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死が彼らを巡り合わせるまで  作者: 直紀けい
第一章 砂上の贄柱 スナトリ
12/33

3-3 考え理解出来ませんね

 旅人は呆然と口を開ける。驚愕、落胆、肩透かし。無形の希望は打ち砕かれ、目の前に広がる光景だけが真実となる。

 蒼紅の瞳が現実を直視したまま硬直した。術者の動揺をそっくりそのまま幽かな単眼(キャンドル)が揺れる。旅人の影が大きく揺らぎ、レーレイ遺跡の床を滑らせる。


「……何も、ない?」


 遺跡の奥には何も無かった。

 窮屈な一本道を抜けた先は、確かにここが殿なのだろう、入り口には豪華な装飾が施されている。におい…旅人としての感覚だってそうだ、ここが最奥だと告げている。

 たどたどしい足取りで歩む隗斗を止める人は居ない。トラップの可能性は念頭に置きつつ、覚束無い歩みは次第に確実に地を踏むものへと変わっていく。おかしいだろう、と頬が引き攣る。

 何も無い。いや、あるにはあるが…

 最奥のフロアには、中央に人ひとりが寝そべる大きさの祭壇しか無く、隗斗が期待していたお宝は何処にも見当たらない。冷気だけが色濃く渦巻いている。一体何を守っているのやら。


(嘘でしょ? あれだけ仰々しい仕掛けがあって、収穫ゼロ?)


 隗斗は驚愕に目を見張る。

 共に時を過ごして来たスナトリの民でさえ、その尊い命を奪った寒色だらけの毒花。レーレイ遺跡の最奥を守護する世界有数の危険指定された紅雪花。

 そして、生命を脅かす正体不明の冷気。気味の悪い時間の齟齬の内部…それらを引っくり返し隗斗を納得させるだけの神秘は、目を皿にして探してもどこにも在りはしない。

 隗斗が間抜けな素人であれば、それも仕方無いと無理矢理にでも飲み込んでレーレイ遺跡を後にしただろう。しかし、それなりに旅に慣れた身としては、この結果はどうにも腹に据えかねる。


「…けど、怪しいところはどこも……」


 いやいや、絶対何かあるだろう。最奥のフロアにある祭壇の前で立ち、幽かな単眼(キャンドル)の灯りを最大に広げた。自分を中心とした光は瞬く間に辺りを照らす。

 薄暗い遺跡をぼんやりと映し出す()()は、隗斗の思考を止めるには充分な効果があった。何かが浮かび上がった、と知覚し視線を上へと登らせた旅人は、声を漏らそうとする唇を無意識に引き絞った。

 壁一面を彩る奇妙な模様。おどろおどろしい絵。壁に刻まれた意味を知る前に、隗斗は腹の底から忍び寄るナニカに気付く。


──その壁画は、恐怖を駆り立てる闇の隙間だった。


 黒。

 夜を連想させるそれではなく、沼よりも尚深い奥底の目。生きるもの全てに恩讐を抱く眼。それが隗斗を捕らえる。旅人は思考を遮断し、理解を拒む。

 人を頭から飲み込むような、光の一筋も通さぬ深海の地。底無しの沼に酷似した光無き邪。それが隗斗を飲み込む。旅人は悲鳴を消して、嗚咽を潰した。

 獰猛な牙が人々を喰らい、雨のように血飛沫が降り注ぐ。鮮烈な赤が其処彼処に飛散する。それが隗斗を浸し潤す。旅人は涙を堪えたが、恐怖が押し寄せる。

 繊細に、傲慢に、冷淡に、人間を死に追い込む異形の影。手招いて、手繰り寄せて、殺す。それが隗斗を窮追する。旅人の瞼に映る死のかたちが、すぐそこに。


 怪物は人間を、世界を、全てを憎悪する眼差しで隗斗を見下ろす。


──()()()()()()()()()()()()()


