第67話 身分の壁を越えて
私と殿下の関係は、やがて、宮廷の知るところとなった。
王太子と、他国から来た、一通訳官。その身分差は、当然、議論を呼んだ。
古い考えの貴族の中には、難色を示す者も、いた。家格や、血筋を、何よりも重んじる者たちだ。彼らにとって、王家の婚姻は、国家の、政治の問題であって、個人の、想いの問題では、なかった。それも、分かる。王太子の伴侶は、いずれ、この国の、王妃となる。その地位に、誰を据えるか。それは、国の行く末を、左右する、重大事だった。
「いくら功績があろうと、出自が低すぎる。王太子の伴侶として、ふさわしいとは――」
その声に、待ったをかけたのは、意外にも、ロドリク侯だった。
「お待ちあれ」
かつて、誰よりも私を疑い、試した、あの保守派の重鎮が。今、私を、擁護していた。
「ヴェント殿の出自が、低いと? 確かに、家格は高くない。だが、考えてもみられよ。彼女は、たった一人で、両国を、戦争から救った。その功績は、いかなる名門の血筋にも、勝る」
ロドリク侯は、貴族たちを、見回した。
「我がサルディアは、実力を重んじる国。家柄ではなく、その者が何を成すかで、価値を測る。それが、我らの誇りであり、流儀のはず。――ならば、ヴェント殿ほど、王太子の隣に、ふさわしい者が、いるだろうか」
その言葉に、難色を示していた貴族たちも、口をつぐんだ。
反論は、できなかった。私が成したことは、もはや、誰にも、否定できない。実力主義の国であればこそ、私の功績は、出自の壁を、越える力を持っていた。
不思議な気持ちだった。かつて、私の出自を、最も厳しく問うたロドリク侯が。今、その同じ「実力主義」の理屈で、私を、守っている。彼は、変節したわけでは、なかった。むしろ、最初から、一貫していた。家柄ではなく、実力で、人を測る。その信念を、彼は、私に対しても、貫いただけ。だから、私が、実力を、証明してみせた今、彼は、迷うことなく、私の側に、立ってくれた。
考えてみれば、これこそが、私が、ヴェルガで、得られなかったものだった。ヴェルガは、家柄と、慣例で、人を測った。だから、出自の低い私の働きは、永遠に、報われなかった。けれど、サルディアは、違った。実力を、正しく、評価する。その風土が、私を、ここまで、押し上げてくれた。私は、正しい場所に、辿り着いたのだ。
「ヴェント殿」
ロドリク侯が、私に向き直り、深く、頭を下げた。
「かつて、あなたを疑ったこと、心から、詫びる。あなたは、その実力で、私の偏見を、打ち砕いた。――あなたなら、殿下の隣に立つにふさわしい。心から、そう思う」
私は、胸を打たれた。
最も手強かった相手が、今、私を、心から、認めてくれている。実力で。人として。かつて、彼の冷たい視線に、どれだけ、苦しめられただろう。けれど、その彼を、ここまで、変えたのもまた、私自身の働きだった。敵対者を、最大の理解者に変える。それは、剣では、決して、成しえないことだった。言葉と、誠実さだけが、なしうる、奇跡だった。
「ありがとうございます、ロドリク侯」
私は、深く、頭を下げた。
こうして、身分の壁は、私が積み重ねてきた実績によって、静かに、しかし確かに、乗り越えられた。
それは、誰かが、特例として、私を、引き上げてくれたわけでは、なかった。情けや、温情で、許されたわけでもない。ただ、私の積み重ねた働きが、誰の目にも、否定しようのない、事実として、そこにあった。だから、壁の方が、自然と、崩れていった。これ以上ない、納得のいく、形だった。誰も、私を、王太子の隣に立つに、ふさわしくないとは、言えなかった。なぜなら、私こそが、両国の、無数の命を、救った者なのだから。
誰かに、与えられた地位ではない。私自身が、言葉を運び続けて、勝ち取った、場所だった。出自でも、後ろ盾でもなく。ただ、自分の、誠実な働きだけを、武器にして。
その夜、殿下が、私に言った。
「君は、出自に臆することなく、自分の力で、ここまで来た。その君だからこそ、私は、隣にいてほしいんだ」
その言葉に、私は、胸が、熱くなった。彼は、私の出自を、欠点として、目をつぶろうとしているのではない。むしろ、その不利を、自らの力で、覆してきたこと。それこそを、彼は、誇りに思ってくれている。
「私は、与えられた地位に、安住する伴侶より。自分の足で、立てる人を、隣に、置きたい。共に、この国を、より良くしていける人を。――君は、その、まさに、体現者だ」
その言葉は、これ以上ない、賛辞だった。私の、これまでの、すべての苦労を。流してきた、すべての涙を。彼は、肯定してくれた。あの苦難は、無駄ではなかった。すべては、今日の、この場所に、繋がっていたのだと。
私は、頷いた。
もう、臆することは、何もなかった。
私は、私の価値を、知っている。そして、その私を、まっすぐに見てくれる人が、隣にいる。
かつての私なら、王太子の隣という場所に、ただ、怯えるばかりだっただろう。自分には、ふさわしくないと、俯いて。けれど、今は、違った。私は、自分の足で、ここに、立っている。誰かに、引き上げられたのではなく。その確信が、私に、まっすぐ前を向く、強さをくれていた。身分の差は、もう、私を、縛らなかった。大切なのは、生まれではなく、生き方なのだと。私は、自分の生き方で、それを、証明した。
それだけで、十分だった。




