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死が彼らを巡り合わせるまで  作者: 直紀けい
第一章 砂上の贄柱 スナトリ
24/33

5-3 君のその感情は間違ってないですよ

 じわじわとみくから魔力が滲み出る。

 彼女の生命エネルギーは、森の奥地にある湧き水のような、少量だが確実に清浄で綺麗な魔力である。

 確かにみくは優しく素直な良い子だ。人を傷付ける行為を恐れ、人を攻撃する言葉に眉を顰める。自身に悲しい出来事があったからこそ、もうそんな存在を生み出さないようにしたいと魔法を求めた。

 迷いさえ振り切ってしまえば、あとは一歩踏み出すだけだろう。隗斗は防御の盾を維持しながら少女を観察する。重たげに開かれて露になった若葉色の瞳は真っ直ぐに隗斗を射抜き、圧倒させる。

 魔力は十分に編まれた。あとは魔歌を唱えるだけで、みくは魔法使いになれる。

 お膳立てされた魔導授業の実践。細く息を吐いたみくが、隗斗の胴体を捉える。


「し、……『射撃(ショット)』!」


 ピストルの形を真似たみくの人差し指に淡く魔力が寄せ集められ、パン、と小さな爆発を起こしたように火の玉が発射された。

 野いちごほどのサイズのそれは、放物線を描かずに一直線へ隗斗に放たれる。防御の盾に火の玉が直撃し、何事も無かったように跡形もなく消えていく。

 本物の拳銃のように反動は無かっただろうに、余程驚いたのかみくは魔法が発動した瞬間、上半身を大きく仰け反らせ尻餅をついていた。その表情は──ぽかん、と言ったところか。

 対して、唆した隗斗自身も内心は衝撃で埋め尽くされていた。最後には腹を括ったとは言え、あれだけ精神的に不安定に揺れていたならてっきり不発で終わるかと思っていたのだ。

 (まさか成功するとは)

 初めての魔法の出来は上々。スピードまあまあ、評価は中の上。威力そこそこ、評価は中の中。隗斗が花丸をつけたいのは狙いを定め、正確に打ち抜く力である。評価は上の下くらいだろうか。

 彼女のエイミング能力は素晴らしい、と珍しく手放しで褒めたくなったほどで。隗斗の教えをそのままに、みくは胴体に照準を合わせた。指先を動揺で震わせることもなく、目を瞑り現実から背くこともせず。

 真っ直ぐ、それこそ少女の性格のように真っ直ぐ隗斗を射撃してみせた。彼女は複雑な心境を置き去りに、心と体を別にして引き金に指を掛けたのだ。

 これが喜ばずにいられようか。防御の盾を解き、隗斗は未だに尻餅をついたまま動かないみくの両手を取り、少女を起こす。顔は勝手に笑顔になっていた。


「素晴らしい! 成功おめでとうございます、みく」

「わ、私…ほんとに魔法が使えた…?」


 どうやら放心していたようで。

 何処か夢心地に身を落とした顔をしているので、隗斗は殊更声色を明るくさせる。


「ええ、君には才能がある。百点満点をあげたいくらいですよ」

「……やった、って喜んでもいいのかしら? いいのよね? ああ、隗斗っ! ねえ、私、魔法が使えたよ!」


 やっと現実に戻ってこれた少女は、久しく見ていなかった大輪の花の笑顔を咲かせた。声は甘く鈴を転がす軽やかなものになり、そばかすの散る頬は歓喜と興奮で朱に染まっている。

 繋がれたままの手が、ぎゅうと強く握り締められた。今にもスキップをして駆け出しそうな様子のみくは、嬉しい、嬉しいと全身で表現する。眼前で大はしゃぎするみくに、隗斗も思わず釣られて笑みを深めた。


 ひとしきり喜んだあと、みくは途端にハッと顔を強張らせ「けっ、けがは!?」と隗斗の負傷を気遣う。心配してくれるのはありがたいが、そう無遠慮に異性の体をぺたぺた触らないでほしい。隗斗は苦笑という苦笑を集めた顔をした。

 防御の盾はしっかりと役目を果たしたのを伝えると、分かり易いほど安堵するみく。何度も口にするのだが最下級魔法のダメージはたかが知れている。流血沙汰になるほどの魔法ではない。隗斗自身、これくらいどうということは無かった。

 みくの喜色は困惑を通過し、やがて沈鬱な表情へと至る。喜怒哀楽の線引きがはっきりとしていると言うか、感情と表情が直結している子だなぁと心の中で思う。そして、みくは唐突に栗色の頭を深く下げた。


「ごめんなさい、隗斗」

「どうして謝るんですか?」


 隗斗は笑みを潜める。いきなりどうしたのか、突然謝罪される身にもなってほしい。

 もしかして、教授する姿勢に何か問題でもあったのだろうか。嫌々しているように見えた? いや、隗斗はこれでも楽しく授業を行っているつもりだった。それとも、度々重なる体調不良を案じての謝罪? それにしては今更過ぎるか。

