4-4 アンタ、は。アンタだけは…、俺が……、
人の体はよく出来ている。
強烈な痛みに晒されると、意識を失い気絶という一手を辿る。隗斗の体も例に漏れず、激痛から逃れるために明確な意識を剥奪された。
血管迷走神経反射性失神と言ったか。自身が置かれている状況を、冷静かつ正確な名前をつけるのは滑稽とも呼べるだろう。
暗転する視界。音を拾わなくなる耳。夢にも落ちず、何にも繋がらない闇。落とされたところは底無しの影。皮膚を焼くのは蒼の水。爪先から頭まで、ゆっくりゆっくり浸らせて。
蒼紅の瞳を覆う瞼がゆっくりと開かれる。
知らない景色。見覚えの無い光景。どうやら自分の体は仰向けに寝かされているらしい。ぼんやりとした頭は霧が掛かりまともな思考に移らない。
ここは何処だろう。今は何時だろうか。僕はどうして寝ているんだ。今まで、何をしていたのか分からない。明瞭な記憶は無形のまま、繋がらない景色に隗斗は戸惑う。
僕は、神代隗斗。もうすぐ十九歳を迎える旅人だ。それから、それで……、と隗斗は意識を途切らせた直前の記憶を掘り起こす。祠。お参り…そうだ、実り神のお参りに行ったんだ。
(祠にお参りに行って、湖を見て、それで……?)
目の前に広がる景色が上手く結べない。ぼうっと瞳を虚ろにさせる隗斗に、静かな声が落とされた。
「………出て行く気になったか?」
声のする方へ蒼紅の視線を向ける。
雨粒を多く含んだ曇天色の髪。丹念に磨かれた宝石の如き翡翠色の瞳。ひとたび触れると淡く溶けてしまうような、未踏の雪の肌。
俯いてしまうと途端に綺麗な色をした目が隠れてしまう青年は、仰向けの隗斗から見ればその表情がよく窺える。ああ、また難しい顔をして。
何かをジッと耐えるように。朝露に濡れた草が今にも跳ねるように。瞬きをすれば涙が零れてしまうように。青年──砂取雪彦はそこに居た。
「…僕、また倒れたんですね」
全く、自分の貧弱さが嫌になる。
まずは状況を整理しよう。今日の昼間、砂漠の民スナトリの少女ニコと共に実り神様の祠へお参りに行ったことは覚えている。
それから自分は、謎の頭痛に襲われ意識を失った。ニコが助けを呼んだのはカナタで…ああ、彼の背中に負ぶさったところで記憶は断裂している。
ちらりと時計を見ると夜に近い夕方だと知る。そうすると、自分は思ってた以上に長い間気絶していたようで。うわあ、またスナトリの民に迷惑掛けてると自分に引いた。
「ご迷惑をお掛けしてばかりで、面目無いです…」
「何とも思っていない。気にするだけ、損だろう」
雪彦の表情は変わらない。まるで精巧な人形のように一定の面のままだ。
旅人に宛てられた簡易テントのベッドに寝かされているのだろう、この硬い感覚は覚えがある。よくよく見れば自分の荷物やら服やらが隅っこに置いてある。
この硬いベッドの感覚も最早慣れたものだ。枕は荒野の石にそっくりである。せめてもの救いは柔らかさを保っているシーツと掛け布団に違いない。
「まだ、痛むか?」
雪彦は冷たい眼差しで隗斗を見下ろす。そろり、とどこか躊躇した動きで手の平を隗斗の額に添える。
「……そうですね、少しだけ」
隗斗は思わず笑い出しそうになった。あれだけ冷酷な表情と眼を揃えておきながら、言動は温かな人の心そのものではないか。
労わるような手付きで隗斗を撫でる雪彦。彼の名前や得意とする魔術、姿形がそうさせるのか、青年の手はひんやりと冷気を纏っている。まるでアイスノンだ。
(それにしても、昼間の頭痛は何だったんだ…?)
