生き物は変わらない
自我の時間
その瞬間、エセルは妙に機敏だった。追い詰められた獣のごとく、感覚は研ぎ澄まされ、思考は一本道に明晰。彼はなすべきことを完璧に理解していた。天の配剤とも言うべきものかもしれない。彼は導かれていたと、私は敬虔に信じようか。
エセルは先の汚れた鋭利な石を握り直した。汗で滑らせるわけにはいかなかった。彼は風に吹かれる草のように揺らめく屍たちを押し退けた。その壁は簡単に崩れ去り、彼に道を開けた。サラは苦悶に顔を歪めながら、向かってくるエセルを鋭く睨んでいた。彼は空いている手を伸ばし、彼女の首を掴んだ。サラが抵抗しようと手を持ち上げる前に、エセルは彼女の桃花の瞳を石で押し潰した。
サラは悲鳴を上げなかった。その代わり、彼女は緋い涙を流した。それはそれは静謐に、また美麗に。彼女は器量の良い個体ではなかったけれども、私は不思議と彼女に魅了された。彼女は震える手をエセルの頬に添えた。
「やって、くれたね……」
エセルは恐怖したように凍り付き、かろうじて石から手を離した。見た目よりも重い音を立てて石が地面に落ちる。サラは彼の手がゆっくりと下ろされるのを見守った。
「良かったじゃん。これで、もう私の群れは一族を襲えない。でもね、残念でしたー。私はまだ動けるの。こうなったら、私一人でも、やってやるんだから……あんたのことも、時間かけて殺してあげる」
そんな恨み言を聞きながら、エセルはじっと動かなかった。彼の瞳は何故だか潤んでいた。彼の口は言葉を探して微かに動き、絞り出すように息を吐き出した。
「……ごめん」
ついに彼は言った。サラの眉がぴくりと動く。
「は……何が?」
「わからない。でも、俺――」
エセルが何か言いかけたとき、彼らを影が覆った。エッタが傍に立ったのだった。セレスティアのことはもう地面に下ろしていた。白狼族の始祖は迷いなく、サラのもう一方の目を鋭い爪で掻き潰した。それをもってサラは白狼の力を失った。エセルは今にも倒れそうな顔つきでエッタを見上げた。
「何で……?」
「儂はこやつを同胞として認めん」
エッタは厳粛に言った。エセルは言葉を失い、再びサラに目をやる。彼女は笑っていた。まるで、他にすることなどないとでも言うかのようだ。
「何にも見えなくなっちゃったじゃん。どうしてくれんの?ルシアがくれた命だったのにさー」
「くだらんことに時間を使うからそうなる」
始祖は吐き捨てるように言ってから、青年に向き直った。
「おぬしもこやつを殴りつけるくらいのことはするかと思えば、よもや泣き出すとはな。呆れたものよ」
「泣いてないよ」
「好きなように言うがいい。――して、そろそろ説明してくれんかのう。儂は何故ここにおる?記憶がとんとないものでな」
「後にしてくれないか?ちょっと、疲れた……」
エセルは地面に座り込み、陽光を顔に受けた。ようやく緊張が解けつつあった。深く息を吸い込み、彼は顔を下げた。そこで、サラの姿がなくなっていることに気付く。
「あれ、サラは?」
「逃げおったか。まあ、あれでは悪さもできぬだろう。捨て置け」
エッタはさもどうでもいいと言いたげに欠伸をし、エセルの横に腰を下ろした。また彼女の腹が鳴った。
「腹が減ったのう」
「記憶にあるのって本当にそれだけ?」
「何を言うか。空腹は感じるものであろう?」
エッタが訝るように言い、エセルは渋い顔をした。
「じゃあ、何か覚えてるのか?」
「無論、儂の子らのことよな。儂が守るべきもの……忘れようと思って忘れられるものでもないわ。まあ、はっきり言って、あれらの名前まではわからぬが」
と、エッタは辺りに転がっている屍に目をやった。その視線を追い、エセルは物思いに耽る。つい先ほどまで彼を襲っていたものたちは、いかに遠くともエッタの血縁なのだ。彼には妙な気がしたに違いない。
「でも、絶対に忘れないくらい、一族のことは大事なんだな」
「何、当たり前のことを抜かしおる」
エセルが思い出したのは、セレスティアのことだった。彼女が携えてきた記憶とは、テオに対する憎悪だけ――それは、あの男の存在がどれほど重要かを示すものでもある。彼女の運命において、あの男は決定的な何かを握っていたはずだ。一体それは何だったのか?エセルの想像も及ばないほど、テオが強大な存在だとでも?
