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死が彼らを巡り合わせるまで  作者: 直紀けい
第一章 砂上の贄柱 スナトリ
26/33

5-5 これは誰のための慰霊碑ですか

 見知った青年が気になるから追いかけた。などと供述しており、現在は調査を続けている模様である。

 隗斗は実り神の住まう森の入り口、その端っこで蹲る青年──雪彦のもとへ近付く。突き刺す日差しは今や月の後ろに隠れていると言うのに、彼はフードを深く被り表情を見せてはくれない。


「こんな時間に、こんなところで一体何をしているんですか? 雪彦」

「………」


 わざと音を出して近寄った旅人を、胡乱げな眼差しを浴びせる雪彦は沈黙を貫いている。ちら、と投げられる冷たい翡翠の眼は最早、初対面に見た照れ屋で恥ずかしがり屋の青年の影も形も無い。

 こんな夜更けで、こんな怪しい場所──旅人から見れば薄暗くて人気の少ない場所だ──で、しゃがみ込み、果たして一人で何をしているのか。

 俄然興味が湧いた隗斗は、返事をしない青年の隣に許可なく腰掛ける。どこかへ行け、と無言の訴えが横からしたような気がする。もちろん無視した。

 (……これは、なんだろう)

 雪彦の身体に隠されるように在ったそれら。蒼紅の瞳が映し出すもの。隗斗の瞳は、たくさんの十字架が埋め立てられている景色を捉えた。

 いっそ正気を疑うほどの(おびただ)しい数。気味が悪いくらいの量。小指ほどの十字架や、手の平サイズの十字架など様々なものが隗斗の眼前に(そび)えていた。

 しかも、ただの十字架ではない。周囲の温度を下げるこの冷気。おそらく氷で出来た十字架だ。隗斗は、隣に居る青年が氷属性の魔術を得手としているのを覚えている。

 この十字架を生み出した人物が雪彦であると即座に判断した。だが、これをするに至る理由や動悸までは流石に推測出来ない。どう尋ねるべきか考えていると、雪彦がようやく口を開く。


「いつも、これをしている。ただの習慣だ」

「今にも死にそうな顔をして祈るのが君の習慣なんですね」

「…うるさい」


 突き放す口調は第一印象からかなり離れている。最初の顔が印象的だったため隗斗は僅かに面食らってしまう。だが、それは雪彦も同じことだろう。

 謙遜と誠実をアピールしていた隗斗が、こうも皮肉と憎まれ口を叩くのは意外と言う他ない。静謐で優しい声は相変わらずだったので、思わず笑みを浮かべる。神代隗斗という人間に慣れたと取ってもいいのだろうか。

 今思えば雪彦の大人しそうな言動は内弁慶だったのかもしれない。隗斗はただの底意地の悪い性格なだけだが。普通に嘘を吐く。呼吸をするように騙す。旅は正統派だけに留まらなかった。

 十字架を前に、隗斗はようやくひとつの事実を目の当たりにする。透き通る蒼色と夜へと進む紅色の双眸が驚愕で(しばた)く。


「君…どうして怪我を?」


 砂漠とは無縁である未踏の雪の肌に、痛々しい痣があった。怪我をしてからまだそれほど時間は経過していないのだろう。転んだ? いや、転倒の傷にしては妙だった。まるで誰かに殴打されたかのような…

 隗斗は不快に歪みそうになる表情を引き締める。早計だ。まだ断定すべきじゃない憶測の領域。嫌な考えになってしまう思考を一旦止めて、隗斗は改めて雪彦に向き直る。

 ガーゼも当てられていない。碌な手当てもされていないと見て取れた。左の頬につけられた痣は赤黒く、色白の肌という要素を除いても胸が痛くなる。雪彦は冷めた目を崩さない。


「アンタには関係の無いことだ」


 拒絶。いっそ分かりやすいほどだ。

 突き飛ばす言葉を吐かれてしまっては、こちらも打つ手が無い。そうですか、と隗斗は吐息交じりに返事をする。

 無関係の他人。流浪の旅人。根無し草の無頼漢。己の立場は弁えているつもりだ。雪彦が関係無いと言えば、まさしくその通りで。だが、と縋る。だが、心配くらいさせてくれてもいいじゃないか。

 砂漠の地で干乾びた隗斗を助けてくれたスナトリの民。大丈夫か、と差し出された手を取ったのは間違いなく自分だ。施しを受け、温情を授かり、今もこうして安寧の場所を提供してくれている。

 それなのに、心配の言葉すら罪過のように拒絶されてしまうなんて。あんまりだ、と隗斗は憤りすら感じてしまう。まるで不条理を前にした幼子の気分だ。どうして、なんで、と二の句を継いでしまいそうになる。


