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死が彼らを巡り合わせるまで  作者: 直紀けい
第一章 砂上の贄柱 スナトリ
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7-2 年寄りの話を聞いてはくれんか

 ざあざあ。音を立てては過ぎ去る雨足に旅人はうんざりと肩を落とす。豪雨からは少しばかり離れたものの、小雨には程遠い。傘を貫こうとする雨の槍はまだ止みそうに無い。

 憂鬱の要因はそれだけではなかった。目的の人物の影すら見付からず、無駄足を踏んでいる現状に嘆きのひとつでも零したくなる。隗斗は無駄が嫌いだ。暇潰しや退屈しのぎとはまた意味が異なる。

 (今日一日ずっと降り続くんだろうか)

 蒼紅の瞳は憂いの色を帯びている。常ならば、小規模の店を出していたり日々の生活を送っているというのに。スナトリの面々は雨を憎んでいるほど徹底的に避けている。人っ子ひとり居やしない。

 砂漠の雨は他とは一線を画す。梅雨といった概念が無く、降るとしても年に一度か二度。恵みの雨と言ってもいいだろう。大量の雨水を地下で蓄え、また翌日からの生活で使用していくものだと記憶している。

 スナトリの民は特殊なオアシスも保有しているため、それほど必死に貯水せずともいいのだろうが、ここまで厳粛な空気が流れるのが不思議だった。降水の所為だけじゃない。身震いするような冷気は一体何故。

 (そういえば、みくも居ないな)

 目を皿にして探している人物と同じく、あの太陽の笑顔を持つ少女も見掛けない。ヒロムネやキクに尋ねれば彼女が住処としているテントの場所も判明するのだが。流石にそこまでする必要は無い。

 激しい雨の次の日。みくの三つ上のみつきのが姿を消した傷をより顕著に思い出しているかもしれない。過去に風化されていない生々しい傷を掘り起こすような真似は非道の行為だ。非人道的なことなのだ。

 そう考えると無遠慮に少女の顔を見たいとは思えなかった。隗斗に血の繋がった家族は居ないけれど、想像の範疇ならば例えようもあるだろう。近しい人間が何の脈絡も無く失踪するなど普通は考えられない。

 ふと何となしに顔を上げ、すぐさま驚愕する。間抜けな声が漏れ出さなかっただけマシだ。隗斗の進行する先には、傘も差さずに雨粒を一身に浴びる老人──クニミツの姿が在った。


「クニミツさん! どうしたんですか、風邪を引いてしまいます」

 慌てて駆け寄り傘を差し出す。ぼんやりと空を見上げていたクニミツはゆっくりと旅人に向き直る。

「おお、おお。隗斗くん。君か。良い日だね、とても会いたかったよ」


 好々爺然としたにこやかな表情に似つかわしくない背景の雨。その笑みは麗らかな木漏れ日が最も相応しいだろうに、目の前の老人はどうして平気そうに佇んでいるのだろう。

 隗斗はそっとクニミツの肩に触れてみる。旅人の指先が常人よりも低温という前提を差し引いても老人の体は冷え切っていた。これが温度のある生物であると信じられないほど、凍えるように冷たい。

 一体どのくらい雨の中に居たのか。散歩をするにしたって時と場合による。逡巡するがそれよりもまず、クニミツの体を温めるのが先だろう。幸いと言っていいのか、ここから彼のテントは近かった。


「とりあえず中へ入りましょう。これ以上体を冷やすのはいけません」


 さあ、と促す。そうだね、と老人は無抵抗に背を押されている。意外にもクニミツは素直であった。

 スナトリの民を統べる長老のテントに足を運ぶのは何度目だったか。傘を閉じ、邪魔にならない場所へと一旦置く。クニミツは大儀そうにゆっくり歩き、傍らにあったタオルを手に取り水気を取っていた。


「…雪彦は居ないんですね」

「おや、あの子が何か粗相をしたのかい」


 クニミツの問いに隗斗はぎくりと肩を揺らす。自分としてはごく自然な口調だったように思うが、そんなにも声色に不穏が滲んでいたのだろうか。何気なく手の平を口元に当てる。

 一瞬だけ、スナトリの長老に告げてもいいのか迷う。次いで、すぐに話すことにした。今まで散々スナトリの民に聞き回ったのだ。雪彦と何があったのか即座に伝わるに違いない。ならば、自分から打ち明けるほうがマシだった。