「セレスティアは……いや、何でもない」
彼は思うままに口を開こうとして、やめた。事情を知らないエッタにその話をしても仕方ない。彼女は身じろぎもしないセレスティアを振り返った。
「ふむ、この娘のことか。こやつ、どうも……」
と、眠る娘の身体に顔を近付ける。エセルは思わず顔を引きつらせた。
「え……っと、何してるんだ?」
「うむ、やはり、匂いに覚えがあるのう」
「何か思い出せないかな?」
「それしか言わんのか、おぬしは。名は何と言ったかのう?」
「セレスティアだよ」
「おぬしの名よ」
呆れたような顔を向けてくるエッタに、エセルは戸惑って苦笑した。彼の名も知らなかった人物に背中を預けていたとは。
「ああ、俺はエセルだ。エセルレッド」
「そうか、小僧。おぬしからは……懐かしさを微塵も感じぬな」
エッタは言い、軽く鼻を鳴らした。少なくとも、仲を深めようとしているようには見えない。まあ、白狼族などというものは固より余所者嫌いであって、彼らをよく知らない人間が立てる、簡単に尻尾を振るであろうというありがちな予測は、いの一番に挫かれるのが常なのだった。エセルもまた、別段外向的な性格でもなかったので、気に留める様子もなく肩をすくめた。
「懐かしいも何も、初対面だからな」
そう聞いて、エッタは再び鼻から短く息を吐き出した。馬が合わないと思ったのだろうか。ぎこちない沈黙が流れようとした。が、そのとき、セレスティアが小さく呻いた。彼らははっとして彼女を見守った。彼女はぱちりと目を開け、傍に座るエセルを不思議そうに見上げた。それから、静かに身を起こし、エッタに目をやった。束の間、私は彼女がまた記憶を失ったのではないかと思った――ほんの少し残念なことに、杞憂だったが。
「エセル……」
「大丈夫か?」
「少し頭が痛むけれど。何があったの?」
「君、急に倒れたんだよ。どうなることかと……でも、あの群れのことは心配ない。サラはもうあの力を使えなくなったから」
「あなたがやったの?それとも……」
セレスティアはゆっくりとエッタに目線を移した。状況が飲み込めないらしい。自分が肝心なときに倒れ、しかもその間に何もかもが終わっていたことが信じられないのかもしれない。エッタはエセルのほうに顎をしゃくった。
「その小僧の仕業よ。何が何やら、儂にはようわからんがな」
「サラはどこ?」
「逃げた。けど、両目が見えないから、何もできやしないよ」
エセルが楽観的に答えると、セレスティアは顔つきを強張らせて彼を見つめた。
「……とどめを刺すべきだったんじゃないかしら」
「大丈夫だろ」
「どんな敵でも、甘く見るべきじゃないわ」
「セレスティア……」
また始まった。そう言いたげな顔をして、エセルは彼女を宥めすかそうと、その肩に触れた。その途端、彼女はまるで刃物を突き付けられているかのように身をすくめる。
「私に触らないで」
彼女は冷徹に言った。エセルはぎょっとしながら手を引く。
「ごめん」
セレスティアは答えず、ため息をつきながら立ち上がった。エセルは思わずエッタに目を合わせたが、エッタは興味なさげに首を振るだけだった。彼は寄る辺なく遠くの景色に目を移す。そこに、一匹の白狼と、その背に乗る二人分の人影が見えた。
*
ジリアンは日課であり趣味である台所の掃除をしていた。今朝、ロイドとした会話を反芻しているらしい。その鍋を拭くのはそれで五回目だよ。
私には手に取るようにわかるのだが、彼女は今すぐにでも未来を見たいのである。自らの意思で力を使えば、ある程度は的を絞って運命を知ることができるのだ。つまり、腹を痛めて産んだ可愛いエイブラハムの辿る道を問うこともできなくはない。勇気があれば、彼女はとっくに喜んで能力を使っていただろう。
時に、私は思うが、運命が本当に決まっているとして、それから目を背け続けることに何の意味があるのか?たとえ未来を見ないことを選んだとて、我々はいずれ必ず未来に追いつくものである。どうせ現実で運命とやらに直面するのなら、先に知ってしまうほうが気が楽ではないか。私はてっきり、ジリアンもそういう思考の持ち主だと思っていた。実際、彼女はエイブラハムが捕らえられる日が来ることをはるか前から知っていたのだし、そうなるとわかった時点で、落ち込める分は落ち込んだのだ。今、何が彼女の中で違うのか、私には見当もつかない。
