5-2 脅威から逃れるために何をすればいいか
「では、自分の属性の役割を認識したところで…」
もったいぶって言葉を重ねる。
間を置いた空白にみくはやや緊張した顔付きで隗斗の言を待つ。
「お待ちかねの魔法タイムですよ」
「やった~!」
手放しで喜ぶ少女の様子は実に微笑ましいもので。
本音を言うと、前回と今回の前半の授業は、基礎としては中の下──なにせ属性ですら碌な説明をしていない──だが、論より証拠派であろうみくには実演のほうが向いている。
百聞は一見に如かず。説明を重ねて知識を深めるよりも、まずは実際に見て試してみる。先に実演することで、物事への理解もより進むだろう。それに、彼女は魔法を学ぶことに重点を置いている。
無邪気にはしゃぐ少女を目の前に、隗斗は魔導授業を再開させた。
「さて、その前に復習を。魔法に必要なものは何でしょう? みく」
興奮冷めやらぬ表情をきょとり、と不思議そうにするみく。
必要なもの、と声を乗せずに復唱する様子を見ると、このまますぐに魔法を学べると思っていたのだろう。少女の期待に水を差すのは心苦しいが、隗斗はあえて疑問を投じた。
みくはさして間を置かずに答える。
「えっ、と? ……魔歌?」
(うーん、五十点)
隗斗は眉尻を下げ、惜しい、と脳内で三角のマークを形作った。正解に含めてもいいが、不正解にも近い。
みくは隗斗の話を熱心に聞いている。相槌を打ち、何度も頷き、疑問をそのまま放置しない。はじめて生徒を持った身としては、意欲もあり好奇心も旺盛だと評価出来る。良い生徒だと言えるだろう。
しかし、言葉を額面通りに受け取る節があるのも事実だ。素直ゆえに隗斗の言をそっくりそのまま覚え、変貌を閉ざす。応用への道を見つけられない。隗斗は正解の手助けをするために言葉を重ねた。
「それも必要だけど、魔歌を捧げる対象が居ませんでしたか」
「あっ、…ああ。そうだよね、神様や尊いものに魔歌を唱えてはじめて魔法は……あっ、」
途端、みくは若葉色の目を見開く。
「そうだった、私、実り神様以外の神様を知らなかった!」
やはりみくは良い生徒である。ほんの少し、正答への道標を示せばそこに向かって思考を進められる。
みくの焦燥は当然のものだ。魔法は、神や魔物…人ならざるものと契約を結ぶことで、はじめて行使可能とされる。魔法は尊きものが在ってこそだ。魔歌は二の次だろう。
(どっちみち、みくは現時点では魔法なんて使えないんだけど)
実り神自体、契約を交わしていないのだろう。尊きものと縁を繋いでいる人は見れば分かる。五感の全てで、人ならざる者は契約した人を己のものだと主張するのだ。
注視すると細い糸のようなものが見え、耳を澄ませば尊きものの声が、匂いを嗅ぐと契約した主のにおいがして、従者の味は尊きものの住まう地の味、寵愛を受けていれば従者を触ろうとしただけで主の介入が入るのだ。
隗斗からすれば、寵愛と呼ぶには少しばかり愛執が過ぎるように思えるが。動物の番よりも余程露骨ではないか。頭の軽い下劣な人同士でも、もう少し慎みくらい持っているだろうに。
契約は同盟とは相反する。同等の存在ではない。人ならざるものこそ主であり、従者は人。交渉するよりも先に、至極当然のように、主従の契約の立場が決まる。ごく稀に人ならざるものが従者の場合があるらしいが隗斗は見たことが無い。
みくは現段階では、誰とも契約を結んでいない状態だ。魔法はもちろん扱えない。魔術は単身で行うもので、尊きものとの契りは必要無いが、知識も経験も皆無のみくには到底及ばないだろう。
「どうすればいいの? 神様との契約…って、何をすればいいのかさっぱり」