 みくはゆっくりと頭を上げ、その胸中を吐露する。


「人を傷付ける怖さよりも、魔法が成功した喜びが先立ったの……それが、自分じゃ信じられなくて」

「みく、君のその感情は間違ってないですよ。むしろ誇っていい。胸を張って喜んでいいんです」


 初めての魔法が成功して喜ぶことの、何がいけないのか。隗斗には分からない。

 確かに、人や動物を相手に暴力を行使するような少女ではない。それどころか、虫さえも嬉々として殺して回るような幼少期を送ってはないだろう。幼稚故の残虐性を培わなかったであろう子供とは、此処まで無垢になれるのか。

 隗斗は他人を傷付ける行為に恐怖は抱かない。自分に守るものがないから…という土台があるのも頷ける。プライド、矜持、責任感、人としての尊厳。旅人はそれらを全て放棄し、自分の身は自分で守るしか無いのだ。

 怖いなど言ってる暇があるなら、武器の一つでも手入れするほうがマシである。

 比例して、みくの思考とは平行線の会話となる。己とは異なるが、まあ、そういう考えもあるよねって着地にしかならない。みくは何度か唇を震わせ、自身の葛藤をなんとか形にしようとする。


「だって、まったく……その、」

躊躇(ためら)わなかった?」


 ぎこちない首肯。隗斗は今度こそ天を仰ぎたくなった。駄目だこれ、本格的に分からない。

 ターゲットを捕捉し、照準を定める。そこに一切の私情は挟まれず、ただただ獲物を仕留めるための引き金に指を掛ける。心がどう喚こうと、弾が発射されれば構わない。

 みくの感情とは裏腹に行われる強行。隗斗が手放しに褒めたのはそこだ。彼女のエイミング能力はぜひとも今後育ててほしい、いや、叶うならば自分が育てたいと思うほどだった。


「私は…、……少しも震えなかった自分が、おそろしい」


 思考をより巡らせるために、隗斗は自身の顎に指を添える。

 (怖いからやっぱり止める、ってなるほうが余程情けないと思うんだけどなぁ…)

 隗斗が実践の中止を申し出なかったのは、ひとえにみくの【人となり】を見るためだった。彼女がどんな人柄か、どんな才能を持っているのか知りたかった。

 魔導授業をお願いされた時に見せた、輝かしいばかりのペリドットの原石を、この手で磨きたかった。反面、みくが恐怖に屈服し「この授業をやめる」と言い出すのを待っていたところもあったかもしれない。

 消沈する目を、陰る顔を、項垂れる体を見た途端──おそらく隗斗はその瞬間からみくに落胆し見放す言動なり何なりしていたかもしれない。

 だが、少女は果敢にも魔法に向かい合った。己の内側に息衝く恐怖を感じながら、それでも魔法を行使してみせた。その重苦しい葛藤があったからこそ、みくは飛び跳ねるほど喜んだのではないか?

 彼女の歓喜を、一体誰が咎められる。


「僕は、みくに立派な魔法使いになってほしいと思ってますよ」


 そろりそろりと。まるでご機嫌伺いのように顔を上げるみく。

 いつもは笑顔の愛らしい顔も、今では一雨降りそうな曇り具合だ。


「ようは、使う人間の気持ち次第です。悪人がナイフを使って誰かを傷付けたとして、悪いのはどちらですか?」

「悪人だよ。だって、ナイフは……あ、」


 隗斗の言外に含まれた意味が正しく伝わったらしい。

 武器は──魔法は、自分を守るためにある。人々の暮らしを豊かに支える役目がある。反対に、人を傷付ける手段にもなる。ナイフだってそうだ。どんなに殺傷能力の高い凶器を手にしても、結局は使う側の気持ちに帰結するだろう。

 覚悟とは。決意とは。後から手に入れるべきではなく、最初から持ち合わせていなければならない。他者を傷付け害する覚悟。武器を手にする決意。そのためには、湧き上がる感情と押し寄せる恐怖に折り合いをつけなければいけないのだ。


「いい人になりなさい。他人から後ろ指をさされる悪人ではなく、弱き人を守る善人になりなさい」

「弱き人を守る……、…いい人」


 みくの脳裏では誰が浮かんでいるのだろう。まあ、十中八九スナトリの皆の顔だろうな、と隗斗は余計な思考を切り落とす。

 砂取みくの。彼女はまさしく善に位置する人間だ。幼い頃に両親を亡くした少女は、捻くれることもなく真っ直ぐに育った。だからこそ、こうして悪事への嫌悪を露にし、暴力の術を前にして立ち竦んでしまう。

 凶器をそのまま凶器として手にするのではなく、弱き人を守るための手段として使えばいい。

 強者になれ、とは言わない。ただ自分を含め他者も守れるような、無力な子供を脱して欲しいと願う。守りたいと思った人を、その腕の中に届く範囲で構わない。それ以上は分不相応だと隗斗は思う。


