3-2 死して尚、強まるもの
「…このレーレイ遺跡はね、隗斗。誰も調査出来てないの。入ろうとした人は死んでしまったから、その後に続く人は居なかった」
遺跡の前。目の当たりにした毒花の壁は未だ健在である。燦々と栄養を注ぐ日光を受け入れ、我先にと成長を続けていた。
古くから存在するスナトリの遺産、もといレーレイ遺跡。案内した片割れのみくは、このまま隗斗が毒花や遺跡の神秘に侵されてしまう想像に駆られた。恐怖に足が竦む。
自分が遺跡まで案内をしたせいで人が死ぬかもしれない。彼が死んでしまっては後悔してもしきれない。自責の念が胸に巣食う。
過去に草花の除去を試みた人が死亡した事件は今でも砂漠の民スナトリにとって痛ましい出来事である。近しい人間であったから、殊更に少女の心を抉る。
その事件に、隗斗も含まれてしまうかもしれない恐怖に喉が引き攣る。みくは顔を上げ、隗斗を真正面に見据えた。マスカット色の瞳は不安げに揺らぐ。
「私はやっぱり、このままでいいと思う。これまで静かに在ったんだから、中には何もないんだって考えてしまう」
でも、それだけじゃだめなのね。
みくの顔は強張っており、笑もうとすると歪になってしまう。少女の隠された悲傷が日の目を見る。
旅人の蒼紅の瞳に映し出される少女の姿は、夜が怖くて眠れないと怯える幼子だ。手を差し伸べ、何も怖いものなんて無いのだと優しく頭を撫でたくなってしまう。
だが、それは己の役目ではない。無償の愛を注ぐべきは彼女の両親、スナトリの民の役割である。根無し草の無頼漢、風に流されていく旅人が口出しすべき事柄じゃないと隗斗はレーレイ遺跡に意識を束ねる。
風よ。
浅瀬の海を連想させる蒼髪が波間にたゆたう。我が往く道標をここに。先駆の架け橋を願い給う。
彼のために歌おう。彼女のために祈ろう。人のために謡おう。魔物の席は此処に在る。化け物の座は其処に在る。世界のために唄おう。
編み上げる。二人の周りに鎮座していた風は命令に従い、互いの手を取り合い階段を創る。計算され尽くした術式に綻びは見当たらない。
「『無明を連ねるもの』」
みくは唖然とし、可哀相なくらい身体を硬直させている。
少女の様子を不可解に思った隗斗は、次いで紡がれる言葉はまるで難解の問題であった。
「昨日見たのは夢じゃなかったんだ……奇跡みたい」
ぼんやりと、まるで酩酊しているような表情で隗斗を見上げる少女みく。
両手を胸に当て、若葉色の目だけが爛々と輝いていた。隗斗は内心疑問に思う。魔法なんて、世界中に存在するもので珍しくも何とも無い。
この世界では才能ある者は誰もが魔法・魔術を使える。大半は基礎魔術は扱えるが…異例として隗斗と水属性の魔法・魔術は相性が悪いのかいまいち威力が出ない。
少女の言動は気になるが、やはり目的が目と鼻の先にある以上そちらを優先したい。猛毒の紅雪花の対策もばっちりだ。他の障害物もあるかもしれないが、その時は随時対応。臨機応変のスタイルで行く。
「それじゃあ、行ってきますね」
片手をひょいと挙げ、意気揚々と遺跡探検に挑もうとする。
しかし、ようやく現実に戻って来たのか少女の声が隗斗の耳朶を叩いた。
「……隗斗。中に何があったのか、教えてくださいな。でも、危ないと思ったらすぐに戻ってきてね」
未知の遺跡は何があるか分からない。故に、隗斗が無事に戻って来れる保障などどこにも無い。
恐怖が背筋を這う。隗斗の行動は未だに暴挙としか思えない。蒼紅の双眸は相応の覚悟を秘めている。
「ここで待ってる。一緒に行くのは、ちょっと…こわい」
「はい。すぐに戻ってきますから、安心して待っててください」
それでは、と死地に向かうにはあまりにもとぼけた調子で隗斗は毒花の上を歩み進む。
一歩。二歩。三歩。最初の一歩で、少女がああ、と悲鳴に酷似した声を漏らす。悲痛な叫びを無視して旅人は階段をのぼり、障壁となる毒の草花を通過した。
すとん、と地面に爪先を突かせ両足で大地を踏み締める。さして間も置かず風の階段は音も無く消滅の末路を辿る。想いを籠められた風は簡単に解かれ、周囲の風と合流し淡く消えていった。