ようやく当初の目的を果たせるはずだったみくは、不安げに顔を曇らせる。少女の暗雲漂う表情は見るからに心を痛ませるものだった。
女の子をいたずらに困らせる趣味を持ち合わせていない隗斗は、即座に懐からとある品物を取り出した。
「そんなみくにプレゼントです。じゃん」
「わ、ネックレス? かわいいー…それは一体何なの?」
きらりと光り存在を証明するネックレス。細い金色のチェーンについた紅玉のそれは、シンプルなデザインゆえに万人の胸元を飾るもの。
脈絡も無く眼前に掲げられたネックレスを見て、みくのリアクションは上々だ。年頃の少女らしく装飾品を見て丸い目を輝かせていた。
「簡易契約が出来る素敵アイテムですよ。首に掛けることで、ネックレスの中に在る神の眷属になったことを意味します」
本来、人ならざるものとの契約は本人と直接対面して行われるが、神や魔物は人里離れた幽世に住んでいる。
そう容易に会いに行けるはずもなく、契約を結びたい人は命懸けで幽世に挑む…わけではない。遥かな年月を掛けて、人々は神と対面せずとも簡易契約を行う術を得た。
テスタメントプレイン。簡易契約を結ぶアイテムのことをそう呼ぶ。神と人を繋ぐ楔である。
このネックレスは火の神カグツチ本神の分神の分神の分神の……まあ、幾度と分身を繰り返した末の末神の力が宿っている。力は微弱だが、恩恵はきっちり授かるだろう。
本神が神の本体。分神は本神のコピーみたいなもの。厳密に言えばコピーではないのだが、今のみくでは理解に苦しむだろうし、大まかな語弊は生じないのでコピーと説明する。末神はその言葉通り、本神から最も遠く離れたコピーの末、末神である。
簡易契約は【首】と名前がつくものに巻けば契約完了。大半は首から提げて契りを結ぶ。それを伝えると、形状が形状なだけに、みくは素直に頷きネックレスを首に提げた。
「これでみくは魔法が扱えるようになりました」
「…なんだか、ちょっとだけ温かいかも」
「それは重畳。馴染んでる証拠ですよ、火属性の君と火を司る神は相性抜群ですから」
当然と言えば当然のこと。尊いものと人が同じ属性ならば、相乗効果で威力増し増しだ。
みくはしきりにテスタメントプレインを弄っている。紅玉を指で掴み、ジッと見詰めて観察しているようだ。
拒絶反応無し。大らかで寛容な火の神カグツチは、初心者にとって扱い易い。
「初歩的な魔法を教えますね。魔歌は、こう」
手元に置いていた紙に、魔歌を綴る。インクも乾かないうちに生徒である少女に見せた。
「ショット…たった一つの単語なのね」
「全属性に共通する下級魔法ですから。威力は最底辺ですけど、練習には適していると思いますよ」
射撃。一つの単語で構成される魔歌は、最下級の魔法である。威力は例えるならばデコピンくらいだろうか。説明は難しいが、人を昏倒させるには程遠いお遊びのようなダメージしか無い。
属性ごとに求められる歌の羅列、音の配置、言葉の並びは様々で。この最下級魔歌射撃は、全ての属性で統一されるもの。覚えやすいし使いやすい。魔法初心者の初めの第一歩でも十分。
「見澄水晶を使う時を覚えていますか? 魔力を練り、体外に放出する感覚を」
「ええ! しっかりと覚えていますとも」
「あの要領で、声に魔力を籠めて魔歌を唱える形になります。やり方は、あー…、そうですね…」
初心者ならば、どうやってコツを掴むのが良いのか。無手でやるのも難しいだろう。いきなり己の魔力を体外に出せ! と言っても、つい最近まで魔法のまの字も知らなかった少女が行うには酷かもしれない。
属性を判断する見澄水晶は、実際に手で触れた物に魔力を流し込むイメージがあったから出来た。
(何も無いところからより、尖ったところから魔力を射出する。そのほうがイメージし易いだろうか?)