「どちらかと言えば僕が粗相をした側ですよ…子供達や、みくにも昨日叱られてしまって」


 旅人はそっと目を伏せる。怒られるかな、と胸中で予想を立ててみるが、クニミツは柔和に笑んでいる。

 クニミツへ傘を貸していた際に濡れたのか、隗斗は少しばかり湿り気を感じた。額に張り付いた前髪が鬱陶しい。


「はは、みくのが叱るとは中々珍しい。よほど君を気に入ったんだろう。あの子は人をよく見ているが、深くまで踏み込もうとはせんから」


 「ちょっと失礼するよ」そう言って、クニミツはテントの奥へと姿を消す。すぐさま衣擦れの音が聞こえていたので、新しい衣服に着替えているのだと知る。それはそうだ、あんなに体の芯まで濡れて冷えていたのだから。

 いつまでも無作法に立っているわけにはいかず、隗斗は辺りを見渡してからその場へ座る。生憎椅子の類は見当たらなかった。胡坐の上に腕をだらりと乗せ、思考の渦に浸る。

──脳裏で碧色に光る瞳が煌く。

 砂取みく。いつ何時被害者になるか分からないのに、善人が服を着て歩いているような煩わしさ。自分で自分の身も守れやしない無防備な赤子が、悪人の指先に掴まろうとしているような焦燥感。

 簡単に言ってしまえば、見ていてハラハラしてしまう子どもだった。目が離せない。視界から僅かに外してしまえば、あっという間に転んでいそうな小さな子。傍に居てやらなければすぐ連れ去られてしまいそうだ。

 ただの無知で無害な人間だったなら、隗斗の記憶には留まっても意識の中には残らなかっただろう。心の柔らかいところを掠って触れてくる。無意識に。ペリドットの閃光が目を焼くのだ。真っ直ぐ見詰めて逸らさない。

 昨日の夜。海と呼べる大きな砂漠のオアシスの隅っこ。旅人を善人か悪人か見定めようと拙い言葉で質した彼女の姿は、知りたがりの子どもとは言えない。あれは裁定のような時間だった。彼女の目は、そう…、

 (金色に見えたんだ)

 果汁がたっぷりと含まれたマスカットから一変して、人ならざる神秘のような金色へ。人懐っこい飼い犬が途端に神のお使いに変貌したかのようだった。少しばかりの憂いを帯びた表情も、それを手伝っていたように思う。

 きっと目の色素が薄いから、そう容易に沈着しないのだろう。外因でころころと色が変わる。あれはおそらく月光がオアシスの水面に反射して、彼女の目へ映ったのだ。闇夜にぽっかりと浮かぶ金の目は中々に荘厳であった。

 ふ、と。テントの奥から人影がぬるり。「やあやあ、話の途中ですまない」服を着替えたクニミツは、いくらか頬の青白さが無くなっている。濡れた服を着替えるだけでもかなり違うのだろう。これで一安心だ。


「それで、雪彦に謝ろうと思ったんですが…どこに居るかご存知ないですか?」

「うむ。残念だが、彼はとても大事な用に出向いていてね。夜には予定が空いていると思うよ」


 夜か。こんな雨の日にどんな用事があるのか定かではないが、なにも今日することは無いだろうに。彼も彼で大変らしい。

 ふう、と肺に溜まったものを吐き出す。知らず知らずのうちに重責を抱えていたようで。慣れないことはするものじゃないと隗斗は思った。

 謝罪の先延ばしは褒められたものではないが、相手がしばらく留守にするのならば。その間は息を詰めなくてもいいだろう。旅人の見えない肩の荷が下りたのを悟ったのか、クニミツは「ふふふ」と優しく笑っている。


「年寄りの話を聞いてはくれんか」


 返事を待たずにクニミツからマグカップを差し出された。いつの間に用意したのか。着替えるのと共に準備していたのかもしれない。ほかほかと湯気の立つ白い液体のそれは、ホットミルクだと当たりをつけてみる。

 礼を述べてから一口。とろりと口内に溢れる甘み。蜂蜜が惜しみなく使われているのだろう。雨に苛められた身が癒されるのを感じる。クニミツも同じものを飲んでいるため、失った体温もこれで戻ってくるといいのだが。