ああ、だが、ついに彼女は覚悟を決めたようだ。握りしめていたせいで皺だらけになった布巾を置き去りに、彼女は自室に引き上げた。能力を使うと、場合によっては失神してしまうので、子どもたちの目につく場所から離れなければならなかった。彼女は寝台に腰掛けると、少し上を向き、目を閉じた。
ジリアンは数十秒そうしていた。何が見えているのか、私にもわかったら良かったのに。いや、いずれにせよ起こることなのだったか。
彼女は激しく息を吸い込んで開眼した。一瞬見えた緋が、氷のような薄青に戻る。予想外のものを見たのか?少なくとも、彼女の恐れていたものではないだろう。もしそうだったら、彼女は声を立てずに涙を流しただろうから。しかし、何だったのだ?驚いている、驚いているのだな!せめてそれがいつ起きるのかだけでも、私に教えてくれはしないか?いや、連絡は取るまい。私たちは互いに不可侵であるべきだ、この縁にもかかわらず。
*
「じゃあ、もう大丈夫なのね?」
事の顛末を聞き終え、メリッサは安堵して言った。エセルは少々無理に微笑む。
「そういうことになるかな……それより、メリッサ?」
「なあに、エセル?」
「苦しい……」
「黙ってて。私、今本当にほっとしてるんだから!」
彼女はさらに強く兄を抱擁してから、ようやく両手を下ろした。エセルは大袈裟に息をついてから、アントの陰で小さくなっているアリステアに目を向けた。
「よく連れてこれたな」
「あの子にも色々あったのよ。それにしても……」
メリッサは声を落とし、エセルの耳に口を寄せた。
「あなたたち、どうしてこんなに剣呑としてるの?」
「してないよ」
「どうかしら。セレスティアったら、さっきからずっと地面とにらめっこしてるわよ」
「寝起きで機嫌が悪いんじゃないか?」
エセルはささやかな傷心を悟られぬよう、素早く妹から目を逸らした。それに気付いてか気付かずか、メリッサはエッタに目線を移す。
「そっちの大きな白狼族の人は?」
「腹が減ってて機嫌が悪いんだ」
「ふーん、そう。何だか威厳のある人だけど、何者なの?助太刀に来てくれたとか?」
「そんなところだ。後で話すよ」
エセルはそう誤魔化した。この地までついてきたはいいが、結局、メリッサは天の焔のことも、真の死者蘇生のことも、何一つとして知らされていないのだ。エセルとしては、できれば彼女に母親の言いつけ――質問はなし――を守ってほしかった。
一方、セレスティアは黙りこくり、アントが屋敷で手に入れた緋い石の説明をするのを聞いていた。彼女が相槌すら打たないので、アントは不審に眉をひそめた。
「あんた、聞いてるのか?」
「ええ。それで?」
彼女は目を上げ、無表情に続きを促す。アントは数秒その眼差しを正面から受け止めたが、冗談の一つを言おうにも、彼はすっかりくたびれていた。彼はため息交じりに言う。
「……まあ、要するに、この石の正体はわからないってことだ」
セレスティアは小首を傾げ、アントが差し出す石を観察した。
「割れているわね」
「メリサの奴が落としちまってな」
「サラが動くために必要な石……」
彼女は口の中で呟き、ふとエセルを振り返った。彼女の様子を窺っていたエセルは慌てて目を逸らしたが、彼女はそれも意に介さなかった。
「エセル、サラが突然動きを止めることはなかったかしら」
「え?ああ、あったよ。何でそれを――」
彼が質問を終える前に、セレスティアはアントから石をひったくり、それを思いきり地面に叩きつけた。今度こそ石は砕け散る。アリステアが小さく声を上げた以外は静かなものだった。囁くような風が場を和ませようとするかのように吹いた。一同は呆気に取られてセレスティアを見つめた。
「自棄でも起こしたか?」
アントが戸惑いを隠しきれずに尋ねる。セレスティアはさらに踵で大きな破片を砕いた。
「いいえ。サラが死してなお動いていたのは、この石のおかげよ。だから、粉砕するに限るの。それだけ」
「セレスティア、言っただろ?サラはもう何もしようがなかったんだぞ」
エセルはいよいよ苛立って語気を強めた。平和主義者め。セレスティアは悪びれず、むしろ懐疑的に彼を見据える。
「どうせ死んでいたのよ。死人は眠らせておくべきだと思わないのかしら」
「君って……」