射出する代表的なものと言えば…、ああ、そうだ。ぶつぶつと文章として構成し得ない独り言を終えた隗斗はにこりと笑う。
「手をピストルの形にしてやってみましょうか。人差し指を銃口として、そうそう その形」
隗斗が拳銃を模した手を見せてやると、みくも同じように人差し指をぴんと伸ばし、ピストルを模る。
「では、僕に向けて撃ってください」
青年から放たれた言葉を口に含み、咀嚼し、嚥下した少女は悲愴な面持ちになった。
さあ、と血の気を引かせている。咄嗟にピストルの形を解き、みくは「そんなのいやだよ」とか弱い声で拒絶する。
「どうして…? そうしたら隗斗が怪我しちゃう」
さもありなん。はじめて顔を合わせてから然程時間の経過していない青年相手に、下級魔法であろうとなかろうと攻撃を仕掛けるほど少女の価値観は野蛮ではない。
更に追加するならば、隗斗は完全に丸腰だ。ラフな格好で身を包んだだけ、鎧も無ければ盾も無い。ないない尽くしの隗斗を前に、みくは胸の前で拳を作る。
「私は…スナトリのみんなを守れるように、二度と悲しいことが起きないように魔法を習いたいだけなの」
「ならば尚更、人に向けて攻撃することに慣れておいたほうがいい」
魔導は自分を守るためにあるもの。反対に、人を傷付けるためにある。
隗斗は真剣な面持ちでみくに向き直る。真摯に構える青年を前に、みくは無意識のうちに背筋をぴんと伸ばす。
聞くところによると、みくは狩りに出たことは無いらしい。主に家事全般で、たまに生活に必要な水汲みだとか。
そもそも、人以前に動物を傷付ける行為も未経験な少女であった。素直で心優しい性格が美徳であるみくは激情家とは程遠い。他人と殴り合いに発展するほどの喧嘩もしたことは無さそうだ。
自分も含め、誰かを守る。見上げた心意気だ。未成年の女の子が抱くにはお綺麗過ぎる決意である。精神も未発達の年頃だろうに、彼女の清廉な言葉は性分と言って片付けるのはいささか乱暴だろうか。
物心付く前から両親と死別しているのも無関係とは思えない。誰かに寄り掛かり頼り切るのを良しとせず努力を惜しまない。ひとつの集落で暮らすみくは、自分に出来ることは何だろうかと考えた果てが、旅人の隗斗から魔法を習うことだった。
至極単純だが分かり易い故にどこか寒々しい。隗斗はそう思った。
力を得るのは、誰かを攻撃する手段を手に入れるのと同義だ。この魔導授業の根元も、簡単に説明するなら【スナトリに起こり得るであろう脅威に対する抵抗の手段を得たい】と突き詰められる。
つまり、他者を力で捻じ伏せ仲間を守りたいということだろう。みくはもっと純粋に無力を嘆き強さを求めたのかもしれないが、他者を傷付けることへの罪過は放置してはいけない。目を背けた末の結果など火を見るより明らかだった。
「例えば、盗賊がスナトリを襲ったとします。魔法を習い扱えるようになったみくは、どうしますか?」
「どうって……魔法を使って、盗賊を、その……追い払う、よ」
逡巡のあと、みくは歯切れ悪く答える。居心地悪そうに言葉を濁す。
予想した通りの返答に隗斗は表情を崩さずに追及した。
「脅威から逃れるためには何をすればいいのか、みくも分かるでしょう」
隗斗が何を言わせようとしているのか、不透明ながらも察したみくは顔を悲痛に歪める。
「……言葉だけなら理解出来る。でも、納得は、……難しいわ」
隗斗の例え話は現実で起こり得る脅威だろう。
そして、もしも己が反撃の手段を持っているならば使うはずだと思考を至らせた。この場合、魔法を使うというのは他者に向けて攻撃する未来に繋がる。
みくは脳内で他者を傷付ける空想を浮かばせ、瞬時に嫌悪に苛まれた。それはとても恐ろしい感覚だ。おぞましい感触でなければならない。
隗斗の想像通り、みくは派手な喧嘩をしたことも無いうえに見たことすら無かった。無形の妄想の中でしか存在しないものに、いま自分は歩を進ませているのだ、と薄ら寒い思いに駆られる。