昨晩、不法侵入をした遺跡の姿は以前変わらず隗斗を招き入れる心積もりなのだろう。快く、招かざる者など存在しないように。隗斗は神秘の宿ったレーレイ遺跡の中へと入って行く。
* * *
ふわ、と冷気が旅人の肌を舐める。足元から這い、太ももに指を乗せ、腹を伝い心臓を掴んで離さない。手厚い歓迎だ。
昨日の失態は犯さない。旅人はレーレイ遺跡に入る前から体温を平熱のまま維持する魔術を組んでいたので、変死体(凍死ルート)にはならないだろう。
ふ、と息を吐く。生物から吐き出された息は白く溶ける。レーレイ遺跡を彩る霜は健在である。昨日返却された靴に忍び寄る霜の蛇を軽くあしらい、隗斗は利き手である右の人差し指を天に向けた。
「『幽かな単眼』」
旅人の道を照らす灯を此処へ。
ぼう。体内で練られた魔力が魔法に変換され、本物の灯火のように儚く揺れる。手元しか照らさない光では、鳥目の隗斗は歩めない。光を再度編み直し、自身を中央として三メートル先まで見えるように調節した。
レーレイ遺跡。砂漠の地で眠る未踏の神秘。外観と比べ、内装があまりにも新しく映る謎は未だに明確な答えが出せていない。
(外と内の違い。時間の経過が全く異なるひとつの遺跡……、)
外装の激しい劣化が正当なら、中の内装が真新しい理由。おそらく何らかの術式による時間経過の齟齬だと隗斗は睨んでいる。
「カビ…ほこり、ごみひとつどころか雑草だって生えていない」
レーレイ遺跡をぐるりと囲んで守衛を気取る毒の草花。あれだけ背を伸ばし数を増やしている間、遺跡はもちろん放置されている。毒花が人の手を介入させないからだ。
何の施しも無い遺跡内が、まるで新設されたまま時を超えている理由。詳細は定かではないにしろ何者かの手が加わっているのは事実だろう。それが人であれ、神であれ。果てには、尊いものであったとして。
神の寵愛…にしては、気配が薄すぎる。神が住まう地は人にとって畏れ多く、吸い込む空気はいっそ毒とも呼べるのだ。遥か昔、気が遠くなるほどの過去に何らかの神が居た、と思う。だが今は完全に不在だ。
正当に考えるならば、遺跡を建築した者が長期保存のために術式を組んだのが一番納得出来る筋道である。術者は既に亡くなっている、と前提したら。術式の経過により齟齬が起きた…と言うよりは……そう、
「死して尚、強まるもの」
願いとは。想いとは。
生きていて強まるものと、死した後に強まるものの二種類ある。何の変哲も無い時間経過への干渉術式が、術者の死により深く根強く重なったとしたら。
レーレイ遺跡の内部のみ、時間を置き去りにして時代を超越したとしてもおかしくない。隗斗の迷い無い足取りが障壁を前にぴたりと止まる。蒼紅の瞳が死を呼ぶ花を映し出す。
「耳を腐らせ、瞳を崩し、自我の一欠けらも残さない不滅の毒花…」
紅雪花。スカーレットアイス。死出花。いくつもの名が存在するのは、世界各地で恐れられ、他の花と区別するためである。
七つより下の幼い子供の柔い手の平が、ぱかりと開いたそれ。レーレイ遺跡の周囲に生える寒色だけの花と比較するように、その花は紅い。一身に血を浴びて育ったように。
剃刀にも似た砥がれた花弁は採取の気も起こらない。真っ赤な花弁に散らばる白い雫はまさに幼子の爪を剥いで飾ったもので。触れるもの全てを害する花は誰にも愛されない忌むべき花。
「さて」
思考を切り替えよう。今は原因不明の謎より、目の前の危ない花である。隗斗は利き手である右手を腰に当て、厳重に構えてみせた。
花弁のひとつでも体内に納めればたちまち命を落とす紅雪花。故に死出花。死出の旅路を案内してくれる花という、なんとも皮肉極まった名前だ。名付け親は相当に底意地が悪いらしい。
全身の痺れから始まり、呼吸困難、幻覚と幻聴のダブルコンボ、苦痛は当然、猛烈な吐き気は抗えない。そのまま苦しみという苦しみを全身で受けながら生物は生命活動を続けられなくなる。
花弁に散る雫も、死ぬ手前の苦しみを味わうと言う。旅を続けている以上、危険なものは付き物だがさすがに紅雪花は手に負える。かと言って、駆除のために応援を呼ぶのは癪だった。
触らぬ神になんとやら。隗斗は幽かな単眼を取り止めると途端に周囲は暗闇に包まれる。鳥目を自負する隗斗はすかさず光打石を取り出し、指先でとんとんと眠っている光を叩き起こす。
