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王宮筆頭通訳官を辞めた翌朝、二国間の会話はすべて噛み合わなくなった  作者: ヲワ・おわり


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第8話 最初の仕事

全70話で完結予定です。毎日5話ずつ、7:10 / 12:10 / 17:10 / 20:10 / 22:10 に投稿します。

面白いと思っていただけましたら、評価で応援してもらえると励みになります。

 翌日の客人は、南方の小国エスタの使者だった。

 書面によれば、エスタはサルディアに対し、ある通商上の要求を携えてくるという。だが、その要求の中身が、どうにも漠然としている。これまでの交渉でも、エスタ側は遠回しな物言いに終始し、本当に何を望んでいるのか、サルディアの外務府は掴みかねていた。

「彼らは、何かを欲している。だが、それを口に出さない」

 殿下が、面会の前に小声で言った。

「君なら、読めるか」

「やってみます」

 私は頷いた。

 面会の席。エスタの使者は、白髪の品のいい老人だった。彼は長々と、両国の友好を讃える美辞を並べた。サルディアの繁栄を羨み、その庇護を願う、と。

 ヴェルガの後任なら、これをそのまま訳すだろう。「エスタはサルディアの庇護を願っている」と。だが――私は、使者の言葉の選び方に、注意深く耳を澄ませていた。

 彼は「庇護」という言葉を、三度繰り返した。けれど、その「庇護」を口にするたび、わずかに視線が泳いだ。誇り高い小国の使者が、本心から庇護を願う者の言い方ではない。

 そして、決定的だったのは、彼が一度だけ漏らした言葉だった。

 《我が国の若い民の中には、新たな地で力を試したいと願う者も多く――》

 さらりと流された一文。けれど、そこにこそ本音があった。

 私は、使者の一言一句を、頭の中で、何度も反芻した。彼が「庇護」と口にするたびに走った、わずかな逡巡。誇り高い小国の使者なら、本心から「庇護を願う」とき、もっと、すがるような響きを帯びるはずだ。けれど彼の声には、それがなかった。むしろ、言いたくないことを、無理に言葉にしているような、ぎこちなさがあった。

 そして、一度だけ漏れた、あの一文。《我が国の若い民の中には、新たな地で力を試したいと願う者も多く》。さらりと流されたそれこそが、彼が本当に届けたかった、真意だった。

 面会のあと、私は殿下に報告した。

「エスタが望んでいるのは、庇護ではありません。――民の移住先です」

「移住?」

「エスタは小国で、若い世代に十分な仕事がない。彼らは、サルディアの広大な未開拓地に、自国民を入植させたいのです。けれど、それを正面から『土地を分けてくれ』と言えば、物乞いのようで誇りが傷つく。だから『庇護』という言葉に包んで、遠回しに探りを入れてきた。本心は、対等な入植協定です」

 殿下は、しばらく私を見つめていた。

 それから、ゆっくりと口の端を上げた。あの夜と同じ、かすかな微笑み。

「……なるほど。道理で噛み合わぬわけだ。我々は『庇護』の話をし、彼らは『土地』の話をしていた。同じ卓で、別の話を」

「はい。ですので、サルディアから先に、入植の枠組みを提案なさるのがよろしいかと。彼らの誇りを立てつつ、こちらが主導権を握れます」

 殿下は、すぐにその方針で動いた。

 再びの面会で、サルディア側から入植協定の枠組みを提示すると、エスタの老使者は、見るからに安堵の表情を浮かべた。誇りを保ったまま、本当に欲しかったものが手に入る。こじれかけていた交渉は、その場で大きく前進した。

「助かった」

 使者を見送ったあと、殿下が言った。

「君がいなければ、我々はあと何度も、噛み合わぬ会談を重ねていただろう。下手をすれば、相手の誇りを傷つけて、関係を損ねていたかもしれない」

「いえ……これが、私の仕事ですから」

 謙遜ではなく、本心だった。けれど、口にしてみて、その言葉の温かさに自分でも驚いた。

 これが、私の仕事。

 ヴェルガでは、誰にも見られなかった働き。それが今、まっすぐに「助かった」と言ってもらえる。たったそれだけのことが、こんなにも胸を満たすなんて。

 思えば、ヴェルガで同じ働きをしたとき、返ってきたのは「当たり前だ」という、無言の冷たさだった。交渉が成立すれば、それは外交官の手柄。失敗すれば、通訳の落ち度。私の働きが、正しく秤にかけられることは、一度も、なかった。

 なのに、ここでは、違う。

 私が、何を読み、どう訳し、なぜそう判断したのか。殿下は、その一つ一つに、耳を傾けてくれる。私の見たものが、ちゃんと、「価値のあるもの」として、受け止められる。

 その心地よさに、私は、戸惑うほどだった。長く、冷たい水の中にいた者が、ふいに、陽だまりに出たような。慣れない温かさが、かえって、胸を、締めつけた。

 殿下は、私の手元の――バルトから譲られた古い手帳に、ふと目を留めた。

「ずいぶん使い込まれた手帳だな」

「恩人から、譲り受けたものです。サルディアの言い回しの覚え書きで」

「……そうか」

 殿下は、何か言いたげに口を開きかけて、けれど結局、それ以上は言わなかった。ただ、その視線が、いつもより少しだけ、長く私の上に留まっていた気がした。

 その意味を、私はやはり、読み取れずにいた。

 他人の真意なら、あれほど分かるのに。この人の眼差しの奥にあるものだけは、なぜか、上手く訳せない。

 ただ、嫌な感じは、しなかった。むしろ、その視線に見つめられると、胸の奥が、ふわりと、温かくなる。その温かさが、何なのか。私は、あえて、考えないようにした。仕事に来たのだ。余計なことに、心を乱されてはいけない。

 そう自分に言い聞かせて、私は、次の案件の資料へと、目を移した。

 けれど、ふとした拍子に、あの青い瞳が、瞼の裏に蘇る。その度に、私は、小さく首を振って、仕事に意識を戻すのだった。

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