4-5 嫌味ってもんを知らねぇな~、アンタ
「よっ、元気そうじゃねーか。昼間みた時より顔色がマシじゃん」
「ええ。お手数をお掛けしました」
「へーへー、おかけされましたっと」
カナタの仏頂面は健在のようで。
小脇に抱えた洗面器とタオルを小形テーブルに置き、少年は自分の背後にくっ付く少女を咎めた。
「ニコ、いいかげんオレの後ろから出ろよ。うぜぇ」
「……あの、えと…隗斗」
もじもじと困った様子で言葉を萎めるニコ。
昼間の快活な雰囲気がまるで嘘のようだ。ころころと表情を変えて、楽しそうに笑う姿が隗斗の知る少女ニコである。
「どうしたました? ニコちゃん、浮かない顔をして」
「…隗斗は、ニコを怒ってない? です、か?」
カナタが「またそれかよ」と言いたげな顔をしていた。実際に似たようなことを呟いている。
ニコに対して怒るようなことがあっただろうか?と隗斗は黙々と思案。いや…特に無いような…ああ、と、ひとつ思い当たる。
(お参りに連れて行ったことかな。でも、ニコは関係無いし)
必然もとい偶然。どちらともとれる悲劇は、確かにニコがきっかけだ。少女が実り神の祠へお参りに行こうと誘わなければ、隗斗は頭痛に襲われなかったかもしれない。
だが、引き金となったのはニコの言動ではないだろう。少女に糾弾をするのはお門違いだと隗斗は思っている。不安そうに表情を曇らせているニコへ、隗斗は柔らかく微笑してみせた。
「怒ってないですよ、大丈夫。少し疲れていたのかもね。ニコちゃんのせいじゃないから」
「……、……うん!」
やっと小さな花が咲いた。ニコは抱いていた罪悪感を晴らし、満面の笑みで隗斗に擦り寄ってくる。小躍りでもしそうなほどニコが嬉しそうに浮かれていた。
余程人に怒られ、叱られるのが恐ろしいのだろう。もしや、躾が厳しい身内でも居るのかもしれない。少女は隗斗の手を取り、小さな両手でぎゅっぎゅと握っている。
その後ろでカナタがこれ見よがしに大きな溜め息を吐いた。少年の未発達な細い指が、テーブルに置かれた洗面器を指す。「どうせアンタさぁ、」と前置きを一つ。
「たぶんだけど、風呂入れないと思ってさ。お世話しにきてやったんだよ。感謝しろ」
「ありがとうございます。カナタの心遣いに感謝しましょう」
おそらく、洗面器には湯を張ってあるのだろう。傍にあるタオルで隗斗の体を拭いてくれると推測出来る。
彼の細やかな気遣いに言われた通り心から感謝を申し上げると、少年は気に喰わないと言わんばかりに顔を歪めた。
「…嫌味ってもんを知らねぇな~。アンタ、もしかして鈍感野郎?」
「カナタはですね、朝に隗斗をつれ出したことを気にしてるんだよ! あ、してるんです!」
「おまっ、それ言っちゃだめだろ! だだ漏れの口はこうだてめ~っ」
「むー!」
少年にとって余計な一言を滑らせたニコの頬を、カナタは片手でぐりぐりと捻っている。それ、結構痛いんじゃないかとニコを心配してみるが本人は至って平気そうだった。
と、言うか…、隗斗は予想外の光景に目を丸くさせる。
(意外…カナタもニコと同様気にしていたんだ)
確かに、朝早くにカナタから狩りの誘いを受けた。だがそれは思ったよりも重労働ではなく、仕掛けた罠を数回、回るようなもので。
大漁のサソリエビを背に民のところまで運んだ。重く、うじゃうじゃと蠢く感覚は…まあ快いものではなかったが、カナタに悪気も悪意も無かったことだろう。
「君も気に病んでいたんですか」
「いや、べつに気に病むとかそういうやつじゃ…違う…、……くそ、」
くしゃくしゃと前髪を乱し、ずれてもいない眼鏡を掛け直したカナタはむすっと唇を尖らせる。
じとりと睨まれているようにも思う柚葉色の目。目付きの悪い少年の真っ直ぐな視線は居心地が悪そうだった。