「確かに僕は余所者です。君達とは違う場所で、異なる文化で過ごしていた……ならば、」


 隗斗は隣に居る雪彦に手を伸ばす。びく、と震える彼を放置し、怪我を負った左の頬に手の平を添えた。

 理由は聞かない。傷を負った原因が何なのか旅人は探るべきではないのだ。隗斗は質問攻めをする幼児でもなければ、答えに昇華するための判断材料を集める馬鹿でもない。

 ぽう、と淡い光が雪彦の白皙を照らす。綺麗な翡翠色の瞳がまん丸になる。てっきり振り払われると読んでいたが違ったらしい。徐々に癒えていく彼の傷に、隗斗は(まなじり)を緩めた。


「僕が君の傷を勝手に癒すのも、雪彦には関係無いですよね?」

「な……、あ、アンタ……」


 魔歌の要らない治癒魔術。これで多少はマシだろう。痛々しい赤黒いそれは、じっくりと観察しなければ目視出来ないほどに治っていた。完全に癒すには道具が必要なので、今はこれが精一杯なのである。

 雪彦は一度開口し、すぐさま閉口してしまう。旅人の暴挙への罵詈雑言でも探しているのだろうか。怒りとも悲しみとも判別出来ない微妙な表情を浮かべた彼は、長い沈黙の末「俺は、」と言葉を繋ぐ。


「…俺は、アンタに何も返せないぞ」

「要らないですよ。そもそも、最初にお世話になったのは僕のほうなんですから」


 要るとすれば、それはもっと違う言葉だ。

 隗斗は傷を癒した言動とは程遠い問いを雪彦へ投擲した。


「それよりも。君とは、いつか答え合わせをしたいと考えていたんですが…どうでしょう?」


──湖が濁れば、汚らわしい沼になるように。うみは、吐き出されない限り滞るだけだ。

 雪彦の忠告。彼の助言。遠回りな発言は余計な邪推を生む。そして、隗斗のように猜疑心の強い人間には余計に。

 初めて聞かされた時は、余所者が長く留まることを懸念しての言葉だと思った。砂漠とは砂の海。吐き出されないのは邪魔な旅人。濁るのは、余所者が居ることでスナトリの民へ悪影響を及ぼす危険性を示す。実際に早く出て行け、とも。


 だが、実り神の湖。

 あれを目撃した後では、印象が全く異なる。


 湖が濁るイコール邪神の憤怒。実り神は豊穣の神だ。神の寵愛を受けるスナトリの場に、余所者が長期間住まうことで怒りを買ってしまう恐れがある。故に、汚らわしい沼と化す。豊穣の実り神が姿を消せば、湖はただの水溜りになるから。

 ただ、それを警告するのが雪彦の役目だとは考えられない。スナトリの長であるクニミツの出番ではないのか? だが、彼は隗斗がスナトリに留まる許可を与えている。実り神の寵愛を存続を願うなら、とっとと出て行ってもらうほうが合理的だ。

 クニミツが忠告をしなかった理由。考えられるのは、仮説一…クニミツ自身が実り神を信仰していない。もしくは、仮説二。雪彦しか実り神の怒りを恐れていない。現状では、これだけしか掘り進められない。何故なら雪彦の言動はあべこべだ。

 雪彦は、こちらが胸を痛めてしまうほど辛そうに、言った。


 アンタだけは、俺が、

 ……その続きは分からない。無形の声だった。


 隗斗だけは何だと言うのか。まさか、隗斗もスナトリの一員になれとでも。砂取隗斗になってしまえば、実り神の寵愛も約束されて永遠だろうとも。ありえない発想に自分を鼻で笑い飛ばしたくなる。

 ぐるぐると渦のように出口の無い逡巡にいい加減飽きたところだ。ぜひとも、この謎を雪彦自身に正解を教えて欲しいと思っての提案だったのだが、雪彦は「はは」とどこか自嘲的な笑みを模る。


「俺が答えを言うと思うか?」

「その様子だと無理そうですねぇ」


 物事は諦めが肝心。元々、雪彦があっさりと正解を口にするとは思ってなかったので気を落とすことも無い。

 隗斗へ向けていた意識を閉ざした雪彦は、膝を地面につき、両手の指を絡ませ、その手を額に当てている。綺麗な翡翠色の目は長い前髪で隠されており、神聖な祈りを捧げている真っ只中だろう。

 (実り神への祈り…ではなさそうだ。この十字架はどちらかと言うと……、)

