表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
死が彼らを巡り合わせるまで  作者: 直紀けい
第一章 砂上の贄柱 スナトリ
19/33

4-3 言葉にすると余計に惨めだな

 ニコのお参りは三十分ほどだろうか。

 民の話を終えた少女は、祠の傍らにあった掃除道具を使って周囲を綺麗にしている。元々、毎日お参りに来ているから汚れているところを見つけるほうが難しい。

 木の葉を取り、祠を手拭いで磨く作業は思いのほか長くは無かった。隗斗が手伝いを申し出る前に、ニコは手早く祠を掃除してみせたのである。さすが、と言うべきか。

 お参りに訪れた時との差異はごく僅かだったが、綺麗にされて実り神もさぞご満悦なことだろう。最後に大きな拍手を打ち、一礼をした少女ニコがくるりと隗斗へ向き直る。


「これでおまいり終わりです! 隗斗、ごいっしょしてくれて、ありがとうございました!」

「特に何もしてませんけどね」

「それでもいいです、ニコは隗斗とおまいりしてうれしかったですよ!」


 ニッと歯を見せて笑うニコに、隗斗は釣られるようにして笑む。

 「かえりみちは、こっちにしましょー」とまた隗斗の手を握り歩き出す少女に合わせて、隗斗は進んだ。

 ふと、視界を一閃の光が遮る。ちかちかと明滅する何かに、隗斗は蒼紅の瞳をその方角へ寄越す。誘導されたように。耳元で囁くように。旅人の視線が釘付けになった。

 森の奥深く。瑞々しく若々しい木々の間。それは息を潜めてこちらを眺めている。水溜り?いや、もっと大きな…そうだ、隗斗はその名前を既に知っていた。


「湖……、」


 きらきら。太陽の光を浴びて水面が煌く。そう遠くは無いが、目と鼻の先では無いその湖。

 綺麗な水だ。まるで何も無かったように、何事も起こらなかったように美しい。透明で、繊細で。誰にも侵されない秘蔵の場所。

 ぱしゃりと跳ねたのは湖に住まう魚だろうか。生命が漲っている。元気なことだ、あそこでは■■■■があったというのに──、え?

 隗斗がジッと湖に瞳を向けるように、湖もまた隗斗を見詰めて逸らさない。ただ付き従うように歩いていた隗斗が、急に立ち止まったことに気付いたニコは「ああ!」と声をあげる。


「あれは実り神さまのみずうみだよ! えっと、みずうみです!」


 少女の言葉を噛み砕き、嚥下するよりも先にそれは訪れた。

 痛い、と知覚するより先に隗斗は素早く両目を押さえる。


「───っ、」


 頭蓋を開き。脳髄を霧散させ。隗斗の意識と思考を司る脳をぺしゃりと潰す。

 そんな痛みが何の音沙汰も無く襲来する。耳元で万雷が弾け、甲高い悲鳴と共に耳朶を揺らす。しゃがれた老いた声が、瑞々しい若い声が、絹を裂く女の声が、地を這う低い男の声がする。

 たすけて、と聞こえたような。それが自分の声なのか他人の声なのか。知人か、友人か、己の仇なのか不透明になる。ぱん、と何かが弾ける音が鼓膜を突く。

 視界が赤と白に点滅した。ぐるり、と眼球が上向いた気がする。この赤は何だ。見覚えがある。この白は、ああ、赤に混ざって行方が分からなくなった。

 痛い。呼吸が上手く出来ない。は、と吐息と共にずるりと出た赤は何だ。汚らわしい。邪魔だ。忌み嫌われる緋色のそれを掻き消そうとしても、両手が赤に染まっていて叶わない。

 眼球の奥へ奥へと進もうとしている。侵入しようと、僕の最奥を犯そうとしている。汚らわしい赤の正体は。これは血か。どうして、この血は一体どこから流れて───

 (ぼく、から出ている)

 ああ、細い、細長い錆びた針が、たくさんの針が頭を突き刺している!蝸牛に寄生する針金虫みたいに、僕の脳を、支配しようと狙っている!