彼は何か糾弾の言葉を考え出そうとしたが、思いついたにせよ、それは喉に引っかかるばかりだった。セレスティアは真っ向から彼の罵倒を待ち受けていたのだけれども。その横で、エッタがいかにも不服そうに呻く。
「女々しいことを言う暇があったら、儂に何か食えるものを持ってきてほしいのう……」
アントがついでに話をずらそうと画策して、しかしさほど興味はない様子でエッタを見やる。
「あんた、そういや見ない顔だが」
「儂か?さっき起きたところだからな。名はエッタ。おぬしの祖先よ」
「エタ、ねえ……吠えたのはあんたか」
ほう、存外反応が薄いことだ。彼らの治める大地の名を名乗っているというだけで驚きに値するだろうに、彼は値踏みするような目を始祖に向けている。彼女から何かただならぬものを感じているのだろうか?亜人たちは我々人間と比べて、一族の血の繋がりを強く意識するものだが、本能的に崇めるべき相手を理解できるということもあるのか?私は亜人ではないし、なりたくもないのでわからないままで構わないが。
「うむ。話がわかるのう、おぬし」
と、エッタは満悦してアントに頷きかける。
「そう思ってくれて構わんよ。俺はアントだ。今は一族を纏めているが……まあ、細かい話はおいおいしようじゃないか、エタ?」
「儂は細かい話が嫌いだ。飯はないのか?」
エッタが尋ねたとき、アントの視界に、ちらほらと戻ってきた同胞の姿が目に入った。彼はそちらに向かっていき、エッタも自然とそうした。取り残された人間一同は疲れた目線を交わしはしたが、何故か沈黙を守った。だが、アリステアだけは周囲の様子を窺い、もの言いたげにもぞもぞと動いていた。見かねたメリッサが彼の前に屈む。
「疲れたんじゃない、アリステア君?」
「平気だけど、でもさ……」
「お腹空いた?」
「違うよ!ただ、これからどうしたらいいのかなって」
アリステアは赤子をあやすようなメリッサの調子を不服そうに撥ね退けつつ、目を落としてため息をつく。
「サラはずっと僕の面倒を見てくれてたんだ。でも、もう戻ってこないから」
「そう、ね……」
メリッサは小さく息を呑み、素早くセレスティアに一瞥を投げた。セレスティアはばつの悪そうな顔さえせずに、というより話も聞いていない様子でぼんやりと遠くを見つめていた。アリステアが慌てて首を振った。
「別にいいんだよ、サラが悪いことをしたのは本当だし、仕方ない。寂しいけど、本当は特別仲が良かったわけでもないんだ。だけど、一人でやっていけるかなって、そう思っただけ」
少年は言い、はにかんだ。そのとき、彼は妙に大人びて見えた。エセルが戸惑ったのは、まだ幼いアリステアが暴風の前にまっすぐ立とうとしていることに心を打たれたからだろう。初対面でこちらを困惑させる失礼極まりない暴言を吐いた、あの少年は見る影もない。とはいえ、エセルはその経験のためにアリステアが苦手だった。馬鹿馬鹿しいことだが、彼は目を逸らして呟くのだ。
「まあ、しっかりしてるし……」
「エセル!薄情なこと言わないでちょうだい」
ほら、怒られた。
「そんなこと言ったって、俺たちじゃどうしようもないだろ」
エセルは苦し紛れに言った。が、ふとセレスティアが物思いから覚めて口を挟んだ。
「連れて帰ればいいわ。忘れたわけじゃないでしょう、私たちは元々、彼の力を必要としてここに来たのだから」
「お母さんだって、この子のこと放っておくわけがないもの。平気よ、エセル」
「まあね」
エセルは渋い顔で頷き、おどおどとアリステアに目をやった。少年はじっと彼を見据えていた。
「わかってる。あのとき僕、酷いこと言ったよね」
「怒ってないさ」
「そうは見えないな。ところで、どうして僕を探しにきたの?」
アリステアは誤魔化すように三人の顔を見回す。誰が指揮者なのか測りかねているようだ。
「死人を探しているからよ」
セレスティアが皮肉っぽく答えたとき、アントが彼らの元に駆け戻ってきた。同胞の多くが無事だったことに安堵したのか、幾分か活気を取り戻している。
「なあ、あんたら!提案なんだが、明日まで俺たちに付き合わないか?できるだけ早くグゥヴァを開くべきだって話がまとまったんだが、あんたらにも参加してほしいんだよ」
「確か、白狼族の鎮魂祭よね」
メリッサが思い出して言った。アリステアが目を輝かせる。
