齟齬
ぬるぬるとした自我!!!!!
イーサンはジリアンとも旧知の仲で、何の問題もなく屋敷に受け入れられた。ジリアンはエセルに詳しいことは何も聞かなかったが、青年はぜひとも事の顛末を母親に語って聞かせたかった。だが、弟妹の遊びに付き合ったり、ジリアンが忙しくしているところを邪魔しないようにしたりしていると、彼女と話す時間も取れなかった。
あるときには、エセルはジリアンがイーサンと会話しているところに遭遇した。彼らが気の置けない関係にあるのはエセルにもすぐにわかったようだ。ジリアンは家事を手伝ってくれるよう仄めかしていた――息子には言わないことであった。イーサンは洗濯だけなら構わないと答えた。
セレスティアはというと、とんでもない寝坊娘だということが徐々に明らかになっていった。朝食の時間に起きてくることはおろか、昼食に出てくるかどうかも怪しいといった具合である。必然的に、エセルの弟妹は彼女と関わる時間がなかったが、特にメリッサは意図的に彼女を避けて過ごしていた。ライザだけは、暇を見つけてはセレスティアを捕まえようと四苦八苦していた。
イーサンを連れ帰ってから数日、ロイドがルルを遣わした。エセルに宛てられたその手紙には、彼が大発見をしたので、すぐに三人に来てほしいという旨が書かれていた。エセルはできるだけ早く行くと返信したが、連絡役にされるのはいささか不満らしかった……。
何はともあれ、エセルは何とか午前中にセレスティアを起こし、その必要もないのにイーサンの顔色を窺いながら、二人を城へと連れ出した。前回とは打って変わって、門番は彼らを待ち受けており、滞りなく中へ通してくれた。玉座の間に入ったとき、ロイドは王たる者が座るべき椅子の前に立ち、物思いに耽っていた。
「じゃあ、国王はどこに行ったんだ?」
唐突に彼はそう切り出した。直前まで頭の中で独り言ちていたのだろう。彼は振り返り、知古の姿に目を細める。
「やあ、イーサン。おかえり」
「……ええ」
そう恭しく頭を下げるイーサンから抜けた粗暴さにエセルは驚嘆した。思わずイーサンの顔を見つめていると、隣でセレスティアが開口した。
「問いの答えはあるのかしら」
ロイドは微笑むだけに留め、軽快な足取りで歩き出した。三人が立ち止まったまま彼を顧みると、彼は緋く瞳を輝かせ、引き寄せるように扉を開いた。廊下に立っていた兵士がぎょっとしながら彼の行く手を阻む。よく見ると、それは先日の気の良い男であった。
「いやあ、駄目ですよ、ロイド卿」
「君は知らないんだろうけど、僕は一人のときはあの上の窓のところから勝手に出歩いているんだよ」
兵士が困ったように頬を掻く。ロイドはわざとらしくため息をついた。
「もう盤上遊戯に付き合ってやらないよ、ヒュー」
「あれに付き合ってるのは俺のほうですよ。でも、まあ、良いでしょう。他の奴らには内緒にしてくださいよ」
兵士はあっさりと引き下がり、大きく欠伸をした。ロイドが颯爽と先へ進み、三人は有無を言わさず後に続くしかなかった。彼らは手入れを怠っているらしい城の庭園に入った。奥に進むほど、植物は不愛想にうなだれ、ひれ伏すように彼らの道を開けていた。庭園の最も密やかな一角に、こじんまりとしているがやたら荘厳な建造物が見えた。
「あれだ」
ロイドが言った。エセルは手をかざしてそちらに目を凝らした。
「何ですか?霊廟とか?」
「ちょっと、行って見てきてごらんよ」
「わかりますよ、何かあるんでしょ」
「まあ、そう言わずに」
ロイドがいたずらっぽく後退り、手で前を指し示す。エセルは不承不承前進した。が、特に何もないように思われた。青年はつい振り返った。
「まさか、何もないんですか?」
「まあ、そうだね」
エセルはロイドの答えにそれなりの不信感を抱きながら後ろ向きに数歩進んだ。そのとき、後頭部が何かにかち合った。想定外の衝撃に驚いた拍子に、エセルは危うく転びかける。