結果に至るのは必ず原因があるからだと隗斗は考えている。
頭痛及び気絶が【結果】なら【原因】が存在するはず。どんなに無関係に思えても、因果の糸は繋がっているだろう。
思考する。
はじめに、仮説をいくつか立てよう。隗斗は物事を逡巡する際、考え得る限りの仮説を作る。ぼやけている頭の中を掃除し、清掃するために小分けの箱が要る。それが隗斗にとっての仮説となるのだ。
仮説一、単純に疲れていた。
まず自分は砂漠越えの途中で昏倒した。体力の少ない状態であちこち動き回り、限界に達して気絶した。
真っ先に考えられる仮説である。自分のスタミナは自分が一番理解しているつもりだが、知らない間に疲労が蓄積していてもおかしくない。朝から狩りにも行ったし。
仮説二、呪いを受けた。
呪い、あるいは何らかの外因。湖を見た直後の出来事だ。ニコが言うには、あれは実り神の湖らしいが…それが余所者の隗斗を退けようと呪いを掛けた?
飛躍し過ぎている、が、あっても不思議では無い。呪いと言うより、祝福の対象外への祟りだろうか。旅人は受け入れられないというメッセージでもある。
実り神は砂漠の民スナトリを生かす神。逆説的に、スナトリ以外の人間を寄せ付けない神と言ってもいい。神は傲慢で寵愛が過ぎる、と隗斗は途端に閃く。
(…まさか、レーレイ遺跡で見た壁画の邪神は、実り神?)
隗斗は焦燥が出ないように両目を閉じる。
目の動き、瞬きの回数、瞳孔…目は内心を顕著に表す。傍に控える雪彦に己の胸中が漏れるのは避けたい。
──湖、そうだ、人身御供の壁画には湖が描かれていた!
繋げてはいけない。結んではいけない。だが、隗斗はじわじわと地を這う蛇のように、その考えに向けて思念を巡る。
クニミツへあえて告げなかったレーレイ遺跡の壁画。黒の怪物。無実の命を喰らう邪神。無形の化け物。様々な言葉を当てはめても尚邪悪と呼べる災禍の化身。
人々から畏怖を捧げられ、人命すら供物とする湖より生まれし邪神。その、邪神が住まう湖が、隗斗が見た湖だとしたら…
(実り神は豊作の神。作物…いや、動植物に必要なものは水。湖は豊富な水溜りと呼んでも過言じゃない)
短絡的な思考は危険だ。だが、隗斗の導き出した解答が真実ならば、雪彦の言う通り早めにここを出たほうが良いだろう。
雪彦はこう言っていた。湖が濁れば、汚らわしい沼になるように。うみは、吐き出されない限り滞るだけだ、と。
だからここに長く居てはいけない。駄目だ、そう警告もとい助言を吐いていた。
湖が濁る。その意味は…邪神が怒る?汚らわしい沼になってしまうと、豊作が約束されなくなる。つまり、砂漠の民スナトリへの寵愛が失われてしまうかもしれない。
うみイコール砂漠の地、砂の【海】…余所者がスナトリに長く留まると実り神の祝福を損なう可能性が生まれるため、雪彦は隗斗を追い出そうと助言をした…?
だからあんなに辛そうな顔をしていたのか。もしも隗斗の想像通りだとすると納得出来る部分もある。一応筋も通っているようにも思える。
(でも、雪彦は何でそれを知っているって話になるなぁ~)
隗斗は暗闇の中思考する。クニミツが上記の助言をするなら、潔く頷ける。民の長として、スナトリを守るために警告するなら話もすんなり通るだろう。
何故、民の一員である雪彦が忠告する必要があるんだ?と隗斗は小首を傾げたくなった。
クニミツに命令されたから?いや、長老の立場があるからわざわざ命を下すことも無い。民の長とただのスナトリの一人なら、発言力とその重みも段違いだろう。
──雪彦だからこそ、出来た助言なのか?