 いやだ、大きな螺子が、切っ先を向けて頭の中身を抉ろうとしている!刃を構えて、温かくて柔らかい、頭蓋と脳を斬り捨てようとしている!


 突如体勢を崩し、両手で頭を押さえつける隗斗にニコは激しく動揺した。


「隗斗!? どうしましたか、おなかくるしいですか? あ、あたま痛いですか?」

「ご、めん……なんでも、っ、なんでも ないから……」


 額に脂汗を滲ませ、苦痛に喘ぐ青年の姿は少女の心を揺らす。

 怖い、目の前で何が起こっているのか分からない。でも、何かしなければならないとニコは察した。


「でも、でもすごく痛そうです! ニコ、どうしよう、なにしたらよいですか!?」


 ニコの子供特有の声色は頭蓋によく響く。

 頭痛と戦いながら、隗斗は死に体に酷似した掠れた喉から言葉を引きずり出す。


「…人を、呼んでくれると… よい、かな…」

「わかりました! ニコ、だれか見つけてきます。隗斗、待っててください!」


 軽やかな足取りはすぐに聞こえなくなった。

 一人きりになった隗斗は、治まらない痛みに拳を強く握る。その手だって、小刻みに震えていた。先程見えた血は綺麗さっぱり無くなっている。幻覚を見るほどの激痛だったのか。

 ああ、痛い。

 頭痛も酷いが、次に襲い掛かったのは胸の苦しさだ。息苦しさに、隗斗は胸に手を押し当て、ぎゅうと服を鷲掴み耐える。気を抜くと泣いてしまいそうだった。

 はっ、はっ、と浅く呼吸を繰り返し苦痛を少しでも和らげるように努めた。次第にぼんやりと視界が霞み、思考が形を成さずに蕩けていく。ふわふわと地に着かない。

 予兆の無い痛苦に、思わず涙が浮かんだ。断続的に広がる頭痛は留まることを知らない。痛みを弱めて、強めて、また弱めて。場所を移動し痛覚を弄ぶ。

 一人の状態で意識を手放すのは駄目だ。何か、何か考えないと──この急激な痛みと苦しみは、どうして……


「………なんで、こんな…」


 理由も分からなければ、原因も突き止められないではないか。結局、痛みを誤魔化すための思考の材料もまともに揃わない。

 痛みを取り除こうと両手で頭を掻き毟った。せっかく整えたのに。隗斗は芋虫のようにごろりと転がる。己の見苦しさに、嘲笑で顔を歪めた。

 