「グゥヴァってすごいんだよ!天灯をたくさん上げるの。ずっと前、アントが連れ出してくれて、さ……」
少年はわだかまりが残っていたことを思い出し、白狼の友人を横目で窺った。当の本人は気にしていないようで、少なくともそのように振舞っていた。
「ああ。無理に起こして悪かったって思いを込めてな。仲間入りした連中をよろしく、とも言わなきゃならんか」
一同はとてもその冗談には笑えなかったが、アントは小気味良い笑みを浮かべていた。
「で、どうする?」
「俺は良いけど……」
「私も気になるわ」
と、兄妹はぎこちなくセレスティアに視線を投げた。それに応じて、アントとアリステアも期待を込めて彼女を見る。彼女は突然注目を浴びて当惑したようだったが、すぐにしかつめらしく考え込んだ。
「……天灯と言った?」
「うん。皆で空に打ち上げるんだよ」
アリステアが答えた。セレスティアは数秒目を閉ざし、それから顔を上げた。
「そう。それなら、私も見るべきかもしれないわ」
「やった!」
メリッサが小さく飛び上がった。セレスティアは怪訝そうに彼女を眺める。こう言いたいのだろう、祭りに参加したいなら勝手にすればいいでしょう、と。君は自身の我が儘さにまるで自覚がないようだね。
一方で、エセルは彼女の妙な言い回しに抜け目なく気付いたようである。単なる誤魔化しの言葉ではないだろう――君はどう思うのかな、エセルよ?
*
何故ロイドが動き出すことを決意したのかを説明することのできる者は、おそらくいないのであろう。夜半過ぎ、彼はジリアンからもらったライザの落書きをじっくりと観察した後、丁寧に折りたたんで懐にしまった。それから、彼はしばらく待った。彼の指示で任務に出かける前に、イーサンが今一度顔を出すとわかっていた。
影が滑り込んできたのを見るや、ロイドは開口した。
「計画変更だ、イーサン。カルツァなんか後回しにして、このアーテルニアに目を向けよう」
「はあ」
「何だ、気のない返事だな」
ロイドは多少気を悪くして目を細めた。イーサンは顔色一つ変えずに首を振る。
「いえ、あなたがそう考えを変えるのは珍しいので。しかも、日も変わらぬうちに」
「僕としても、正直こうするのが正しいのかはわからないんだけどね。賭けに出たくなったのさ。それで、頼みがあるんだ」
「何なりと」
「地下牢を見てきてほしい。絶対に見張りに見つからずにね。中の様子と、見張りの配置、都合の良い脱出経路……なんていちいち言わなくても、君はわかっているんだろうけど」
「お任せください」
イーサンは早速踵を返した。ロイドはその背中を見守り、閉口していようと努めた。が、結局は情に負けたらしい。彼は何でもないことのように付け足す。
「ああ、それから、余力があればだけど、ジリアンの息子らしき子どもを見つけたら、注意して見てほしい」
「注意、と言いますと?」
イーサンが怪訝そうに振り返る。
「いや、深い意味はないんだ。無事かどうか確かめてくれればいい。つまり、その……彼女が心配しているから」
「はあ」
「僕にも焼きが回ったって言いたいんだろう」
ロイドがふてくされたように低くぼやいた。イーサンは笑みを噛み殺した。
「まさか。確かに意外でしたが」
「とにかく、頼むよ。もし地下牢の状況が僕の予想通りなら、そのときは、ね。さて、手紙を書かないと」
軍師殿は含みを込めて言い、おもむろに机へと近寄った。そして、かろうじて綺麗な紙きれを見つけ出し、筆を握る。何か思い出したのか、彼はまだイーサンがそこにいることを期待して背後を顧みたが、その姿はもうなかった。物音一つ立てやしないのだ。彼は苦笑いをしつつ、迷いなく文章を書きつけた。墨が乾くのを待ってから、紙を筒状に丸め、それを細い紐できつく括った。
それから、彼はしばし考える。ああ、ルルを呼びつけたいのか。彼は深く息をつくと、指を唇に当てて笛のように短く鳴らした。あまりやかましい音を立てるわけにもいかなかった。彼は待った。すると、ルルがどこからかやってきて、彼の肩に止まった。
「君は本当に悧巧だよ、ルル」
そう呼びかけると、ルルは彼の言葉を歓迎するように鳴いた。ロイドはルルの足に手紙を括りつけ、彼女をそっと撫でた。
「親愛なるエセルとセレスティアに」
ルルは飛び立った。
生きている意味よな