 は、と隗斗は口を開閉させる。妙に息苦しいのは無意識に呼吸を止めていたからだろう。思わず手の平で口を押さえ、こみ上げる吐き気を耐える。

 視線が壁画から離れない。いや、壁画が隗斗を見詰めているのか。それすらも分からない。ただ理解出来たのは、この地、この場所で実際に()()が起こったということだけ。


 (なんだこれは)


 両足が震えている。今すぐここで見たものは全て忘れて、スナトリの地を去れと怒号を飛ばしている。隗斗は己を叱咤し、蒼紅の双眸で壁画を睨む。

 澄み切った湖から覗くのは、人々に崇め奉られる邪神だとすぐに解かった。邪神は男とも、女とも判別出来ない。それどころか老若も姿形も判明しない、朧のかたち。

 人々は寄って集って頭を垂れ、地面に額を擦り付け、五体投地の礼拝を行っている。表情は窺えないが、それでも彼らの背はこちらまで畏怖が漂ってくるようで。異常な光景だった。

 礼拝する人間達の前に差し出された一人の少女に、隗斗は嫌でも察する。頭の中で交差する言葉を、血反吐と共に吐き出すような心地で声を乗せる。


「…人身御供(ひとみごくう)、」


 神への供物として、人間を捧げることを人身御供と呼ぶ。または、人身供犠(じんしんくぎ)とも。

 その目的は多岐に渡る。神の加護を得るため、神への奉仕のため、神の怒りとする飢饉・疫病・災厄を止めるため、神の力を手に入れるため…これ以上は考えていても無意味だ。無価値とも言う。

 生きた人を殺し、血肉を捧げる。心臓を投げ捨て、その身を差し出す行為。荒れ狂う天災を鎮めるために殉死することさえ人身御供の一種とされるのなら、隗斗にとってこれほど嫌悪を抱く儀式は無いだろう。


「忌々しい。理知のある人とは思えない…」


 鬱陶しげに吐き捨てられる言葉。

 隗斗は湧き上がる不愉快な感情を隠さずに壁画を睥睨(へいげい)する。

 (…気分が悪いな)

 絵の中の少女は腹部と思われる場所から血を流していた。腹の中身も無残に散らかっている。腹を空かした獣にでも喰い荒らされたようだ。

 瞼は閉じられており、彼女の瞳の色を知ることは出来ない。おそらく少女は死んでいる。人身御供に選ばれたからには死は逃れられない定めではあるが、どうにも良い気分にはなれない。

 どこかの国では、霊魂は腹に収められていると考えられていたか、と隗斗は頭の隅で思考する。腹を開き、その中に詰められた臓腑を白日に晒すことで人身御供を成しているのだろう。

 腹を掻っ捌いた死因は確か、失血死や腹膜炎だったか。正確には覚えていないが、どちらにせよ即死はまずありえない。確実に死に至るのは数時間以上…場合によっては日を越す。長い苦しみを伴う。

 死んでから腹を割かれたとは考えられない。きっと、生きたまま腹を破かれ、臓腑を千切られ、殺された。何故生贄に選出されたのか不明だが、年端もいかぬ少女が受けるにはあまりにも惨い仕打ちだ。


「考え理解出来ませんね」


 隗斗は指先に灯る光を緩める。これ以上見ても不快な思いをするだけだ。


 世界の理、風習、思想や信仰を基本的には否定しない。が、これだけはどうにも解せない。

 激しい憤怒に身を預けてしまいそうになる。隗斗は蒼紅の眼を険難に尖らせた。胸中で燻る負の感情を抑えるように空いた片方の手を当てる。どくどくと鼓動を刻む己の心臓に、しばらく耳を傾けた。