「…いたい」


 言葉にすると余計に惨めだな、と隗斗は瞼を下ろした。



* * *



 数分か、それとも一瞬か。遠くから忙しない足音が聞こえてくる。ばたばたと、急ぎの用事でもあるのかと遠巻きにしてしまうような乱雑な足運び。

 ぴくぴくと痙攣する瞼を無理矢理押し上げ、足音の正体に焦点を合わせた。形を結び終わるのと同時に、名前を知る人物だと理解する。


「隗斗ーっ! 隗斗! カナタあそこです、隗斗が痛がってます! なんとか、なんとかしないと!」

「うわ、おいおい! 顔色やべーじゃん! あいつマジで軟弱すぎじゃね!?」


 ニコが連れて来たのは線の細い少年のカナタであった。

 走って来たせいでずれた眼鏡を雑に直すと、カナタは急いで隗斗の横に屈む。


「大丈夫かよアンタ。いや、明らかに大丈夫じゃねーよな、しっかりしろ」

「…か、カナタ」

「むりに喋らなくていいぜ。ほら、オレの背中に乗れよ」


 カナタは隗斗に背を向ける。いいのだろうか、と激痛で占められた僅かな隙間で思う。

 少年と言うに相応しいカナタの体躯は細い。青年に差し掛かる前の、骨も筋肉も成長前の身体だ。そのカナタが隗斗を背負うとなると、相当重いだろう。

 しかし、今の状態で隗斗が自力で民のところまで戻るのは難しい。口を開けば泣き言を零してしまいそうなほど、現状隗斗は弱っていた。


「………申しわけ、ない…」

「だから喋るなって。ゆっくりな? こう見えてオレ、力あるから隗斗くらいよゆーだっての」


 隗斗を安心させるために作られた笑顔は下手くそだった。カナタの優しさに感謝しつつ、隗斗は痛みを堪えながら少年の背に己の体重を掛ける。

 指先を動かせば戒めるように痛みが走った。脂汗どころか冷や汗まで流れてきたことに衝撃を受けながらも、隗斗は時間をかけてカナタの首に腕を回す。

 よっこいせ、と掛け声ひとつでカナタは立ち上がる。力があるというのは嘘では無かったようで。薄いタンクトップを纏ったカナタの体温はやや低く、彼に寄りかかれば少しばかり痛みがマシになった。

 (……ちょっとだけ、痛みが引いたな…)

 「そんじゃ帰るぞ~」と囁かれ、隗斗は薄く薄く意識を繋ぐ。気絶するにはまだ遠く、意識を明瞭に結ぶには一歩足りない。

 片方の腕はなんとかカナタの首に回されているが、もう片方の手はぶらりと垂れ下がっている。意識を朦朧とさせる隗斗の手を、ニコは繋ぎたそうに見詰めていた。


「カナタ、隗斗はだいじょうぶですか? よくなりますか?」

「しらね。オレ医者じゃねーじゃん」

 ぶっきら棒に返されたカナタの言葉。ニコは目をぎゅっと瞑り、俯いた。

「ニコのせいでしょうか…ニコが、隗斗をおまいりにつれて行ったから…」

「だからしらねぇって言ってるだろ…あーあー泣くな。おまえが泣いてコイツの体調が良くなんのかよ」


 実に嫌そうな表情を浮かべる少年は、ニコを慰める手を持たない。あいにく両手は隗斗を背負うのに塞がっている。

 そもそも子供を宥めるなんてキライだしムリ、と脳裏で補足。幸いにもニコはぎゃあぎゃあ騒いで泣くようなタイプではない。放っておいてもいいだろう。


「でも、でも、隗斗とてもくるしそうです…!」

「コイツ、昨日熱中症だったからぶり返したんじゃねぇの。それか持病」

「じびょう」

「病気持ちってこと。まあ想像だけどさ 休ませたら良くなると思う、たぶん」


 あと、トラウマでも持ってんじゃねぇのか。ニコの分からない言葉を内心で形作る。

 隗斗の生い立ちなんて微塵も興味は無い。聞きたがるのはみくのやニコみたいな好奇心旺盛な奴らだけだろう。カナタは、面倒じゃなければどうでもいい。

 熱中症でぶっ倒れたくせに、ろくに休まずレーレイ遺跡に突撃したと聞いた時には呆れたものだ。バカなやつ、と思った。同時に変で面白そう、とも感じた。

 まあ、要するに好調よりか不調寄りだったのにうろちょろするから悪い。あ、いやでも、早朝に叩き起こして狩りに連れ回したのはオレだったな、と思い直す。オレにも原因あったわ。

 そう結論して思考を終えたカナタに、ニコは涙混じりの声色を落とす。


「そしたら隗斗、ニコのこと怒るでしょうか。休んで、あたま痛いのなくなったら、ニコを怒鳴るでしょうか…?」

「コイツそんなことで怒るかぁ~?」


 まるで想像出来ない、とカナタは吐き捨てる。こんな優男が服を着て歩いてるような奴が、年下の少女相手に怒るとはとても考えられない。

 ニコが何を気にしているのか知らないが、ニコなりに隗斗を好いているのだろう。好きな相手に怒られるのは誰だってイヤに決まってる。


「ニコは怒られるのいやです…でも隗斗にきらわれるのもいやです…」

「おまえが気にしなくてもいいって。大丈夫だよ、へーきへーき」

「はい…」


 ごしごしと腕で涙を拭ったニコは、その手でおそるおそる隗斗の手を握っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