実際に殴るのとはわけが違う。魔法とは、きっと殺傷能力の高いものもあるだろう。物理的な、たとえば刃物など段違いになるほどの凶器。
スナトリのみんなが脅威に晒されるのは嫌だ。
民を導く長老クニミツも、照れ屋な青年雪彦も、ヒロムネも、カナタも、ニコも、キク、ノブシゲ、レイコ、ヤスタカ、アキ、イーサ、リョウ……スナトリの全員がみくにとって家族である。
家族が傷付き、悲しむ姿を見るのは耐えられない。家族を失った自分のような人は、もう現れないほうが良いのだ。そのためにみくは隗斗に教えを乞うている。
みくの胸の内に揺るがない覚悟がある。だが、無縁の他者に害される恐怖と、無関係の他人を傷付ける術を持つ恐怖は別物だった。
ぐるぐると出口の無い思案に囚われているみくに、隗斗は自分自身を的に例えて説明を加える。
「狙うなら胴体。次いで、脚…太ももあたり。最後に頭が望ましいです」
的は大きいものから順番に狙うのが無難だ。言うまでもないが、何処かしらに当てるのがまず第一条件である。
隗斗は手の平を使って胴体を示す。人体の胴は一番当てやすい。単純に的が大きい。狙った場所に正確に当てる能力──エイミング能力に自信が無くともヒットする確率は他の部位よりもあるだろう。
次点で脚を狙うのは、単純明快、動きを止めるため。脚さえ潰せばどうにでもなる。捕縛なり、沈黙させるなりどうとでも。脚の付け根から爪先までを指差し、隗斗は最後に太ももをぽんと触る。
そして、頭。とんとんと指先を頭に押し当てて見せた。頭は人体の中で最も命中し難いが、比例するように当たれば制圧完了。勝利を手にしたも同然だ。多対一の話をすれば、狙う順番も多少変化するが。
隗斗の言葉に声無き相槌を打っていたみくは、可哀相に可愛らしい顔から血の気が引いていた。
「ほ、本当に隗斗を撃っていいの? 怪我をさせてしまうのはいやだよ」
「そこまで言うなら、防御の盾でも張りましょうか」
心配性だな、と思いつつ隗斗は立ち上がり、みくから距離を取る。
マスカット色の目が不安げに揺れている様を見ながら魔歌を唱えた。宙に指先をくるりと回して盾を描く。
「『堅牢なる盾の下。防守を願い奉る──防御壁・亀甲羅』」
ぼう、と青白く光る透明の盾が出現する。隗斗が指で描いた通りの防御の壁が出来上がったのを間近で眺めていたみくが小さく驚愕する気配がした。
「これで、みくの攻撃から身を守れるので。思う存分魔法を打ってくれても構いませんよ」
「……、わかった」
正直に言うと、最下級魔法を喰らったところでたいしたダメージにはならない。精々、相手の意表を突く程度の威力しか無いのだ。そうそう怪我を負うリスクは高くないと隗斗は知っている。
だが、みくは魔法を知らない。言葉を尽くしても無駄だ。結局は実践あるのみ。隗斗は目の前の少女を安心させるため、極めて柔らかい笑みを努めた。
「私は、スナトリのみんなが大好きだから…人を傷付けるのは怖いけど、彼らを守れるなら、怖くないふりだってしてみせる。その気持ちにうそは無いって、そう思いたいわ」
みくは静かに立ち上がり、利き手であろう右手でピストルの形を作る。
少女の瞳は未知への焦燥で幽かな炎のようなペリドット色だ。ゆらゆらと頼りなく、だが決して覚悟を崩さない。みくが願った【スナトリのため】という決意は綻びを見せなかった。
ピストルを模る右手はぶら下がったまま。そっと目を瞑り、魔力を練り上げようとしている。彼女の内側で眠るエネルギーが着火するまでどれほど掛かるかな、と心配していたがどうやら無用だったらしい。
はじめはじっくりと目を凝らさないと分からないような弱火の魔力から、徐々にまともな炎となって燃え上がる。少女の言葉は正しかった。スナトリを守るために教授を望んだみくは、既に迷いから解放されていた。