「悪かったよ。ふつーに考えて、狩りに誘うタイミングじゃなかった。オレのせいかも、って思うの当然だろ」
「いえ、自分の体調を見誤ったのは僕ですから。君達のせいじゃありませんよ」
「ふん……あっそう」
邪険にしつつ、全身で隗斗を意識する様子は気難しい猫のようだった。
少年の素直ではない心遣いが面映く、僅かに愉快な気持ちになる。ついつい、にやけてしまったのがばれたのかカナタに無言でタオルを顔面に叩き付けられた。
「ニコは隗斗のかみをきれいにしに来ました!」とニコが可愛らしい花の模様の櫛を取り出す。どうやら、謝罪だけではなかったらしい。
こうして、隗斗は幼い少年少女にお世話をされた。自分よりも年下の子供に好き勝手されるのは、どうにも恥ずかしくていけないなと思う。
一回り以上年下であるカナタとニコの二人にお世話された隗斗は、じゃあまたね!と嵐のように去っていく少年少女を見送った。
荒っぽそうなカナタは意外と優しく介抱してくれた。丁度良い温度のお湯でタオルを何度も絞り、ほかほかの状態で腕や足を拭いてくれたのである。
おもちゃの櫛を持ってきたニコは、思ったよりも丁寧に髪を梳いてくれた。かゆいところはございませんか~?と何処か的外れなことを言いながら、手付きはしっかりとしていた。
身形が綺麗になった隗斗は、一人でぼんやりと夜を過ごしている。
手持ち無沙汰は性に合わない。やることも山ほどあるのはある、が、この静寂な空気の中であれこれ忙しなくするのは癪だった。このまま寝たい、そんな気分だ。
とりあえずストレッチしよう、と硬いベッドの上で胡坐を掻きながら首をぐるぐる回してみる。頭が前にいく時に肩の筋肉も少しだけ解れ、じわじわと温かくなった。
隗斗は立ち上がり、屈伸をして体の調子を見る。眩暈無し、立ち眩みも無し、倦怠感も疲労感もゼロ。痛くなる手前の力で腕をゆっくり回す。次いで背伸び。凝り固まった筋肉を柔らかくするイメージ。
身体を解すと全身がぽかぽかとする。最後の仕上げ、深呼吸。鼻から空気を吸い、口から吐き出す。出来るだけ肺いっぱいになるように、なるべく長く吐息を続かせた。これにて就寝前のストレッチを終える。
正体不明の頭痛に襲われた日に夜更かしする趣味は無い。明日また同じ時間においで、と魔導授業の生徒みくに言ったものの、少女は現れなかった。
気絶して倒れた隗斗を気遣ってくれたのだろう。ありがたい、と思いつつベッドの中で横になる。自分自身の熱が湯たんぽのようで、隗斗はすぐに眠りについていた。
* * *
──泡沫世界・語り手【■■■】──
人間をどうしようもなく愛していたし、人間をどうしようもなく憎んでいた。
この素晴らしい世界で生きたいと望んだし、この醜い世界から逃げたいと願った。
綺麗なモノが溢れていると知っていたし、汚いモノが蔓延っていると知っていた。
いつもいつも感情だけが先走って心が振り回される日々はイヤだと思ったんだ。
いつか独りになりたいなあ
誰もボクをしらない世界に行きたいなあ
ボクはボクだけを感じて、呼吸を繰り返すだけの存在になって、世界の隅っこで誰にも知られず死にたいなあ
心底愛おしいと思った。心底憎らしいと思った。
ヒトの温かい感情に、ひとの仄暗い感情に。
嘘つきだと罵られ、異常者だと蔑まれ、奇異の存在に祭り上げられる感覚は一生根を張りボクを蝕み続けるだろう。ずきずきと痛む心も、やがて何も感じなくなるだろう。
(ああ、まただ)
そう思えるだけになった時、果たしてボクはボクでいられるのだろうか。
胸が痛んで、抑えきれない涙が零れ落ちた時、果たしてボクの涙を拭ってくれる人は現れるのだろうか。
ボクはいつだって■■■の■を求めていた。
──ねえ、■■■。君はどうしてこんな風になってしまったのか、考えたことはありますか?