「……とまあ、こんな感じで、この先に進もうとしても、見えない障壁に邪魔されるみたいなんだよ」
ロイドは平然と説明してのけた。エセルは不満げな顔で彼の傍に戻り、当てつけのように頭を擦った。セレスティアが励ますように彼の肩に手を置く。
「それで、どうしたら進めるようになるの?」
「もちろん、鍵が必要だったんだ」
と、ロイドは懐から懐中時計を取り出す。イーサンが後方でため息をついた。
「それは、昔からあなたがお持ちの……」
「よく知っているね。僕が君の主人だったことはないんだけど」
イーサンは再び深く息を吐き出した。どうやら、彼らの間には記憶に齟齬があるらしい。ロイドは懐中時計を開き、さらに中をいじくり回した。そうして、中から小さな石板を取り出す。それは精巧な彫刻が施されたもので、特別な一品であるのは疑う余地もない。彼はその石板を太陽にかざした。と、辺りが眩い光に包まれる。エセルは思わず呻き声を上げたが、他の面々は黙っていた。光が収まるのも待たず、ロイドは先へ足を踏み出す。イーサンが彼に続き、エセルも同じようにしようとした。が、セレスティアが立ち止まったまま動かないのに気付き、振り返る。
「どうかした?」
「いえ……何だか、緊張して」
「来たことがあるんじゃないか?」
「どうかしら。私、懐中時計って苦手なの。気付いたら割れているから」
彼女は言い、何事もなかったように先に進んだ。エセルは苦笑した。
霊廟の前に立ったロイドは、次に首飾りを引き出した。それには指輪が下がっており、彼はその指輪に輝く緋色の宝玉を霊廟の扉にかざした。扉の中央でくすんでいた宝玉が呼応して澄んだ閃きを放つ。巨人の鼾のような轟音が、扉が開き始めたことを彼らに知らせた。のろのろと入り口が開くのを待つ間、ロイドはからかうようにイーサンを見やる。
「この指輪にも見覚えが?」
「ええ。いつも人差し指につけておられたでしょう」
「不正解だね。僕は指輪なんかつけない」
淀んだ風が中から吹き出し、彼らの身体を撫でていく。エセルは身震いしながら、横目でセレスティアの様子を窺った。彼女は特に動揺していないようである。そう装っているのか、本当にその通りなのかは判然としない。
ようやく音が収まると、ロイドは逸る足を踏み出して霊廟の中に入った。外装の割に中は窮屈で、三人は入り口から中を覗くに留めた。そこには重い棺が安置されていた。
「誰の棺かしら」
「良い質問だ、セレスティア」
と、ロイドは棺の蓋を押し開ける。そんな墓荒らしのような真似をしてもいいのか?蓋はあっさりと開き、重々しい音と共に床に落ちた。埃が舞い、彼らは程度の差はあれ咳き込んだ。埃が落ち着いたときに目に飛び込んできた光景に、エセルは思わず息を呑んだ。
「何だこれ……」
「もちろん、遺体さ。頭はないけど」
棺の中に入っていたのは、ロイドの言う通り、頭部の欠けた人間の死体だった。だが、最も奇妙なのは、その身体や衣服が一切腐っておらず、今にも起き上がりそうに見えることだ――当然、頭さえあればの話だが。
「僕の見立てでは、これがかつての国王なんだ」
「でも、本当にいたかどうかもわからないのに」
エセルは相変わらず懐疑的にもごもごと呟く。他人のことはすぐに信じるくせして、理屈は立派に疑ってみせるというわけである。
「いたとも。そうじゃなきゃ何も面白くない」
「面白さの問題じゃないですよ」
「いずれにせよ、高貴な身分の人なのは間違いないわ。城内に眠っているほどだし」
セレスティアは後方からほとんど関心がない様子で言った。彼女は他の面々から離れて立ち、ろくに遺体を確かめようともしていなかった。
「その通り。肝心なのは、この明らかに異様で重要らしい人物の記録がどこにも残っていないことだよ。まず僕らが解き明かすべき謎は、彼の抱える秘密さ」