光打石はその名の通り、石に軽い衝撃を与えると内包された光を起こすことが出来る優れものだ。石のサイズによって明るさが変化する。焚き火よりも確実で簡単に光を手元に置けるので、隗斗は重宝していた。
徐々に光を取り戻す光打石を紅雪花の近くまで転がした。サクランボの片割れほどの大きさのそれでも、充分見えるレベルであった。隗斗は細く息を吐き、感情を出来るだけ抑えつけた。
「空間範囲…完了。転移指定…完了。ノイズは軽度。よし、良好。では、お引越ししましょうか」
口調は自然と好青年を装う。自分以外の呼吸は必要無い。意識を集中させ、雑念を払う。お引取り願おう、紅雪花の群衆よ。
つつ、と虚空に円を描く。すると数えるのも億劫なほどある紅雪花が、きゅうと身を寄せ合う。見えない手にそっと、ブーケを作るように一つの花束に纏められる。涙を零すように、花弁の雫が地に落ちた。
胸の前で小さく拍手を打ち、合わせた指の間に互い違いで滑り込ませる。神へ祈りを捧げる敬虔な信者のように指を組み、両方の人差し指と親指同士をくっ付けたまま円を作り、紅雪花を見据える。
「夢想せよ。壮大なる大海を走り、寛大なる草原を泳ぐ。幻想せよ。偉大なる大地を飛び、広大なる空を駆ける。彼方へ巡るそなたの旅路に幸多からんことを──『飛脚の航海』」
束ねられた紅雪花が存在を稀釈させていく。存在を薄く伸ばし、有毒の有り様も今は霞のように掴めない。徐々に空間と同化し、最後には何も残らない。
(……よし、移動完了~)
思いっきり意識して溜め息。肺の中のものを全て出し切り、次いで酸素を取り組む。ひどく集中したあとの脱力感は未だに慣れない。隗斗は組んだ手を解き、ぐっと伸びをした。
駆除指定の全草有毒の植物。見つけたら即駆除が当たり前の紅雪花だが、扱いさえ間違わなければ有益も呼ぶ。毒抜き─これがまた滅茶苦茶面倒くさいのだが─をすれば、高ランクの薬だって作れる代物だ。
ただ、隗斗はその毒抜きも薬作りも腕が足りないので人任せになってしまうのだが。最悪売ってしまっても構わない。それなりの値になるだろう。知り合いの薬売りにでも売れば恩もついでに売れるはず。
飛脚の航海。生物以外の転移を目的とした上位魔法であり、効果と比例して術者の魔力を大幅に削る。玄人寄りの中堅魔導師の隗斗でさえ、魔力の半分以上は喰われる大魔法だ。そうほいほいと使えるものではない。
夥しいほど咲いていた紅雪花は、魔法を用いてセーフハウスに移動させた。隗斗には寝食の出来るセーフハウスをいくつか所有しており、その中の一つの場所にお引越しをしたのである。
お引越ししたセーフハウスはとある人物と共有している別名シェアハウスだったが…まあ、彼なら扱いを間違えることはないと信じよう。転移先のセーフハウスを主に使用しているのは彼なので、今頃滅茶苦茶びっくりしているとは思うが。
紅雪花を丸ごと転移するよりも、灰すら残さないほど燃やし尽くす方法も考えた。呼気を通じても毒の洗礼は受けないので、駆除方法としては最もポピュラーなものだろう。
しかし、レーレイ遺跡を荒らさないとスナトリの長クニミツと約束している以上、手荒な真似は出来るだけ避けたかった。魔力をごっそりと持っていかれたとしても、転移が一番穏便な手だろう。利益に目が眩んだ結果、転移を選んだとも言う。
利害の害より利を取りやがって!とか何とか捻くれた文句を言われそうだ。目を吊り上げて怒鳴る姿を想像しつつ、隗斗はレーレイ遺跡の先を見詰める。紅雪花の花弁の一枚も残さず転移させた道は更に奥へ続いている。旅人を誘うように。
「遺跡の寒色毒花は越え、道を塞ぐ死出花は退いてもらった」
蛇足だが。数ある名の中で、死出花の呼び方が好きだ。それらしい、それっぽい、一番花の正体に当てはまるから。
輝く光打石を拾い上げ、両手でそっと包み込む。すると光はまた眠りに就き、明かりを落としていく。あと数回は使えるだろうか。完全に沈黙した光打石をポケットに入れる。
「レーレイ遺跡の神秘。この目で見定めてやりましょう」
暗闇に包囲される前に、明かりである幽かな単眼を発動させ、歩を進めた。




