5-6 面影も。姿形も。声色のそれすら
夢を、見た。
──呼び声が聞こえる。
暗い暗い、墨を落とした暗闇のその最奥。重たい瞼はそのまま抱擁を続けている。
知覚するよりも先に。その暗闇は青年の瞳を通り抜け、頭蓋を押し広げ、脳裏に悲嘆と憎悪を浴びせかける。
「あんな最期はあんまりだ」「納得できない」「裏切りに値する」「国がなんだと言うんだ」「あんなやつのために命を捧げるなんて」「間違ってる」「これではあまりにも可哀相だ」「これではあまりにも彼が報われない」
「こんな結末は許されない」「これまでの時間は何だったんだ」「今までの彼の人生が救われない」「積み重ねた努力も、何の意味も無い」「正義に殉じるよりも、もっと己のために生きられなかったのか」「例えば、言うならば、そうだ、
やり直しを…」
口を割いて出た言葉は、果たして本当に自分の言葉だったのだろうか。
暗転。
声が聞こえる。涙を堪えながら、それでも必死に呼び掛ける男の声。苦渋を耐え、辛酸を舌の上に乗せながら編まれる声色は酷く掠れている。
いっそ泣いてしまえばいいのに。そうすれば楽になれるのに。ばかな子。君がそうまでして苦しむことはないんだよ。何のために、離別を決意したと思っているんだい。
まるで懇願するような言葉を耳朶が拾う。声の主が浴びせてくる言葉が妙に気になったので、隗斗はそっと耳を澄ませてみた。相も変わらず瞼は上がらない。重たくて仕方無い。
──もう苦しまなくていいからね
(…べつに、何も苦しんではいない)
──もう悲しいことなんてないよ
(悲しいことなんて、何もなかった)
眠っている相手に、まるで呪詛のような錆びた言葉を掛けている。鉛に似た瞼を押し上げて、声の主を確かめることは不可能だった。君は誰ですか? と問い掛けることも、縫われた唇では叶わない。
声の主の正体に覚えは無い。記憶に潜り込み探そうにも、冷たい海の底では身動ぎひとつ出来なかった。聞き覚えがあるような、無いような。分からない。そもそも、他人に執着なんてしない自分に知己など居ない。
君ねえ、と苛立ち混じりに隗斗はごちる。そんなに死にそうな声を出すくらいなら、僕のことなんて放っておけばいい。別れたまま、綺麗な思い出として記憶の底に置いておけば、こんなことにはならなかった。
存在ごと、何事も無かったように無視してもよかったんだ。僕との日々を、忘れてもよかったんだよ。それなのに、君は茨の道を進むのか。ああ、なんということだろう。僕のためなんかに。僕のせいで。
聞き苦しい耳障りな声の主を閉じ込めようと、そっと鍵を掛ける。何重にも、幾重にも色んな鍵を掛けた。決して扉が開かないように厳重にした。
これで安心して眠れるなと思っていたら。そうしたら、本当に声の主を忘れてしまったんだ。面影も。姿形も。声色のそれすら、跡形も無く。
「…それじゃあ、その記憶の中にいる人はどうなるのかな」
ふと、聞き慣れた鈴の声。砂糖と言うよりは蜂蜜のように甘い声に、隗斗は頭を振る。
どうなるって、どうにもならないだろう。生き埋めの形で、時を止めたまま。そのまま僕と一緒に朽ちるだけ。そのほうが彼にとって幸いでしょうとも。
「忘れてしまった記憶の中で、今もきっと寂しがってるよ」
淡いマスカットの瞳が隗斗を見詰める。慈愛に満ちた目が隗斗の居心地を少しばかり悪くさせた。
寂しがるような性格だっただろうか、彼は。飄々としていて、自分の命すら泡沫の夢だと思っていただろう。彼との出会いも、随分と退廃としていたはずだ。
「記憶はね、その人への想いそのものだよ。絆とも呼べるとっても大切なもの」
栗色の柔らかい髪がふわりと揺れた。少女の紡ぐ言は、まるで霞のように掴めない。
その人への想い。絆。あまりにも自分と不釣合いの言葉に笑みが零れる。絆なんて、そんなお綺麗じゃない。彼にとって僕はただの……ただの、ええと、
「貴方はどうして忘れてしまったの?」
どうしてって、それは……、