こればかりはロイドが正しいと認めざるを得ない。あくまでも考古学的な観点からの話であって、彼の論理を擁護するつもりは毛頭ないが。
「記録が残っていないなら、どのように秘密を明らかにするおつもりですか」
興奮も冷めもしていないイーサンが続きを促すと、ロイドは待ってましたと言わんばかりに首を回し、エセルに目配せをする。
「そこで、エセルの出番というわけだ」
「俺?何でです?」
「だって、君がセレスティアを現世に連れ戻したんじゃないか。彼のことも同じようにできれば、それ以上のことはないよ」
「ロイドさん、それは俺じゃなくて天の焔の仕業ですよ」
せめて御業と言ったらどうだ。
「でも、その天の焔とやらに通じているのは君だけでしょ?」
「向こうが通じてきただけで、俺からは何とも……」
「確かに。何か試すまでもないね」
ロイドが肩をすくめる。エセルはよくわからない大役を回避したと思って束の間安堵した。が、すぐさま流れた沈黙と、イーサンからの刺すような眼差しで異変に気付く。青年は嫌味の意味を理解し、それでも当惑したまま頭を掻いた。
「えー……お願いしたら出てきてくれるかもしれませんけど」
「やってみてよ」
「ロイドさんがお願いしてもいいんじゃないですか?」
仕返しのつもりなのか、エセルはそう軽口を叩いた。だが、ロイドのほうは真面目腐って頷く。
「うん、そうかもしれない。――天の焔!少し僕の頼みを聞いてくれないかな?」
彼の声は朗々と辺りに響き渡った。静寂がその音を追いかける――そして、あの牛の鳴き声がその後を。それは遠方から徐々に近づいてきて、やがて彼らがはっとして顔を上げるほどはっきりと、その麗しい声を聞かせた。上空、斜陽の作り出した道筋を辿るように、彼女が下りてくるのが見えた。その動きはほとんど静止しているかのように見えたが、気付けば天の焔は目前まで迫っていた。彼女は牛が大地に降り立つと、おもむろに立ち上がって一同と相対した。
「何だ、作り話じゃなかったのか」
ロイドが呟く。彼の目は好奇心に見開かれていた。天の焔は口元を引き結んでいる。二人の背丈は同じくらいだった。
「あなたは瞠目すべき人であるようですね、ロイド」
「お褒めに与り光栄だよ。だけど、一体何のことかな?生憎、心当たりが多くてね」
天の焔はロイドの軽口の相手はせずに、霊廟に目をやった。
「あなた方は彼を目覚めさせなければなりません」
「君がそうできると聞いているけど」
「ええ。ですが、私は手出ししません」
天の焔の澄ました面持ちに目をやり、エセルは思わず顔をしかめる。
「言うと思った……」
「この世界の均衡を取り戻す責任があるのはあなた方です」
彼女は咎めるように青年に向かって言った。彼は懇願するような顔を作ったが、上位存在らしいこの女が人間ごときのおねだりなど聞いてくれるはずもなかった。だが、だとすれば、何故ここに姿を現したのだろう?
「それなら、僕らに彼を目覚めさせる力を与えてくれるんだろうね?」
「その通りです、ロイド」
天の焔は右の拳を持ち上げ、ゆっくりと指を開く。すると、そこに手のひらに収まる大きさの黄金に輝く角灯が現れた。彼女はそれを取り、エセルに差し出した。
「これをあなたに、エセルレッド」
「俺に?」
「あなた以外の者であってはなりません」
「何でまた……」
エセルは答えを求めて呟いたが、天の焔はその言葉を無視して続けた。
「世界の歪みを正すためには、あの戦いに命を落とした者たちの存在が必要です。彼らの魂が眠る場所を探し、その角灯をかざしなさい。彼らは一片の記憶を携えて蘇るでしょう……あなたがあの男への恨みだけを忘れていなかったのと同じように」
と、彼女はセレスティアを見やる。セレスティアは頷きもせず黙っていた。彼女たちの間に冷ややかな視線が交わされたが、エセルはそこに渦巻く何かに注意を払わなかった。