「君は、スナトリの民にたくさん親切をしてくれたみたいだね」


 話は唐突に切り出された。話題の突拍子の無さに隗斗は肯定も否定もせずに続きを待つ。

 親切に。旅人の努める誠意な人物像としては、かけ離れてはいないもののいまいち首肯し難い。


「雪彦の良き友人となってくれた。みくのの良き兄貴分となってくれた。カナタやニコの相手をしてくれたし、アキを心配してくれた。レイコにも優しくしてくれて、こうしてワシの話し相手にもなってくれている」


 (…話の終着点が見えない)

 旅人は微笑を携えたまま表情を変えられずにいる。満面の笑みで答えていいのか、それとも渋面を作って唸ればいいのか分からない。クニミツの話の運び方に戸惑いを覚えるばかりだ。

 思考する。これは、このまま流されていいのだろうか。ジッとクニミツの目を見据える。老人の双眸からはありがたいことに好意の色が窺える。眼差しの奥までは流石に確信を持てない。

 雑多だ、と思った。複雑に絡み合う感情と言うよりは、いくつもの思惑が雑多にひとつへ固まっている。その多くは旅人へ好意的と見て取れる分、クニミツへの返答を遅らせてしまう。何か引っ掛かるな。


「そう言っていただけるのは光栄ですが、スナトリの方々の温情があったからこそですよ。貴方達が僕に優しくしてくれたから、僕も同じように接しただけのことで」

「それは隗斗くん自身の優しさだろう? じじいはよーく分かっておるよ」


 にこ、と年季の重なった笑みは味わい深い。聞こえは良いが、隗斗はあまり良い意味では使っていない。

 クニミツの笑みはどこか巨木の年輪を垣間見たような感覚になる。森の奥深く。一本の大木は長い時間をかけて成長を遂げたもので。圧倒されるばかりで、例えどんなに突進しても決して倒れないような。見えない場所で長い根が張り巡らされていた時の、底冷えするあの感覚。

 たまらず隗斗はホットミルクを口に含む。舌先で少し転がしてから胃に落とす。食道を温かい液体が通る。食べ物や飲み物がある場での対話は丸腰よりまだ楽だ。口にしている間は沈黙も許されるのだから。


「君には遠回しの言い方よりも直球のほうがいいかな」

「…?」


 ふっ、と。

 溜め息よりもやや軽い吐息の次に。クニミツは隗斗の目を逸らさずに言い切った。


「隗斗くん、ぜひ我々の民の一人にならないかね」

「……お断りさせていただきます」


 ほぼ反射的に隗斗は返答をしていた。しまった、もう少し丁重に断っておくべきだったかと遅れた後悔する。

 虚を突かれた表情を引き締め、極めて真摯な声色を意識する。勢いは大事だ。尻すぼみする意見など一体誰が耳を貸すのだろう。


「僕は旅人です。特定の場所に留まるつもりはありません」

「どうしてか理由を聞いても?」


 (いま言った~! たった今理由を言ったんですけど~~~)

 思わず胸中で激しい愚痴を撒き散らした。熱心にスカウトしてくる老人を眼前に、旅人は真剣な顔色で答える。


「娯楽や自分探しのために旅人になったわけではないんです。僕は、どうしても果たさなきゃいけない願いがある…悲願をそう簡単に諦められません」


 世の中には気楽な旅人とそうでない旅人が居る。自分がどちらかなど考えるまでも無い。

 絶対に成し遂げなければならない。悲願のため。己のため。頭の天辺から足の爪先まで利己的な理由で旅をしているに過ぎない。世の中のためになるような慈善活動でもしたほうがまだ救われるだろうか。いや、無いなと即座に切り捨てる。

 いっそ、そう、誰かのためにと憎悪を胸に秘めた復讐者のほうがまだ人間性が残っているとも言える。アヴェンジは誰かのための報復・敵討ち・弔い合戦で、リベンジは逆襲・仕返し・個人的な恨みを晴らす行為だ。理解している。きっと己は後者であると。

 (僕は既に人間を捨てている。元から持っていたかはさておき)

 生きているのが苦しかった。貧困に喘いで地を這う毎日が苦痛だった。苦しいからクソッタレな故郷を捨てた。はじめに捨てられたのは自分だったけれど、今度は自分が捨ててやろうと思ったのだ。それが動機でもあった。

