【1】-21 ~エピローグ~ 招魔の祈り
「中止になった模擬戦は、後日再びやり直す。各々、鍛錬を怠るなよ」
では終了だ、という教官の声で教室の空気が一気に弛緩する。教室には冥種の襲撃後も相変わらず、いや襲撃後だからか、まじめに勉強する生徒たち。その中で、一人の少女が一人せっせとノートをまとめていた。
「…………フロル」
「ん? なに、アミナ?」
「…………今日も質問。先に行く、ね」
そっか、といって顔を上げて見送るフロル。垂れてきたスカーレットの髪を耳にかけて、アミナが行ってしまったことを確認すると、再びノートと向かい合う。
招魔が精獣だという報告が上がったのか、ここ数日、教員に呼び出され質問攻めに遭っているアミナ。精獣クラスの招魔は、それだけで浄魔士の資格を得ることになるという好待遇なのだが、アミナは事実を隠し続けている。
その理由に心当たりがあったフロルは、負けてられないな、とやる気を新たにする。
「よし、できた」
授業の内容をまとめたノートを自分の鞄へとしまって、立ち上がる。フロルはそのまま教室を出ていった。
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セイレン中央病院。冥種による腐食を治療できる唯一の場所で、浄魔士御用達の病院。そこの第二種集中治療病棟の一室にて、
「……」
死んだように動かない一人の少年がいた。
安らかな顔で横たわるその姿は、しかし寝息を立てていた。身体中に巻いた包帯。素肌が出ているのは顔だけではないかというほどぐるぐる巻きにされた少年がゆったりと胸を上下させて寝ていた。
「……ごめんなさい」
そんな声が聞こえてきたのは、眠っている少年の脇に立つ女性の口から。白法衣調の衣服に身を包んだ彼女は、ここにいてはならないはずの人間だった。
「……本当に、ごめんなさいね」
そう言って、折りたたまれた紙を近くの机の上にそっと置く。そのまま病室の扉から出ようと、身体の向きを変えた。
「俺には、なんで謝られるのか見当もつきませんよ」
その声に反応して、女性は弾かれたように振り返る。そこには上半身を起こした、先ほどまで寝息を立てていたはずの少年がいた。
「起きてたの……」
驚きを長引かせることもなく、女性は水色の髪を風になびかせている少年――レヴァンの方へと数歩近づいた。机においたばかりの紙を手に取ってくしゃりとつぶした。
「ところでどうして監視者は――」
「もう今はモニターじゃないわ。『庇護者』よ」
「そうですか。庇護者はどうしてここに?」
こんな短期間で役職名が変わったことに内心驚きながら質問を放ったレヴァンに帰ってきた答えは、
「お見舞いよ?」
簡潔なものだった。綺麗な笑顔に二の句が告げなくなる。それを見て、庇護者イレーネはくすくすと笑った。今気づいたが、どこかで見覚えのある笑い方だった。
国家最高権力者に理由もなく見舞いに来てもらえるほど目立ってしまったのだろうかと、今更ながらレヴァンは思っていた。そしてきっと庇護者であるこの女性は、レヴァンの怪我を自分のせいだと思ってしまっているのだろう。そんな顔をしていた。
「今回、冥種について常識だと思われていた事柄が、ことごとく覆されちゃったわ。冥種は囮の群れを使って私の目をごまかして、襲撃時間をずらしてきたし。冥種にも知能があるというのはほぼ確定ね」
「は、はぁ……」
突然、事後報告をするイレーネに訝しげな顔をするレヴァンであったが、口を挟むようなことはしなかった。情報があっても困りはしない。
「そして、対応しきれずにいた隊員たちをあなたは救った。それを加味して、あなたにかけられていた制限を無くすことが決定したわ」
「え……?」
「あなたが魔力を放出したあの日。覚えてるわよね?」
フロルを守るために魔物として覚醒したあの時、議会からかけられた制限。
『その能力を公に明かすことなく、監視の下、表舞台に出ないこと。また、監視者直轄の教育機関に通うこと』
それが制限の内容である。当時すでに監視者であった彼女が知っていても不思議ではない。