■で統一された■■■が言う。■■■が言うには、■は人間から生まれたけど、人間の女の腹から出てきたわけでは無いらしい。
だったら、■■■はどこから生まれてきたのだろう。■■■は人間の子どもじゃないってこと?ボクは聞き返した。■■■は困ったような笑顔を浮かべて「どうだろう」とか細い声を零す。
人間であって人間ではない存在。そんな不確定で虚ろな生き物が居るんだろうか。でも、そんな■■■だからこそボクはこうして生き長らえたに違いない。■だから、助けてもらったんだ。
──森羅万象、物事は得てして意味がある。どんなに無意味だと思うものでも、須らく。
■■■とボクが出会ったことも?問う。■■■は綺麗な■を丸めて、次いで笑みの形を辿る。そうかもね。肯定のようで、否定はしていない曖昧な答えでも嬉しかった。
ボクだけがそう思っているわけじゃなかったんだ。こうして、ボクと■■■が一緒に居ること。それがもしかしたら、天命だったかもしれないなんて。あの焼きつく痛みにも意味があったんだ、と思えた。
──もちろん、その意義は当人にしか分からないけれど。
■■■は笑う。ボクが今まで見てきたどの笑みとも異なるような、優しい微笑。
両親にさえ向けられたことの無い表情。そもそもボクに両親なんて存在居ただろうか。きょうだい、も居なかった気がする。もうずっと遠い記憶だから朧で穴ぼこだらけ。思い出せない。
ボクには■■■さえ居てくれたらそれで良かった。頭を撫でる手の平の感触は、なんと心地良いことか。その手を払い除けることも、両手で取って繋ぐことも出来なかったけど。ああ、でも。
手を握るなんて、とても畏れ多い気持ちになる。ボクはあの人のコートの端っこを握るだけで精一杯で、それだけで幸せだったから。手を握ったらいっぱいいっぱいになってたかもしれない。
──真実は本の中だけじゃない。探してごらん、君の存在意義を。確固たる真実を。そうしたら、きっと自分を愛すことが出来るから。
「そんなの信じない!」
ボクは強ばった表情のまま感情を吐露する。嘘だ、嘘だとうわ言の様に口にする様は錯乱する異常者だった。何度も向けられた猜疑の目。異端を見る恐れと怯えの交じった目。その目、気に喰わないな。
何で、あの人ばかりが!■■■ばかりが苦しまなきゃならないんだ。間違っている。絶対に間違っている。苦しむ必要なんて無い。あなたの幸福の前にある世界なんて、どうなったっていい!
「■■■が死ななきゃならない世界の方が犠牲になれ!■■■は、■■■の想いはどうなるんだ!」
■■■に助けられた命だ。■■■の幸せのためならどうなっても構わない。どう使ってもいい。■■■のため。■■■の■■のためなんだ。その■■なら何をしてもいい、何だってしてやる。
運命?定め?どうでもいい。ボクの目の前で■■され、ボクの知らないうちに■■■■になっていた■■■。薄汚い人間の■■を一身に■けて、その■■を■■れてしまうなんて、間違いに決まってる。
神よ。ボクはどうなってもいい。もちろん世界だって犠牲になっていいんだ。■■■が■■■の■になる■■なんて■■■■■■も■■──、その、目……、
……おまえ、の、
おまえの、せいだ
ボクを、
見るな