「エセル、試してみたら?」
ロイドがしげしげと角灯を眺めながら言う。それももっともだったので、エセルは女たちに背を向け、霊廟に足を踏み入れようとした。すると、天の焔が振り返った。
「それはできません」
「話が違うんじゃない?」
「何も違いません。彼の魂はここには眠っていないのですから」
「つまり、まずはそれを探さないといけないのか。こつでもあるのかな?」
「あなたなら何か思いつくでしょう」
ロイドは思わず乾いた笑いを漏らした。私に言わせれば、彼と天の焔はその自分勝手さでよく似ているのだが、まあ、同族嫌悪という奴だろう。天の焔は牛の元に戻り、その背に乗った。
「彼が目覚めるとき、世界は大きく動き出すでしょう」
面々は促されるように霊廟に目をやった。誰の瞳にも、世界が動くことへの期待など映っていなかった。正体がわからないものが多すぎた。
ロイドはふと天の焔のいた場所を顧みた。彼女とその牛はもうそこにいなかった。彼は含み笑いをして頭を掻く。
「思いついてみせるさ。ご期待に沿ってね」
止まっていた時が動き出したように感じられた。息を潜めて――きっと無駄だと知っていたことだろう――佇んでいたイーサンが深くため息をついた。
「……生気を一切感じなかった。あれは一体……?」
「存在しているのは確かだ。それがわかれば十分だよ」
「彼女、探りを入れているようだったわ」
セレスティアが呟くと、エセルは呆けた顔を彼女に向けた。
「そう?」
「気のせいかもしれないけれど」
彼女は目線を落とした。彼女特有の不機嫌が舞い戻っていた。エセルは追究を諦め、角灯を検め始めた。何の変哲もない、骨董市に並べられていても値切られるような代物に見える。彼の気付かぬ間に、ロイドが観察に加わった。
「何はなくとも、試してみないとね、エセル?」
「本当に使えると思います?」
「あんなに仰々しくごみを渡してはこないよ」
「それはそうですけど。でも結局、彼女の言う、魂が眠る場所っていうのがわからないことには試しようもありませんね」
「それを見つけてくれそうな人に心当たりはあるんだ。名前も風貌も知らないんだけど」
なるほど、まさに彼女の期待通りというわけだ。わざわざロイドの前に現れたのも、ただ頼みに応えてというだけのことではないのかもしれない。ロイドの言葉を聞き、イーサンが機敏に顔を上げる。
「まさか、エッタの霊媒師のことではございませんね」
「そのまさかさ!君ってば、本当に勘が良いんだから。そういうところが好きなんだよ」
「はあ……」
「まあ、そういうことだから、二人ともエッタに向かってくれないかな?」
「俺とセレスティアですか?二人で?」
エセルは若干渋い顔をして聞き返す。イーサンの登場でようやく彼女との気まずい関係性から抜け出せると思っていた矢先に、彼をロイドに横取りされては困るのだろう。
「うん。イーサンには別件で頼みがある」
「俺は使い走りじゃありませんからね……」
「僕は立って待っている者が役に立つとは思わない主義でね。やることがあるだけましだと考えてほしいな。セレスティア、異存は?」
「ないわ。手がかりがあるなら追いかけましょう」
ロイドが彼女にばかり意見を問うことを不満に思っても、エセルは努めて顔に出さないようにした。彼は早くも常軌を逸した者たちに振り回されることに慣れ始めていた。
*
エセルは悩んでいた。エッタでの滞在が長引く可能性を踏んでの支度を進めながら。彼にはセレスティアという女が何を考えているか見当もつかなかったし、そのために彼女と上手く折り合っていける気がしなかった。他人と仲良くすることがこんなに難しいとは思わなかった。彼は久々に開いた手記に書きつけた。友人がいないと苦労するだろう?