それが無くなることなど考えもしなかった。レヴァンは驚きから覚めることなく、しばし何も言わなかった。代わりにイレーネが言葉を継ぐ。
「あなたはこの都市の救い主。それは多くの目撃者が証言できるわ。だから議会の人間にも、もうあなたを飼い犬状態にはさせない」
だから、将来は自分のなりたいものにね、とイレーネが決意すらこもった言葉をレヴァンに語りかける。その笑みに、ようやくレヴァンに現実感がやってきた。
「……でも、特に変えたいことはないですよ」
「本当に? なんでもいいのよ? 今ならパン屋さんにもしてあげちゃうわよ」
「いや、パン焼けませんし」
意外と鋭いツッコミを入れられて、イレーネが目を丸くする。しかし、すぐに笑顔に戻すと、イレーネは嬉しそうに目元を綻ばした。
「よかった……あの子とも仲が良いみたいだし」
「え?」
「なんでもないわ。あ、そうそう……」
そう言ってイレーネは、やはり見覚えのある悪戯っぽい顔をした。
「エルゼ教官が、『明後日ぐらいには訓練に来い』って言っていたわ。ふふ、愛されているのね」
「愛と鞭とは聞きますけど、教官は鞭とトンファーだから行きたくないな……」
その言葉に、イレーネが可笑しそうに笑った。その光景にすらどこか既視感があって、首を傾げるレヴァン。
しかし、すぐにその考えを振り払う。病室の外の廊下から、タタタ、という足音のようなものが近づいてきていたからだ。
その足音が近づいて、レヴァンの病室の前で止まる。少しの間があって、閉められたその扉が開いた。そこに踊るのは、スカーレットの長髪。
「お、フロ――」
やってきた幼馴染の名を呼ぼうと声をあげようとした、そのとき。同時に、フロルも信じられないといった様子で、目をむいて叫んだ。
「お母さんっ!?」
……はい?
まさにそのように心中でつぶやいた。
お母さん、というのは女性の親のこと。そして、この病室にはフロルを除けば女性は一人しかいない。イレーネである。
「……えぇっ!?」
反応が遅い、と二人から即座にツッコまれた。
「え、え、庇護者の娘がフロル? だってまだ若い……」
「ふふ、ありがとう」
「庇護者?」
役職名の変更を知らないのか――公式な発表はまだあっていないので当然だが――首をかしげて疑問顔になるフロルをとりあえず無視。それにむっとした表情になるが、レヴァンはそんなことにも気づかないほど驚愕で頭がいっぱいになっていた。
そんなレヴァンを一時的に放置することにしたようで、イレーネはフロルに話しかけた
「フロルちゃん。あの結界魔法はあなたが考えたの?」
「いえ、監視……じゃなかった、庇護者さまが考案されました」
「丁寧語はやめてよ~。……やっぱりそうなっちゃうのね」
議会の爺様たちをどうあしらおうかしら、と考えこむイレーネにレヴァンはその内容を聞かなかったことにする。そして、イレーネの悩む仕草に再び訪れる既視感。そして思い至った。妙にあどけなさを残すその仕草は、フロルが見せるものと同じだったのだ。
「それに……第三部隊が『創作魔法を操る者を見た』っていう報告を上げたのも……あなたよね?」
「それはレヴァンってことになってます」
おい、とレヴァンは口を挟んだ。
「ふふ、仲が良さそうでなにより。フロルちゃん」
「はい?」
「……好きなのね?」
途端下から顔を真っ赤にしていくフロルを見て、レヴァンは温度計を想起した。フロルが早口で何かを言い返したようだが、イレーネはしれっと流す。フロルへのイレーネの言葉が理解できず、自分は反応しないほうがいいな、とレヴァンは判断した。
「レヴァンくん」
呼びかけに答えてレヴァンがその目を見ると、イレーネは声音とは裏腹に真剣な目をしていた。自然、気持ちが引き締まる。
庇護者――いや、一人の母親であるイレーネは、レヴァンに向かって口を開く。
「この子のこと、これからも守ってあげてくれないかしら」
「もちろんです」
即答。それも単なる肯定より強い表現に、イレーネが驚いたような顔を見せる。その理由を「俺はフロルの招魔ですから」と続けた。イレーネとフロル、二人が同時に残念そうな顔をしたのは、とても印象的だった。
「?」
