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王宮筆頭通訳官を辞めた翌朝、二国間の会話はすべて噛み合わなくなった  作者: ヲワ・おわり


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第61話 決着のあとで

 和平の成立から、数日。

 サルディア王宮は、祝賀の空気に包まれていた。戦争の危機を、血を一滴も流さずに乗り越えた。その立役者として、私の名は、両国に、広く知れ渡っていた。

 もはや、私を「他国の女」と侮る者は、どこにもいなかった。すれ違う官吏は、皆、私に敬意を払う。ロドリク侯でさえ、会えば、丁寧に頭を下げる。

「ヴェント様、もう、宮廷の英雄ですよ!」

 レナが、自分のことのように、嬉しそうに言った。

「英雄だなんて。私は、ただ、言葉を運んだだけよ」

「その『ただ』が、戦争を止めたんです。胸を張ってください」

 私は、微笑んだ。

 胸を、張る。それが、自然にできるようになった自分に、少し、驚いていた。ヴェルガで俯いていた頃の私は、もう、いない。私は、自分の価値を、心の底から、認められるようになっていた。

 ニナも、私のもとへ駆け寄ってきた。目を、きらきらと、輝かせて。

「オーレリア様。私、決めました。私も、いつか、オーレリア様のような通訳官に、なります。言葉で、人と人を、国と国を、繋げる人に」

 その言葉に、私は、胸が、熱くなった。かつての私が、誰にも必要とされないと、思い込んでいたように。けれど今、私の背中を見て、夢を抱く者が、いる。私の歩んできた道が、誰かの、道しるべに、なっている。それは、和平を成し遂げたことと、同じくらい、いや、それ以上に、私を、満たした。

「ええ。きっと、なれるわ。あなたなら」

 私は、ニナの手を、そっと握った。言葉を運ぶ者の誇りが、こうして、次の世代へと、受け継がれていく。それが、何より、嬉しかった。

 尊厳の回復は、完成した。

 長い、苦しい道のりだった。侮られ、切り捨てられ、濡れ衣まで着せられた。けれど、私は、自分の言葉で、すべてを、覆した。

 この数日、私のもとには、ひっきりなしに、人が訪れた。和平への、謝意を伝える者。私を、改めて、自国の通訳官として迎えたいと、申し出る他国の使者。かつて、私を侮っていた者たちまでが、態度を、すっかり、改めていた。けれど、私は、その変化に、浮かれることは、なかった。人の評価は、移ろいやすい。賞賛も、侮蔑も、結局は、同じ風向き次第のもの。だから、私は、他人の目に、自分の価値を、委ねないと、決めていた。私が、私の仕事を、誇れるかどうか。それだけが、本当に、大切なことだった。

 窓の外を、見やる。サルディアの街並みが、平和な午後の陽射しの中で、穏やかに、広がっていた。市場の賑わい。子供たちの、笑い声。あの一つひとつが、戦火に呑まれずに、済んだ。その事実が、どんな賞賛よりも、私の胸を、満たした。

 誇らしかった。満ち足りていた。

 なのに。

 胸の奥に、まだ、一つだけ。

 解けない、問いが、残っていた。

 ――殿下は、私に、何を、伝えようとしているのだろう。

 「すべてが片付いたら、伝えたいことがある」。あの約束。けれど、和平が成立してからも、殿下は、政務に追われ、なかなか、その機会が、訪れなかった。

 いや。本当は、機会がないのではない。私が、無意識に、避けているのかもしれない。

 政務の合間に、ふと、廊下で、彼と目が合うことがあった。何か言いたげに、彼が、口を開きかける。その瞬間、私は、決まって、目を逸らし、用事を思い出したふりをして、その場を、立ち去ってしまうのだ。

 その言葉を、聞くのが、怖いから。

 もし、それが、私の願う言葉だったら。私は、どう応えればいいのか。王太子と、一通訳官。たとえ、想いが通じても、その先に、未来は、あるのだろうか。

 身分の差は、あまりに、大きい。彼は、いずれ、この国の王となる人。傍らには、しかるべき家柄の、姫君が立つべきだ。他国から来た、後ろ盾もない通訳官の私が、望んでいいものでは、ない。たとえ、彼が、何を言おうとも。私が、彼の歩む道の、妨げになっては、ならない。そう思うと、胸が、締めつけられた。

 それに――私は、自分の心さえ、まだ、はっきりとは、掴めずにいた。彼への、この想い。尊敬なのか、信頼なのか、それとも、もっと、別のものなのか。両国の代表の本音は、あれほど鮮やかに読み解けたのに。自分自身の心だけは、霧がかかったように、見えなかった。

 考えるほど、胸が、苦しくなる。

 私は、両国を救う言葉を、読み解いた。けれど、自分自身の心の声だけは、まだ、聞こえないふりを、続けていた。

 その夜。

 窓辺で、夜空を見上げる私の胸に、バルトの手帳の一文が、また、蘇った。

 《最も読み損なうのは、いつも、己の心の声だ》

 私は、その通りの人間なのかもしれない。

 他人の心は、あれほど、鮮やかに読めるのに。自分の心の、いちばん奥にあるものだけは、いつも、見ないふりをしてきた。怖かったのだ。そこにある想いと、向き合うことが。それを認めれば、もう、後戻りできなくなる気がして。

 けれど――そろそろ、向き合わなければ。

 両国の運命を懸けた言葉さえ、私は、訳しきった。ならば、自分の心の声を、訳すことだって、できるはずだ。逃げては、いけない。私は、そう、自分に、言い聞かせた。明日。明日こそ、殿下に、会いに行こう。そして、あの約束の言葉を、まっすぐに、受け止めよう。たとえ、それが、どんな結末を、もたらすとしても。

 自分の、いちばん大切な、真意に。

 星が、静かに、瞬いていた。その光は、まるで、私の背中を、そっと、押してくれているようだった。

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