 慰霊碑だ。

 亡くなった生物への慰め。悲しみを鎮めるためのもの。鎮魂碑とも呼ばれる。

 即席で作られた十字架のそれは、雪彦の意思ひとつで淡く消え去るだろう。


「これは…誰のための慰霊碑ですか」


 慰霊碑を連想させたのは、雪彦から哀悼を感じ取ったから。ならば、その悲哀は誰のものだ。

 無遠慮だと充分理解しているが、それでも青年に問い掛けてしまう。よせばいいのに好奇心は猫も殺す。この場合、殺されるのは隗斗ではなく雪彦の心だろうか。

 余所者に(ただ)され、旅人の魂胆を噛み砕き、隗斗の追及を正しく理解した雪彦は両手をぎゅう、と強く握り締める。その両手を胸の前に翳した青年の顔面は真っ青だった。

 未踏の雪色の肌が、冷え込む夜に晒されているにしても白過ぎる。長い前髪の隙間から翡翠の瞳が姿を見せた。ぐらぐらと吹き荒れる感情に飲み込まれそうで、隗斗の蒼紅の目は雪彦に固定されたまま離せなくなる。


「………今までの、俺の、…罪」

「罪?」


 様子がおかしい。

 明らかに表情が変わった雪彦は、ぶるぶると身体を震わせて何かに耐えている。


「……俺が…っ、そうだ、俺の、やったことが……、あんな、あんなこと」

「雪彦、もういいです。僕が悪かった、取り消します。だから、」


 非常識な質問だと分かっていたが、まさかここまで取り乱すとは思わなかった。

 隗斗の問い掛けは雪彦の心の深い場所──殊更柔らかく、誰にも見せられない隠されたところを抉ったのだろう。

 氷で作られた無数の十字架が勢いよく霧散する。夜の空気に溶け、刹那の余韻すら与えられず、跡形も残らない。それに気付いた雪彦は目を大きく見開き、ひゅっ、と肺の中の空気を押し潰す。

 衝動のまま立ち上がった彼は隗斗を見ていない。虚空を眺め、か細い悲鳴を圧搾(あっさく)し無意味な音の羅列を零す。あ、あ、と最早泣き出しそうな嗚咽を漏らす青年の姿に、隗斗は言葉を紡げない。


「ああ、かみさまッ! ぼくの、ぼくの罪を見ないで……かみさま、どうか、かみさま……」


 見ていられない。

 隗斗はすぐさま雪彦の手を取り、彼の意識を無理矢理自分に向けさせた。


「雪彦!」

「………あっ、あ、ああ……隗斗、?」


 ぞっ、とする。

 あまりにも冷たい雪彦の手。極度の緊張とストレスを強いたようで、隗斗は瞬時に後悔した。

 興味、関心、好奇心。それらは旅人にとって必要不可欠であり心を揺り動かせるもの。だが、隗斗は見誤った。聞いてはいけないことを質してしまった。不規則に連なる青年の呼気に、腹の底が悔恨で重たくなるのを感じる。


「申し訳ない。僕が踏み込んだこと言ってしまいました…本当に、ごめんなさい。二度と聞きませんから」

「……べ、つに…俺は何も、問題ない…大丈夫だ…」


 見苦しいところを見せてしまった、と強がる雪彦。

 非は隗斗にある。どう考えても不躾だった。今更謝罪したところで取り返しがつかないのだが、雪彦は問題無いと切り捨ててしまう。

 謝ったところで雪彦は受け入れてくれないだろう。やってしまった、と思う。しかし彼が大丈夫だと言うのなら、このまま話を終わらせるのが得策か。いや、どうして聞いてしまったんだ、僕は!

 雪彦に掛けるべき次の言葉が見付からない。数分か、それ以上か。無言を貫く隗斗。雪彦の冷たい手が隗斗の熱と混ざり、人肌程度に温まったところで、旅人は苦し紛れに言った。


「……砂漠の夜は冷え込むでしょう。もう、家に帰って眠ったほうがいい」


 どこかぼんやりとしている雪彦は、素直にこくりと頷いている。

 彼のトラウマを刺激してしまったのかもしれない。このまま雪彦を一人で帰らせるのは不安だ。そう思い「送ります」と提案したが、徐々に思考が明瞭になってきたのか断られた。

 おやすみ、とこちらの返事も待たずに行ってしまった青年の背中を見守りながら隗斗は思う。

 砂取雪彦。照れ屋で、恥ずかしがり屋で、内弁慶。怜悧な面の最奥。内側に潜む真っ暗な闇。

 彼は、何か膨大な闇を背負っている。彼が罪と呼ぶ、その闇の中身。雪彦の深淵を覗き込んだ隗斗は、月明かりに照らされた蒼と紅の双眸を歪に細めた。

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