…考えがズレたな。今は頭痛の原因だった。
有力なのは仮説二かもしれない。隗斗には持病も無ければトラウマといった大層な代物も持ち合わせていない。
砂漠で干乾びかけたのも、そう大きな影響も無いだろう。狩りも謂わばただの回収だけ。頭を打ったわけでもなく、激しい頭痛に襲われる内因は隗斗には思い浮かばなかった。
だとしたら、外因。仮説二の呪いに相当するもの。それ以外なら仮説三の何も分かりませんになる。お手上げです。
(……これは、なんとも)
思った以上にレーレイ遺跡で見た産物の副作用が強い、と隗斗は瞼を上げた。
隗斗の意識が未だに朦朧としていると勘違いしていたのか、雪彦が訝しげに「ちゃんと、見えているか?」と隗斗の顔の前で手の平をひらひらと振る。
大丈夫ですよ、と苦笑混じりに返せば青年は安堵したような溜め息を零していた。こういうところが人間臭くて、心根の温かさが垣間見えるから困る。
「腹が空いているなら、これを食べるといい」
そう言って小形テーブルに置かれたものを手に取り、隗斗に見せた。
少しばかり湯気の立っているそれは、見たことはあるが記憶と多少異なるものだ。
「リゾットですか?」
「いや……リゾットよりも食べやすいお粥と言うものだが、知らないのか」
お粥。どこかで聞いた覚えがあるな。
雪彦曰く、水を多めにして米を柔らかく煮た料理らしい。お粥は消化に良いもので、体が弱っている時に食べる鉄板の料理だと言う。
「これは、アンタが獲って来たサソリエビのお粥だ」
「サソリエビってそういう使い方も出来るんですね」
お粥の上に散りばめられた赤い身。火を通しているのか、記憶しているよりもやや白い。
カナタが嬉々として解体したサソリエビがこうも形を変えて出されたことに、隗斗は驚愕と歓喜の複雑な気持ちで満たされた。
雪彦は再度お粥を小形テーブルに戻し、仰向けで寝そべっている隗斗の傍に寄る。
「起こすぞ」
真正面から抱きかかえられ、上体を起こされる。隗斗の背中に両腕を回した雪彦の手付きは妙に慣れていた。
ゆっくりとベッドの上に体を起こした隗斗。そろそろ意識がはっきりとしてきたぞ、と悪戯を思いついた少年の表情を浮かべる。
「もしかして、雪彦が食べさせてくれるんですか?」
「馬鹿を言うな」
ぴしゃり。間髪入れずに拒絶され、隗斗はやれやれと頭を振った。
お粥とスプーンを手渡されたので大人しく食べることにする。手の平に伝わる温かさに頬が緩む。
ふわりと漂う良い匂いに誘われて、お粥を一口。おっ、美味い。遅れて空腹を訴える胃に、隗斗は見た目にそぐわないスピードでサソリエビのお粥を頂いた。
* * *
「おーっす、交代の時間だぜ。とっとと出ていけよ~」
「カナタ…と、ニコ」
軽めの夕飯を終え、食後の休憩を挟んでいるとテントの扉代わりの垂れ幕が雑に上げられた。
がさがさと騒がしい気配に隗斗は顔を上げる。雪彦がやけに沈鬱な声色で侵入者の名前を列挙した。眼鏡を掛けた少年カナタと、ピンクのカチューシャをした少女ニコ。
荷物を抱えたカナタの後ろに、ニコがべったりと張り付いている。こちらを窺うようなニコを不思議に思いつつ、隗斗は会話に入らない選択肢を取った。
「おう雪彦、クニミツがよんでるぞ。大事な話があるって」
「…わかった」
くい、と親指を後方に向けたカナタ。乱雑な動作だったが、何故か少年によく似合っている。彼が小生意気な性格だからか。
カナタの言葉に従い、雪彦が短い了承の言と共に腰を上げた。空になったお粥の器を手に、翡翠色の瞳を隗斗に合わせる。冷たい、が、翡翠の奥に懇願にも似た色が見えた。
感情を押し殺すような作られた怜悧な目に、隗斗はドキリと胸を軋ませる。薄く開けられた唇が開閉するが、青年は何も言わずにただ隗斗の頬に己の手の平を寄せた。
「…………アンタ、は」
冷たい手だ。それ以上に、雪彦の翡翠色の瞳は凍えていた。
照れ屋で、恥ずかしがり屋な青年の面は隠されている。誰かに触れられるのさえ照れていた雪彦が自ら隗斗に触れ、堪えるように声を捻り出す。
「雪彦?」
「アンタだけは……、俺が………、」
細く、吐息のような言葉が続く。
聞き返そうにも、「早く出て行けって言ってるだろ~クニミツにおこられるのオレだぞ!」とカナタが目を三角にするので、隗斗は仕方なく追究を止める。
そっと手の平を隗斗から遠ざけ、無言のまま雪彦は簡易テントから姿を消す。彼の苦しげな顔がどうにも忘れられず、とりあえず胸に仕舞い込むことにした。