「……隗斗、私は…魔法の授業を続けたい。まだ、いろんなことが怖いけど、それをやめてしまったら、いけないと思う」

 隗斗の言葉をどう受け取ったのか、それはみくにしか分からない。

「よろしい」


 蒼紅の瞳を細め、口角を緩く上げる隗斗。

 思い通り…では人聞きが悪い、期待通りの言葉を耳に収めた隗斗はこっそりと溜め息を吐く。落胆ではない、一番近いのは安堵だろうか。

 (もう少しだけ、この子を見ていたい)

 そう思うのは自分が善人よりも悪人に寄っているからだろうか。少女の眩い感性は傍に居て心地良く、また同時に汚れる様を見てみたいと思ってしまう。

 例えるならば、丹精に積んだトランプタワーを自分の手で壊したいような、有名な絵画に泥を投げ付けたいような、そんな感覚に似ている。ううん、いけないな。抱いてはならない感情かもしれない。

 彼女が【善人】になろうとすればするほど、悪への嫌悪と衝突し軋轢を作る。その(もつ)れから生まれた嗚咽はどんな音色を奏でるのか。もちろん悪事への加担は提示しない。彼女が物理的に傷付くのは少し寝覚めが悪い。

 完全に他人事、対岸の火事。自分には全く無関係だから、苦痛も損失も存在しない。見世物、なんてベタ過ぎる言葉だろうか。


「では、今日はここまでに」


 自身の醜悪な部分は見せずに、人好きのする笑みを浮かべる隗斗。

 みくは思案を一旦止めて、一歩下がってぺこり。火の神カグツチとの簡易契約を結ぶテスタメントプレインが揺れる。それに気付いたみくは「これ、どうすればいいかしら?」と紅玉のネックレスをつまむ。

 隗斗としてはそのままあげるつもりだったと伝えた。ある意味魔導授業の教材なので、みくが持っているほうが合理的だろう。


「ごべんたつ、って言うのかな? えっと、ご指導ありがとうございました、先生」

「ええ。また今度続きをしましょうね」


 隗斗に「それじゃあね」と挨拶を残したみくは旅人用の簡易テントを後にする。それをにこやかに見送った隗斗は、知らず知らずのうちに嘆息した。

 きっと少女は苦悩するだろう。己の内に宿る性善と、外側に潜む性悪の二つに板挟みにされ、頭を抱えるだろう。悪を認めてやれば──あるいは、善を諦めてしまえば楽になるだろうに、それを良しとしない。

 自分とはまるで反対だ、と隗斗は珍しく自嘲的に笑う。きっと、自分は善の皮を被った悪に分類される。目的のためなら手段は問わない。他者による犠牲を強いられたら、ちょっと迷ってしまう程度の悪党だ。

 なにも、みくの破滅を見たいわけではない。ただ、彼女がどんな答えを出すのか。それが見たいだけだ。彼女の善性はやがて正義の旗を手にするだろう。純粋な心は純真に。無垢な魂は純白に。今はまだ、世界の片隅に居るただの女の子だけど。


 (不思議な子だ)


 隗斗は他人に興味を抱かないよう、ある一定のラインを後退して物事を見る。額縁に嵌めて絵を見るように。写真に収めてプリントするように。己と他人を区別するのは一つの個体としては当然だろう。

 しかし、みくに対しては何故か親身になってしまう自分が居た。必要以上の慰めの言葉を吐き、少女の無垢な心を曇らせる行動は取らない。

 自らが磨いた魔法の腕を、返礼の形で教えているこの現状は、明らかに踏み込んでいる。踏み込み過ぎている、と言ってもいい。

 流浪の旅人としては良くない傾向だ。根無し草は特定の人物や物に執着してはいけない、と隗斗は思っている。その原因は果たして何処にあるのか、少女の何が自分を射止めたのか逡巡する。


「……未熟で、何処か危なっかしいところが放っておけない理由になる、のか?」


 保護されるべき女の子。大人に守られるべき子供。それをするのが自分だとは思わないが、目で追って気に掛けるくらい構わないよな、と堂々巡りの思考に区切りをつけて就寝の準備をする。

 硬いベッドはそろそろ慣れた。旅人に求められる素質はおそらく順応性だろう。隗斗は欠伸をひとつ落としながら、落ち着かない気持ちを代弁するように身動ぎを行う。


 考えても分からないことは明日の自分に任せよう。

 どうせ人の感情に正解や不正解なんて存在しないのだから。


 視界の隅で、マグマスカ石を収納したポーチが目に入る。研磨途中で終わったそれを思い起こし、隗斗は蒼紅の瞳を瞼で覆い隠しながら夢想した。

 煌々と燃える火を具現化した美しい宝石になるマグマスカ石。触れれば火傷を負いそうな紅蓮の宝石は、何処か危うい雰囲気を醸し出す。その鋭利な美しさが、自分の教え子であるみくを連想させる。

 彼女には、火がよく似合う。

 この世を焼き尽くす劫火や、地獄でとぐろを巻く業火ではなく……、


(…篝火(かがりび)みたいな子だ)


 本人には、今のところ伝えるつもりは無い。

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