 四方を囲む壁画は、真正面の人身御供と同じような内容の絵。どうせ、見たところで不快が増すだけだ。それらを出来るだけ視界から外し、祭壇の台に近寄る。

 人ひとり寝そべる大きさの壇と印象を受けたのはどうやら正解だったらしい。あの壁画を見せられて、この祭壇の意味に繋がらない者は居ない。隗斗は表情を悲痛に歪める。


「ここで、一体何人の犠牲者が…」


 石で積み上げられた祭壇は長さおおよそ百八十センチ。

 側面を金で浮彫にして豪華絢爛に飾り立てられたそれは、どれだけ夥しい血が流れたのか、黒い染みが広がっており黒の塗料が使われていると間違ってもおかしくない。指を滑らせれば、ぬるりと血の感触がしそうなほどに。


 謎の冷気はここから発生していたらしい。深々と冷え込む祭壇は隗斗の熱を容赦無く奪う。まるで柔らかな雪の中に頭の天辺から足の爪先まで埋められたようだ、と隗斗は身震いする。

 こんなところで氷の彫像になると洒落にならない、と熱を燃やし凍死を避ける。そこで、蒼然たる疑念を抱く。元々白い肌が真っ青になるのが分かった。


──あの陽気な砂漠の民の祖が、これを?


 隗斗は知り合った人々の顔を思い返す。

 クニミツは、朗らかに笑む人だった。余所者の隗斗を快く受け入れ、手厚い介抱と優しい歓迎をしてくれたただの老人。

 雪彦は、照れ屋な青年で寡黙な人だった。氷の魔術を行使し、熱中症の隗斗をお世話してくれた。遺跡の案内だって自分から買って出たのだ。

 みくは、太陽のように明るく元気な少女だった。少々世間知らずな面はあるが、それを有り余る素直な性格の女の子だ。見知ったばかりの旅人を心から心配してくれる優しい子供。

 ノブシゲも、キクも、レイコも、ニコも、ヒロムネも…他の面々も、仄暗い過去の背景の子孫だとは到底思えない。


 危ないと思ったらすぐに戻ってきてね

 そう言って、マスカット色の目を悲愴の色に染めていた少女の姿が脳裏を過ぎる。


 隗斗は数回、(かぶり)を振った。


 砂漠の長クニミツは、祖の所業を知っていると思っておいたほうが良いかもしれない。そして、隗斗が立てた仮説は一に近かったのだろう。

 見つけてはいけないものがある。それは民にとって不都合かつ、このまま隠し通したいものや、その他…まさか人身御供の過去を掘り出すとは夢にも思わなかった。

 安易に踏み荒らし、邪推の材料を手に入れてはならなかったのだ。それに、自分が追い求める野望の手掛かりとはかけ離れたものであった。胸に鉛でも入れられたような気持ちになる。


「結局、旅の目的に繋がるものは何も得られなかった」


 あまりにも呆気無い結果に隗斗は長く溜め息を吐く。

 見栄っ張りな毒を越えたと思えば、おぞましい壁画に見詰められ、中はもぬけの殻。土産無しの手ぶら状態。最後に、辺り一帯を簡単に調べてみるものの成果はゼロ。

 冷気の主は一体何を守ってきたんだ?と揶揄を脳内で飛ばす隗斗は完全に肩透かしを喰らった気分である。

 いや、あの冷気は過去に生贄となった者達の怨念…もしくは呪いと考えても外れではなさそうだ。解明する気も、出来る気も湧かない。


 とりあえず、砂漠の地の遺跡は調べたという事実だけは残った。それだけで成果はあったのだと自身を奮い立たせ、帰路の道を辿る。


 遺跡の最奥に近寄らせまいと放たれていた冷気は、昨晩と同様、何故だか帰る時に最も効力を発揮し、扉から出る時には寒さでガタガタと体が震えていた。

 そして旅人は唐突に閃く。


──ここは遺跡ではなく、神を奉る【神殿】だったのでは?


 脳裏に大きく浮かんだ二文字を、隗斗はバツで塗り潰した。

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