手記を抽斗にしまおうとして、彼は紙切り小刀に目を止めた。装飾の美しさと意外な安価さに惹かれて購入したものだったが、彼に封筒が届くことは稀で、ほとんど使ったことがなかった。彼はそれを手に取り、その諸刃を観察した。皮膚が傷つくほど鋭くはない。彼はその先端を自身の腕に突き立てた。だが、思い切って刺してみるほどの度胸はなかった。テオに斬りつけられたときに無傷で済んだ謎を解き明かすのは、彼一人では難しいだろう。
そのとき、誰かが部屋の扉を叩いた。今の軽い音を鳴らすのはメリッサだと決まっていた。エセルは小刀を急いで抽斗に戻した。応えを聞いて部屋に入ってきた彼女は、エセルが椅子に座っていたので、代わりに寝台に腰掛けた。
「また出かけるの?」
「うん。エッタに行くんだ」
「白狼族は怖いって聞くわ。それから、人間を嫌ってるとも」
エッタは白狼族の暮らす土地だ。かつては人間も近くに住んでいたが、今では白狼族が接近を許さないとか。だが、件の霊媒師は人間なので、いざこざが絶えないようだ。他にも問題はあるらしいが、私は亜人に興味がない。さて、椅子の背もたれに頬を預けるエセルは不安げなメリッサの眼差しを受け、できるだけ気丈に見えるように口角を持ち上げた。
「できるだけ近づかないようにするさ。目的の人が見つかったら、すぐに帰るし」
「……彼女と行くのよね?」
と、メリッサは視線を落とす。最愛の兄の連れがあの不愛想で変わり者の女とあっては、兄を案じて気落ちするのも無理はなかった。セレスティアがもう少し可愛らしく、難のない少女だったなら……それはそれで気を揉んだだろうか。エセルは苦笑して頬を掻いた。
「まあね……そこが問題なんだよ」
「どうして?」
「二人でやっていけるかどうか……どうも噛み合わなくて」
「そうでしょうね」
そう言ってから、メリッサは他意はないと言いたげにはにかんだ。エセルもわかっていると言いたげに同じ顔をする。それから、彼はいたずらっぽく表情を輝かせて座り直した。
「メリッサ、ついてきてくれよ」
「私?駄目よ、私なんて彼女に嫌われてるわ」
「いや、多分だけど、嫌ってるわけじゃないよ」
「彼女がそう言ったの?」
「そうじゃないけどさ。理由がわかった気がするんだ。つまり……」
言いかけて、エセルは口を閉ざした。彼の言わんとした理由というのは、メリッサが父親によく似ているということだろう。だが、そのように言われることをメリッサが良くは思わないことを、彼も忘れていたわけではなかった。どれだけ下卑た男であっても、彼女は父親を心の底から愛していたけれども。
「つまり、何?」
「えっと……やっぱりいいや」
「あら、私には何にも良くないわ。心当たりがあるなら教えてよ」
「大したことじゃ……」
「言うまで出ていかないわよ」
メリッサは寝台から腰を上げ、エセルの机にもたれかかるようにして立った。エセルは妹の頑固さに困り、何とも言えない顔つきで彼女を見上げる。しばし穏やかに睨み合った末、とうとう彼は白旗を上げた。
「気を悪くしないでほしいんだけど」
「しないわ」
「その、セレスティアが君に妙な態度を取るのは、君が、ほら、似てるからだと思うんだ……つまり、テオに」
「よくわからないんだけど……彼女がお父さんを知ってるってこと?」
「詳しくは知らないけど、昔いざこざがあったみたいな。この前、あいつの顔を見て彼女がそれを思い出してさ」
「じゃあ、お父さんに会ったのね?どこで?私、てっきりお父さんがまたカルツァにいるものだと……待って、エセル、まさかカルツァに行ってただなんて言わないわよね?あの強面の人を連れ帰ったときのことだけど?」
メリッサが表情を曇らせて詰め寄った。エセルは失敗に気付いて目を泳がせる。彼が何か言い訳をしようと口を開く前に、その顔に書かれたことをすべて読み取ったメリッサは愕然として立ち上がった。
「信じられない!どうしてそんな危ないところ……そうだわ、ロイド卿に頼まれたってことよね?何て人かしら!」
彼女は今にも家を飛び出してロイドに文句をつけにいきそうに見えた。エセルはすぐに彼女の肘を優しく掴んだ。
「必要なことだったんだよ。それに、俺もセレスティアも怪我はなかったし」
「運が良かっただけなんじゃない?ああ、あなたってどうしてそんなに危機感がないの?」
「ごめん……?」
エセルはとりあえず謝罪の言葉を口にしたが、その顔つきを見れば、妹にそこまで言われる筋合いはないと思っているのは明らかだった。誇りの問題に違いない――少なくとも、彼は自分で道を選んでいるつもりだろうから。メリッサは当惑する兄を苛立ったように眺めていたが、ふと思い立って扉に向かった。
