第62話 静かな淘汰
ヴェルガでは、和平の後、静かな変化が、進んでいた。
ジェラルド・モルテーンは、捏造と、和平妨害の罪を問われ、すべての地位を失った。かつて、尊大に私を「口寄せ役」と侮った彼は、今や、誰からも顧みられぬ存在となった。
大げさな断罪も、見せしめの処刑も、なかった。彼は、ただ、静かに、表舞台から、消えていった。自らの過ちが招いた、当然の帰結として。
聞くところによれば、彼は、最後まで、自らの非を、認めなかったという。すべては、私の陰謀だ、サルディアの罠だと、わめき散らしていたと。けれど、もう、誰も、その言葉に、耳を貸さなかった。かつて、彼の一言で、人が動き、人が泣いた。その権勢は、跡形もなく、消え去っていた。言葉を、人を欺く道具にしてきた者の、当然の末路だった。彼の言葉は、もはや、誰の心にも、届かない。それは、人にとって、最も、孤独な状態なのかもしれなかった。
ハーヴェイ院長も、職を辞した。けれど、彼は、最後に真実を告白した。その勇気だけは、わずかながら、酌量された。彼は、田舎の領地に隠棲し、静かに余生を送ることになった。
実務を軽んじた者たちが、去っていく。
それは、誰かが、力で、彼らを追い落としたわけではなかった。ただ、嘘と保身で築いた地位は、土台がなく、自らの重みで、崩れ落ちただけ。真実が明らかになれば、虚飾は、立ち行かなくなる。彼らは、自分たちが軽んじた「言葉」と「記録」によって、静かに、淘汰されていった。これ以上ない、皮肉な結末だった。
そして、その代わりに――。
「バルト・オルセン殿が、通辞院の、新たな顧問に就かれたそうです」
その報せを、私は、喜びとともに受け取った。
引退していたバルトが、再び、表舞台に呼び戻された。彼は、長年訴え続けてきた、「言葉を運ぶ者の価値」を、ようやく、認められたのだ。あの、老いた外交官が。私に、真意読解の何たるかを教え、最後まで、私を信じてくれた人が。彼の信念が、報われたこと。それが、私には、自分のことのように、嬉しかった。
バルトは、通辞院の改革に、着手した。通訳官の地位を引き上げ、その功績が、正しく記録されるように。表に出ない実務者の働きが、二度と、軽んじられることのないように。
彼が、まず手をつけたのは、記録の制度だった。誰が、どの交渉で、どんな働きをしたのか。それを、正確に、書き残す。後から、書き換えられることのないように。功績が、正しく、その人のものとして、刻まれるように。かつて、私の働きが、誰にも知られぬまま、闇に葬られかけたこと。その過ちを、二度と、繰り返さないために。記録は、人を陥れる道具にも、人の尊厳を守る盾にも、なる。バルトは、それを、後者として、使おうとしていた。
私が、かつて報われなかった、あの構造が。今、是正されようとしていた。それは、私一人のためではない。これから、言葉を運ぶ道を歩む、すべての者のための、改革だった。私が払った犠牲が、未来の誰かの、犠牲を、防ぐ。そう思うと、過去の苦しみさえ、意味のあるものに、思えてきた。
「先輩!」
ある日、ニナから、手紙が届いた。
《先輩のおかげで、通辞院は、変わりました。バルト様が、私たち通訳官を、ちゃんと、見てくれます。先輩が、命がけで証明してくれたから。先輩が蒔いた種が、こうして、実りました。本当に、ありがとうございました》
その手紙を読んで、私は、胸が熱くなった。
ニナの、弾むような文字を、指でなぞる。あの、おどおどしていた後輩が、今は、誇りを持って、仕事に向き合っている。そして、その後ろには、彼女に続く、若い通訳官たちが、いる。私が、暗い廊下で、一人、唇を噛んでいた頃には、想像もできなかった光景だった。あの頃の私に、教えてあげたかった。あなたの流す涙は、無駄じゃない。あなたの繕う言葉は、いつか、誰かの未来を、照らすのだと。
私が、誰にも見られず、繕い続けた言葉。それが、無駄ではなかった。私の戦いは、私一人を救っただけでなく、後に続く者たちの、未来をも、変えたのだ。一人の人間の、誠実な働きは、たとえ、その時に報われなくても、確かに、世界を、少しずつ、変えていく。私は、そのことを、身をもって、知った。
私を切り捨てた国は、私の不在の意味を、痛いほど思い知り――そして、ようやく、過ちを、正し始めた。
復讐ではない。けれど、これ以上の決着は、ない。
私は、一度も、ヴェルガに、報復しようとは、思わなかった。彼らを、貶めようとも、恥をかかせようとも。ただ、自分の仕事を、誠実に、果たし続けただけ。その結果として、私を軽んじた者たちは、自滅し、私の価値を、見抜けなかった国は、その過ちを、思い知った。誰かを、引きずり下ろすのではなく。ただ、自分が、あるべき高さまで、昇っていく。その過程で、低い場所にいた者たちが、自然と、淘汰されていった。それが、いちばん、静かで、いちばん、確かな決着だった。
窓の外、サルディアの空は、穏やかに晴れていた。
私は、過去を、もう、恨んではいなかった。恨みは、心を、過去に縛りつける鎖だ。その鎖を、私は、もう、必要としていなかった。私の目は、前を、向いていた。これから、自分が、何を成すのか。誰と、共に、歩むのか。そちらの方が、ずっと、大切だった。
ただ、すべてが、あるべき場所へ、収まっていく。その静かな満足を、噛みしめていた。




