らえない巨悪を目の当たりにして、あらゆるものを諦めた者のように見える。考え過ぎだろうか。いや、勘は信じたほうがいい。煙が生じるのは火種があるからだ。晴らすには突風が必要なのだ。


「……まあ、あと数日で立ち去るんだから気にするだけ無駄か」


 礼儀として雪彦に謝罪し、みくの誕生日を祝ってから旅を続行するとしよう。

 旅人にとってスケジュールなどあって無いようなものだが、それでも日々は一刻と過ぎて行くのだから。

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