「決めたわ。私、あなたたちについていくから」
「え?」
「あなたの言う通りよ。二人でやっていけるわけないじゃない。共倒れまで秒読みだわ!」
そう言い捨て、彼女は勢いよく扉を開け放って廊下に出ていってしまった。エセルは慌てて後を追ったが、彼が部屋を出たときには、彼女はすでに階段の下に姿を消していた。
*
ちょうどその頃、セレスティアは居間にいて、ジリアンとイーサンと共に茶を楽しんでいた。異様な集まりだと言う他ないが、それもふらりと姿を現した彼女をイーサンが呼び止めたせいだった。興味本位だろう。私だって、機会があれば彼女をこの場所に招待したいよ。
「――だから、あの男が何か私たちに必要な鍵を握っていると考えるのは真っ当だわ」
彼女は言った。彼らの話題はもちろん、天の焔がもたらした使命のことだった。中でもセレスティアが気にしているのは、やはり彼女が何故か憎んでならないテオという男である。彼が実質的にジリアンの夫であるということは気にも留めていないらしい。
「彼はただのどうしようもない人間です」
「どうしようもないことには同意するが、間違いなくただの人間ではないだろう」
ジリアンのささやかな抵抗をイーサンは軽くあしらう。物問いたげな彼女に対して彼は続けた。
「あの町で何年も首位を独走し続けるなどという芸当ができるのはおかしい」
「あなただって、平気であそこに住み着いていたのでしょう」
「俺は悪魔だが、奴は違う」
「ただの人間でもそうでなくても、警戒するに越したことはないわ。そうでしょう」
冷ややかな調子でセレスティアが言うと、口論していた二人は閉口し、片方は渋々と、もう片方は断固として頷いた。彼女はゆっくりと茶を飲み干してから言う。
「その場合、気になるのはあの子だけれど」
「……メリッサですか」
ジリアンがため息をつく。セレスティアは物憂げに茶菓子を齧った。
「ええ。彼女の風貌はどうしても私の不安を煽るの」
「彼女こそ、何ということもない娘じゃないのか」
「悪魔ですらありません」
「わかってはいるけれど……」
そのとき、メリッサが姿を現した。彼女はようやく見つけたセレスティアに対して思わず歓喜の表情を浮かべたが、無色の反応が返ってくるのを見て顔色を暗くした。ジリアンが意外なものを見るように目を細める。
「どうかしましたか、メリッサ?」
「セレスティアさんに用があって」
メリッサは勢いに任せてセレスティアに歩み寄った。相手が警戒に身を硬くするのにも気付かず、彼女は言う。
「私も行きます」
「……どこへ?」
「ああ、えっと、エッタに。エセルと……」
「メリッサ!」
ジリアンが素早く口を挟んだ。メリッサはつい委縮し、母親に懇願するような眼差しを向けた。
「だって、お母さん、エセルなんて危なっかしくて駄目よ。セレスティアさんだって、何と言うか……とにかく、二人じゃいつ酷い目に遭うかわかったものじゃないわ。私、本気で言ってるのよ」
「あなたが行っても仕方な――」
そう言いかけたジリアンは息が詰まったかのように言葉を切った。イーサンもその無表情を険しくして気配を殺している。セレスティアだ――彼女が身を凍らせるような殺気を発しているに違いなかった。だが、これまで単なる悪意にさえろくに晒されたことのないメリッサは、まるで異変に気付いていないように見えた。ようやくジリアンとイーサンが肩の力を抜いたとき、無垢な娘は突然訪れた静寂にただ首を傾げていた。
「ねえ、私が行っても確かに仕方ないかもしれないけど、少なくとも二人の面倒は見れるでしょう、お母さん」
「……ええ」
ジリアンは茫然自失として返事をした。メリッサは良い返答が続くことを期待してセレスティアに目を向ける。
「問題なさそうね。どうかしら、イーサン」
「おそらく」
彼らの意味していることは当然メリッサとは食い違っていたが、それを知る由もないメリッサは花開くように笑顔を見せた。
「じゃあ、ついていってもいいんですか?」
「好きにして。邪魔しないのなら、何人ついてきても同じことだわ」
「邪魔にはなりませんわ。家事ならお母さん仕込みですから」
「……おかしな子」
通常通り冷ややかな調子で言うセレスティアの眼差しは、若い娘らしい柔らかさなど微塵も抱いていなかった。ただ、敵対するならばいつでも討つという確固たる意志と、無関心の極まった空白が、代わるがわるその表層に表れて、彼女自身を苛んでいるように私には思える。
諸般の事情により名義を変更した人間
名前の由来はメルちゃん人形