「気にしないで」
フロルにそう言われて、レヴァンはその通りに。考えこむのは苦手だった。
それを最後に話の種が尽きた時、シュッと音を立てて病室の扉が開いた。
全員が反射的に振り向いた時。イレーネはキョトンとして、レヴァンとフロルは驚きに目を見開いた。来たのは、レヴァンたちのクラスメイトの少年だ。ガタイのいい肉体に、薄茶の刈りこんだような髪。
「……失礼します」
無意識的に出たのか、武道場に入るときのように口を動かしたその少年。
その少年は、以前不用意な発言でレヴァンに思い切り殴られた者だった。
空気を読んだイレーネが壁際に移動して、レヴァンたちから離れた。その少年は、レヴァンの前まで来ると、
「……悪かった」
いきなり深く、頭を下げた。
「……」
口を開けたまま反応ができないでいるレヴァン。少年は身体の向きを変えて、フロルにも頭を下げた。
「アイヤネンも。悪かった」
レヴァンと似た反応をするフロル。何も口にしない二人に緊張をしたのか、その大きな体が強張った。そして続きの言葉を口にする。
「おまえには、きっと嫉妬していたんだ。浄魔士にとって役立つ力。グラフェルトが持つそれを見て、そんなふうに考えていた。しかし、それを持つことで感じる苦しみもあることに気づきさえしなかった。……アイヤネンに気付かされた」
レヴァンはフロルの方を向いた。その泳いだ目を見れば悟った。フロルはレヴァンをクラスに受け入れてもらえるよう、必死に訴えたのだろう。レヴァンは呆れたため息をついた。
「俺たちもいけないとはずっと思っていた。しかし、汚い感情をどうにか出来なかった。それだが、そんな情けない俺たちをおまえは冥種から救ってくれた……」
「そんなおおげさな」
半ば本気の言葉だったが、その少年は首を横に振る。「俺だけじゃない。みんな感謝している」と言った。
今までありえないと思っていた展開を目の当たりにして、レヴァンは返す言葉が思いつかないまま次の言葉を待った。が、
「――俺に戦い方を教えてくれ」
「……は?」
予想外の言葉に、一瞬本気で耳がおかしくなったかと思った。
「おまえが戦う姿を見て、浄魔士になるという目標がはっきりした。今更虫がいいと思われるかもしれないが、おまえとも嫌な関係のままではいたくない」
そこで少年はレヴァンと正面から向かい合った。
「……だから、仲直りのチャンスを与えて欲しい」
もともと根が正直な少年なのだろう。その瞳には影や曇が見当たらない。レヴァンが幼馴染に感じるものと同じものをそこから読み取った。レヴァンは少し考えるようにしてから、口を開いた。
「……俺は戦い方を教えない」
「……ッ」
「……レヴァン」
しっかりと言い返したその言葉に、少年が悲しそうに目を伏せ、フロルが心配そうにつぶやいた。それらを見てから、レヴァンは少年から目を離さないまま、さらに言った。
「俺は招魔だからな。魔法や浄魔士のセオリーは教えられない。戦術の指南ならフロルに請いてくれ、オストワルトくん」
バッと顔をあげた少年に不敵な笑顔を見せる。隣でフロルも微笑んだのが雰囲気で分かった。
「オストワルトじゃなくて、エンケでいい」
「わかったよ、エンケ。俺のこともレヴァンでいいから」
不敵な笑顔のまま手を差し出すレヴァン。エンケはそれにほっとしたように微笑んでから、同じように唇の端を上げて笑った。その笑い方が彼の印象に合っていた。
「ありがとう……。これからよろしく頼む」
「おう」
「うん。よろしくね……」
フロルもともに挨拶して、そして、涙を零した。
「えぇ!?」
「ど、どうした、アイヤネン!」
慌てふためく男二人に、フロルは涙を見せたまま笑った。それにつられて、レヴァンもエンケも笑みを浮かべる。その場に暖かな空気が満ちたように、レヴァンは感じた。
「では俺はこのあたりで。レヴァン、しっかり身体を治してくれ」
少し三人で話した後に、エンケがそう言って席を立った。去っていくたくましい背中を見て、レヴァンは未だに信じられなかった。
受け入れられているかは、まだ微妙なラインだろう。しかし、一歩目を踏み出すことができた。