 小さな子どもの死体なんてざらにあったし、果てにはへその緒が乱雑に捻り切られた生まれたばかりの赤子さえ道端に打ち捨てられていた。ただ捨てられた状態ならまだよかった。どんな惨状を経たのか想像するのも嫌気が差す形で見つけた死体もある。

 食べ物を奪い合う日常が嫌だったから旅に出た。見捨てられた世界の片隅から抜け出してみたかったのだ。苦しいだけの【生】なんて惨めなだけ。哀れまれるだけの存在なんて絶対に成りたくなかった。旅人の身分を手に入れた時の高揚は今でも鮮明に蘇る。

 いま思い返すと恥の多い幼少期を過ごしたものだ。人様にはとてもとても、百聞も一見もしてほしくない過去だ。押しも押されもせぬ巨木を思わせるスナトリの長老クニミツを前に、隗斗は剣呑に尖る蒼紅の双眸で向かう。クニミツは小首を傾げて言う。


「君の悲願はここでは叶えられないと」

「はい。レーレイ遺跡にも手掛かりは見つけられませんでした。またどこかの地へ向かい、旅を続けます」


 旅を続けること。そして、目的へと至ること。隗斗はそれを望んでいる。いくつかのセーフハウスはともかく、永住の地はどうしても考えられない。

 根を張らず歩を進ませる者が旅人だと思っている。いつか、安息を求めてどこかに根付いたならば。その瞬間から旅人とは呼べないただの人間になるだろうとも隗斗は考えている。


「…スナトリは、他の集落との紛争は無い。穏やかで、食糧難や水にも困らない土地だ。民は皆、大人しく敬虔な者ばかり。居心地は悪くないと自負しているのだが…」


 確かに、クニミツの言は素直に頷ける。酷暑さえ目を瞑れば住みやすい砂漠の地だろう。静寂を好む者ならば、都会の喧騒から離れて暮らせるはずである。

 集落から少し離れた場所には気性の穏やかな獣が多く、普通では考えられない巨大なオアシスを保有しているスナトリの地。実り神への祈りさえ捧げていれば心穏やかに日々を享受出来るとクニミツは続けた。


「否定しませんよ。スナトリの生活は楽しいと思っています…でも、」

 (かぶり)を振る。一時の間だからこその安楽もある。余所者だからこその安寧もある。住めば都、とまでは言わないがそれに近い結論になる。

「やはり僕はここに住まうことはありえないです」

「そうかい」


 あれだけアピールポイントに説得の言葉を重ねていたクニミツが、あっさりと引き下がる気配を見せた。おや、と内心で疑問符と共にごちる。

 何か言いたげに開閉する老人は、結局沈黙を選び手に持ったマグカップを口元へ持っていく。ホットミルクはいつの間にか冷めかけていた。今も尚激しい雨音を奏でているこんな日では、冷めるのもまた早い。


「残念だなぁ」


 ぽつり。零された言葉に返答は求められていなかったらしく。引き止めて悪かったね、と気遣う発言を最後にこの話題は終わった。

 あっけらかんとした様子を見て、隗斗は「いいえ、素敵なお誘いありがとうございました」と心にも無い感謝を告げる。形だけでもそういう体裁を保ったほうがいいだろうと判断した。

 空になったマグカップを察したのだろう。クニミツは「そちらは下げておこう。なに、気にすることは何もないよ」と隗斗に言外で退室の許可を下す。お言葉に甘えることにして、旅人はゆっくりと腰を上げた。


「ところで、隗斗くんの目的でもあったレーレイ遺跡のことだが。一番奥の広間はどうだったかな? 何か変わった様子はなかったかい」


 佇まいを整えていた際の質問に、隗斗は顔を上げクニミツを見詰める。どうして今、レーレイ遺跡の話が出るのだろう。

 不思議に思いつつ、スナトリの長老クニミツの定住提案を断った身を思い返答をする。答えを渋るような問いでも無い。


「前にも申し上げた通り、真っ暗で何も見えなかったですよ。見学も途中のところで断念したんです」

「そうかい、…そうだったね」


 クニミツは笑みを深め「雨に気をつけてお帰り」とだけ口にした。

 真意を読み取れず、旅人は額面通りに受け取る。外は今も雨が続いていた。

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