そう思うと、レヴァンの目にも温かいものが混じった。それをさり気なく拭ってから、エンケと、ついでに帰るというイレーネをベッドからではあるが見送った。
扉が音を立てずに閉まった後、部屋に残されたのはレヴァンとフロルだけだ。
「ちゃーんと、授業のノート取ってあげてるからね」
ここに置くね、とフロルが机の上にノートを置いたので、レヴァンは嫌そうに顔をしかめた。それにくすっと笑いながら、フロルは口を開いた。
「レヴァン」
「……うん?」
「辛いんでしょ。上体寝かしててだいじょぶだから」
レヴァンは思わず苦笑した。やっぱ見抜かれていたか、と頭を掻こうとするが、包帯で厳重にローリングされていることに気づいて、パタンとベッドに背中を付ける。フロルが「この強がりめ」と笑った。
「ねぇ、レヴァン。おか――庇護者から何か聞いた?」
一転して不安そうな顔を見せるフロルに、わけわからずレヴァンは首を傾げるに留まる。
「なにかその……私のこととか」
「フロルのこと? いや、全く」
フロルが肩をがくっと落として、「話されるのは恥ずかしいけど、全く話されないのも……」となにかボソボソと言っていたようだったが、レヴァンにはハテナマークを増やすだけの結果となった。
「そういえば、アミナは?」
追及することなく、気になったことを尋ねてみると、何故か睨まれた。
「えい」
「ぎゃあ!」
人差し指で軽く身体をつつかれ、痛みに悲鳴を上げるレヴァン。
「な、なにすんだよ!」
「……なんでもないよう」
その拗ねたような行動が可笑しくてレヴァンは思わず怒りを忘れて笑ってしまったのだが、それがフロルの機嫌を急転直下。
それからしばらくフロルの機嫌直しに時間を取って、「ぷり」っと口で言ってからフロルが機嫌を直すまで三十分近くかかった。
そして、会話がなくなる。しかし気不味くなることなく、穏やかな時間が流れた。
「……綺麗」
外に目をやっていたフロルがつぶやいたのを聞いて、レヴァンもまた視線をそちらへ向ける。夕日に照らされた緑が調和を保ちつつ、主張するように光り輝いているその光景は、確かに目を奪われるものだった。
「俺、やっぱりおまえと浄法院に来てよかったと思うよ」
驚いたように注がれる視線を見ないまま、顔の横で受け止めてレヴァンは微笑んだ。
「魔法はからっきしだけど……なんだか、学校が待ち遠しい」
そう言って外を見続ける少年を見て、フロルも嬉しそうに微笑んだ。
「……それが、『楽しい』ってことだよ」
諭すようなフロルの言葉に、「……そっか」とだけレヴァンは返した。今まであまり感じたことのない感情の動きに、レヴァンは意識することなくふっと笑った。
「あのね、レヴァン」
フロルが強く意志のこもった目で、窓から望める物見塔を見上げるようにしていた。
「ん、どしたよ?」
それにつられて、レヴァンも塔を視界に収める。
「私ね、わかったの。私、周りからのレヴァンの扱いに耐えられない」
レヴァンは口を挟む事もせずに、続きを待った。フロルがすーっと息を吸い込む。そして、優しくレヴァンを見た。
「浄魔士になろう?」
その言葉に、レヴァンは目を再び塔の方へ向けた。
浄魔士にはいくつか階級がある。下の方から、「実習生」、「下級士」、「上級士」、そして上級士の内から五人まで選ばれ、塔の専属守護であり浄魔士たちの頂点――「守護士」。
「……ああ、そうだな」
自分は生きているだけで害となる人外ではない。そのことを示すためにコイツと進んで行くのは良い試みかもしれない。
しかしそれには浄魔士じゃ足りない。もっとその上、全員が自分を認めざるを得ない、その高みまで。
レヴァンは、笑みを不敵なものに変えた。そして、確信を持った。これから必ず、波乱に満ちつつも『楽しく』て仕方ない、そんな日々になることに。
時間がかかるだろう。それでもいい。でもいつかは――
「そうしよう」
自分のことを考えてくれる者と歩むのも悪くないと、そう思った。
これで第一章は終了です。
一部一部が長くてすいません。二章から気をつけています。
まだまだ未熟です。けれど、精進しますのでこれからもよろしくお願いします。




